Ⅴ
小さな厨房のなか、俺は棚にもたれかかりながら、食後のお茶を用意するクリスティの姿を眺めてた。
不審感は、まだ完全には拭えん。この獣人女、実は人間を騙してなにか企んでいる魔女の類かなにかじゃないかと……そんな考えが頭の中の片隅から消えなかった。
だがいっぽうで、その仮定をするならば、献身的といえる傷の手当や、わざわざ毎回の食事の用意をする意味が分からん。
そして今はご丁寧なことに、お茶を用意してるってわけだ。いや、あるいはただの狂人かなにかだとすれば、そこに理屈が成り立つ説明など……いや、やはり考え過ぎか。
お茶はハーブだな? 心地よい香りが漂いはじめている。
「それで……屋敷から出れないってのは、どういうことなんだ?」
「どういうことって訊かれても、理由は分からないわ。とにかく、この屋敷に入ると出られないっていうことよ。それにどうやら一部の人達から、この屋敷は“人を喰う館”なんて言われているみたいなのよ」
あまりにも突飛な話だ。
「それより、はいこれ、お茶が入ったわよ」
「ああ、こりゃどうも」
受け取ったカップの中身を見つめる……湯気がたっている。なんてこのないお茶だ。
「毒とかなんて入れてないわよ」
「ん? ああ……そうだな」
「カルバンって、よっぽど人を信用しちゃいけない暮らしをしてきたの?」
「どうだかな」
熱いお茶をゆっくりと口にすると、多少は気分が落ち着く感じがした。
「ともかくだ。この場所は入ったら出られない、人を喰う館……か。穏やかじゃないよな?」
「あくまでもその呼び名は、巷で囁かれている噂でのことよ。それに、それを知ったときには、私とノックス兄さんは、もう閉じ込められたも同然だったんだから」
とはいえそんな噂話は、俺は聞いたことがなかった。あるいは昔に聞いたが、聞き流して忘れただけかもしれんが。
「ところで、その兄さんってのは? 最初は君一人じゃなかったわけか?」
「そうよ」
そこで彼女の表情に、翳りが出たようにも見えた。
「ノックス兄さんと一緒だったの。でも、その話は……今は、この話はしたくないの」
「じゃあ、別の質問にしよう」
「ええ、いいわよ」
「君がこの屋敷に来たとき、ここで誰か住んでいたのか?」
「そうね、若い男の人が。人間の男の人がいたわ。でも死んでいたの」
「死んでた?」
「そう、首を吊っていて、自分でやったみたいだったわ」
この屋敷は思った以上に、ろくでもない場所かもしれん。
「なんか、君が思い出したくもないことを、俺は訊いちまってるか?」
「あまり気にしないでいいわよ。今さらどうにもできないんだから」
では、次に何を訊くか……
「じゃあ、それで、屋敷の外に出れないって話だが、生活に必要なもんとか、特に飯の材料はどうしてんだ?」
「それを、訊くのね……」
この厨房は、あっさりとしてる印象だ。なんとなくだが、嫌な感じの予感はしてる。したくもない予想ってのは、外れてほしいもんだが。どうだかな。
「正直に言うが、あまり旨い食事だとは思えんでね」
「それって、何の肉なのか気になるってこと?」
「そうだな。少なくとも家畜はここにいないだろ?」
クリスティは黙って頷いた。
「家畜なんかの肉じゃないわ……人の肉よ」
それを聞いて、溜息しか出ない。
ともかく、いろいろと聞いたところで、意外とどうにも実感というものが湧いてこない。
いずれにしても、この館は人を捕えるってことだ。囚われたら最後、主人あるいは住人となるか、主人たちの食料となるかのどっちかってことらしい。それには人間だろうが獣人だろうが、あるいは魔族の系統ということも、あまり関係ないようだな。
そしてなにより衝撃的なのは、食事の肉……つまり、そういうことだ。どうりで味わったことのない食感だったわけだ。
まあ、疫病に飢饉まで流行るような昨今の世情では、こんな屋敷に限らず、場所によっては聞かなくもない話だ。俺は、そんな経験したくないと思ってんたが。
人を喰う……か、この屋敷が一つの大きな化け物で人を直接喰らうというわけじゃないが、まあ結局は似たようなもので、さらには住人となった人物は外へ出ることもできないと。
そして今や、俺もその一人になろうとしているってことなのか? 勘弁してもらいたいもんだ。
それに疑問はまだあった。
「まあともかく、そこらへんの諸々の事情を知っていて、俺を屋敷の中に入れたのか?」
「そうなるわね」
「俺が外へ出られないかもしれんと分かっていてか?」
「でもあのまま放っていたとしたら、助からなかったはずよ。玄関先で野垂れ死にさせるのが良かったかしら?」
だがその問いに対し、“そうだな、そのほうがマシだった”などと答えられるほどの覚悟は、今の俺にはない。
「まあいいさ。それともう一つ質問なんだが、」
「なにかしら?」
「屋敷に入れた俺を、なぜ殺さなかったんだ?」
この問いに、クリスティは戸惑いの表情を浮かべた。
「どうして、なんでそんなことを聞くの?」
「住人が一人増えれば、必要な食料は単純に考えて倍になるはずだ。この屋敷は住人を外に出す気の無い異常な空間なんだろ? それに、こんな場所じゃあ、獲物になるような奴もしょっちゅう来るとは思えん。俺が君と同族の獣人だったなら、多少は気持ちを理解できなくもないが、俺は真人間だ。この怪我の手当ての手間まで考えると、見殺しにしていた方が合理的じゃないか? それとも、あとで殺す気なのか?」
「それじゃあ、仮にそうだとして……あなたはどうするつもり? 私と戦うの? 地下室には武器だっていくつかあるわ。正々堂々と剣で勝負になるのかしら? でもあなたが勝ったところで、この屋敷の新しい主人になるだけ。どうやっても外には出られないのよ」
静かに反論するかのような口調だった。だが俺が聞きたいのは、そういうことじゃなかった。
「まあまあ、とりあえず質問に答えてくれ。ただ俺は、理由を聞きたいだけだ」
「あなたを助けた理由ってこと?」
「助けずに俺を殺して……その、そのまま食料にでもすることもできたわけだろ?」
「べつに、深く考えてもないわ。なんとなく、とっさに助けようって思っただけ。それだけで充分じゃない?」
「わかった。そうだな、それだけで充分かもな」
「それに殺すつもりなんてないわ。もしも私にそのつもりがあったのなら、幾らでも機会があったと思うけど、そんなことしていないし、あなたはこうして元気でいるでしょ」
「まあ、そりゃそうかもしれんが」
「それに私が獣人だからって、そもそも好き好んで人間の肉なんて食べたくないわ!」
強い口調だったが、なにやら今にも泣きだしそうな感じだった。
「すまない。気を悪くしたなら俺が悪かった。この質問のことは忘れよう」
「そのほうがいいわね」
「ようは君は、善意で俺を助けた。俺はそれに感謝している。これだけだ。それでいいか?」
「いいわよ。すごくシンプルね」
この獣人女はいったいなにを考えているんだか。それともはやり、なにか騙そうとしているのか? まあ、少なくとも今すぐに殺されるようなことはないだろう。あるいは、俺が他人を信用することに、ほんとうに鈍感になってるだけか?
まあいい、よしとしよう……つまりは、ここで身体を休める時間が増えただけのことだ。脱出できるかどうかは後で考えればいい。このクリスティという獣人女のことも、今は信用するしかないか。




