第4話:通商路が止まった日
朝焼けの王都。 だが、そこにはいつもの活気はなかった。 物流の要である広場には、立ち往生した荷車が列をなし、商人たちの悲鳴が響いている。
(……。やっぱり、連鎖が始まったか)
俺はパーカーのフードを深く被り、その様子を眺めていた。 俺が管理していた「安全マージン」という名の余裕。 それがなくなった今、世界は少しのミスも許さない「カツカツの数字」で回り始めている。
その時だった。
ガシャンッ!!
激しい音と共に、一台の荷車が横倒しになった。
「そんな……嘘だろ!? ちゃんと整備したんだぞ!」
倒れた荷車のそばで、一人の少年が、泣きそうな声を上げていた。 周囲の大人たちが「何やってんだ!」「マニュアル通りにやったのか!」と罵声を浴びせる。
俺は、そっとその荷車に近づいた。 焦げ付いた車軸の臭い。
(……あー、なるほど。この時期の乾燥を計算に入れてないな)
マニュアル通りの「規定量」のオイル。 だが、今の王都は俺が「調整」をやめたせいで、湿度が急激に下がっている。 マニュアル通りの量では、一時間も持たずに油膜が切れる。算数レベルの計算だ。
「……。君、ちょっとどいて」
俺は少年の震える手をどけ、車軸の歪みを指先で数ミリだけ押し戻した。 そして、ポケットにある胡麻油を、ある一点にだけ、数滴垂らす。
(……詰まったホースを真っ直ぐにしてやるだけだ。あとは勝手に回る)
「……。もう動くよ。これ以上は、あっちの酒屋で安酒でも買って、軸を冷やしながら走りな」
少年が半信疑で荷車を押すと、重いはずの車体が氷の上を滑るように軽やかに動き出した。
「なっ……!? 軽い! さっきよりずっと……!」
少年が呆然としているその時。 群衆を割って、黄金の鎧が姿を現した。
「――どけッ! 英雄〈白鷹〉のお通りだ!」
ゼノン。俺を追放した、かつてのリーダーだ。 だが、その姿に輝きはない。鎧はくすみ、何より表情に焦りが滲んでいた。
「店主! なぜ保存食が用意できていない! 今日からの遠征はどうするつもりだ!」
「む、無理ですよゼノン様! 街中の備蓄が今朝から一斉に……!」
「……っ、あの欠陥品のせいだとでも言うのか!?」
ゼノンが俺の名を出し、吐き捨てた瞬間。 目が合った。
「あ? ……てめぇ、レインか!?」
ゼノンが血走った目で俺に詰め寄る。 「お前、辞める時に何かしやがったな! このパンの異常も、装備の不具合も、全部お前の呪いだろ!」
俺は、パーカーのポケットに手を突っ込んだまま、静かに答えた。
「……。呪いなんて、俺にはそんな魔力はないよ。ただ、俺が毎日やってた『お掃除』を、誰もやらなくなっただけだ」
「掃除だぁ!? ふざけるな、このゴミが!」
ゼノンが拳を振り上げる。 だが、その瞬間――。
ピキッ。
ゼノンの腰にある聖剣から、黒い煙のような魔力が溢れ出した。
「な、なんだ!? 剣が……熱い!?」
ゼノンが悲鳴を上げて聖剣を放り出す。 石畳に落ちた剣は、ジリジリと嫌な音を立てていた。
俺は、倒れた荷車を立て直したばかりの少年から、お礼だと言って差し出された一個のリンゴを受け取った。
「ーーその剣、もう『基準値』が狂ってるよ。俺が抑えていた歪みを、剣自体の魔力で押し通そうとしたからだ」
俺は、青ざめるゼノンに背を向けた。
「無理に抜かない方がいい。……折れるから」
「ふざけるなッ! 戻れ、レイン! 命令だ、戻ってこい!」
背後でゼノンが喚いている。 だが、群衆の目はもう「最強」ではなく、ただの「無能」へ向けられていた。
ただ一人、荷車を引く少年だけが、去っていく俺の背中を、神様でも見るような目で焼き付けていた。
同じ頃。 王都のメインストリートでは、もう一つの「異常」が起きていた。
「おい、どけ! 王宮の使いだぞ!」
必死に馬を急かせる騎士たちの横を、俺は静かに通り過ぎる。 彼らが乗る最新鋭の魔力馬車。その車軸が、今にも焼き付かんばかりに真っ赤に熱を帯びていた。
明日、この街のパンが石になり、英雄の剣が砕け散る。 崩壊の足音は、着実に、王女リリアーネの待つ王宮へと迫っていた。




