第12話:数字は、合っているはずだ
会議室からレインを追い出し、ギルドマスターは大きく息を吐いた。 椅子に深く腰掛け、満足そうに鼻を鳴らす。
「ふん、口先だけの小僧が。警備兵、あの男を二度とギルドの敷地に入れるなよ」
「は、はい! 承知しました!」
警備兵たちが慌てて退室していく。 会場に残された商人たちは、まだ不安げな表情で顔を見合わせていた。 だが、ギルドマスターはそれを一蹴するように、黒板に書かれたグラフを指し示した。
「諸君、安心したまえ。レインが勝手にいじり回していた『補正値』とやらは、すべて削除した。これからはマニュアル通りの、完璧に正しい数字で運営される」
「……ですが、ギルドマスター。レインが言っていた『明日の破綻』というのは……」
一人の商人が恐る恐る尋ねる。 ギルドマスターは、それを嘲笑った。
「馬鹿馬鹿しい。数字の上では、すべて正常だ。在庫もあり、予算も足りている。何か問題が起きる道理がないだろう?」
その言葉に、リーダーの剣士も同調するように頷いた。 彼は先ほどレインに「解毒ポーション」の件で図星を刺され、内心では冷や汗をかいていた。だが、それを認めるわけにはいかない。
「そうですよ。あいつはただ、自分がいなくなって困ると思わせたかっただけだ。ハッ、負け犬の遠吠えってやつですね」
リーダーがそう言って笑った、その時だった。
ババンッ!!
会議室の扉が、勢いよく開け放たれた。 入ってきたのは、顔面を青くしたギルドの職員だ。
「ほ、報告します! 北の砦への輸送部隊から、緊急の魔法通信が入りました!」
ギルドマスターは眉をひそめ、不機嫌そうに声を上げた。
「騒々しいぞ。なんだ、輸送が少し遅れている程度でいちいち報告するなと言っただろう」
「違います! 遅れているのではありません……全滅、したそうです!」
「……は?」
会場が、静まり返った。 ギルドマスターの手から、ペンが滑り落ちる。
「全滅? 何を言っている。マニュアル通りの護衛をつけ、マニュアル通りのルートを通らせたはずだぞ! 魔物の出現予測だって、基準値以下だったはずだ!」
「それが……予測にない魔物の群れに襲撃されたとのことです! さらに、応戦しようとした冒険者たちの武器が、ことごとく破損して……」
「武器が破損? 整備記録では正常だったはずだ!」
「分かりません! 『いつもより金属が脆くなっていた』と、生き残った隊員が……!」
ギルドマスターは立ち上がり、黒板の数字を凝視した。 数字は、合っている。 計画は、完璧だ。
なのに、なぜ現場で物が壊れ、人が死ぬのか。
「お、おい! それだけじゃないぞ!」
別の職員が、転がるように駆け込んできた。
「街の市場から、暴動の兆しです! 『帳簿では在庫があるはずの小麦が、湿気で全滅している』と報告が! マニュアル通りの温度管理をしていたはずなのに……!」
「なっ……なんだと……!?」
ギルドマスターの頭の中で、先ほどのレインの言葉がリフレインする。
『マニュアル通りの油の量では、軸が焼き付きます』 『寒冷地での活動カロリーは、平地の2倍必要になる』 『現場が死んだら、意味がないでしょう?』
「……そんなはずは、ない」
ギルドマスターは震える声で呟いた。
「数字は合っているんだ……。私の計算が間違っているわけがない。……そうだ、これは全部、レインが呪いをかけたんだ! あいつが何か工作をしたに違いない!」
彼は必死に、自分に言い聞かせるようにツバを飛ばしながら叫んだ。 現実を見ようとせず、まだ「正解」の中に逃げ込もうとしている。
だが、会議室の外からは、街の人々の怒号が止むことなく響いていた。
それはもう、一個のギルドで抑え込める騒動ではなかった。 レインという「調整者」を失ったことで、街を動かしていた見えない歯車が、音を立てて噛み合わなくなっている。
「基準」という名の虚像が剥がれ落ち、むき出しの崩壊が、平穏という名の巨大なシステムを内側から食い破り始めていた。




