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スタロヴァヤ ―それは名もなき館―  作者: 菅原やくも


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7/22

 それで屋敷の中で目が覚めてから二日目だ。ようやく部屋の中をまともに歩けるくらいに調子を取り戻した。

 本当は怪我の手当てが終わった時点で屋敷を出る気でいたが、目が覚めたその日のうちは、いかんせん痛みのせいで思うように身体を動かせないザマで、今だって仮に走れと言われてもムチャな話だ。

 ともかく今のところ、騎士団(ファミリー)連中の追手がこの屋敷を見つける気配はない……と思いたい。なるべく早く、ここを離れるべきではある。

 人生ってのは、いつも肝心なときに物事がうまくいかんもんだ。

 それと背中の傷は、思っていたより深くなかったようだ。まあ、ひどい怪我で痛いことに変わりないが、生きているだけマシというか、あれこれ贅沢は言えんだろう。右腕のほうが、わりと酷い。クリスティは傷の手当てをしてくれたが、流石に縫合術の腕までは持ち合わせていなかったらしい。とりあえず塞がってるといえ、包帯の下には痛々しい傷口がある。万が一、今すぐにでも剣を振り回さないといけなくなったら、すぐに傷が開いてしまいそうだ。ああ、クソ……剣も新しいものを手に入れんとならんわけだ。

 いずれにせよ、怪我が完全に治ったとしても、派手な傷跡がいつまでも残るだろう。手の怪我は勲章と言えるか?

 それにしても、ずいぶんと長居をしてしまったような気がする。まあ、たかが二、三日じゃないか。欲を言えば、もっと身体を休めたいという気もするが、他人の善意に甘え過ぎるのは危険だ。

 俺は逃亡者の身だ。あの感じだと騎士団(ファミリー)の連中は執念深いとみている。そもそも簡単に諦めるやつらでもない。同じところにとどまるのは得策とは言えん。ここを去ってどこかの街へ出て、どうにかして資金を集めてさらに遠くへ行く。身なりも今一度整える必要もあるな。

 にしても……この身体で今すぐにってのは、ちと無理があるだろうが。

 ともかくじっとしていても、何も始まらん。とにかく動ける程度までに傷は落ち着いた。とりあえず、部屋を出て屋敷のなかを見てまわることにする。

 廊下の窓から外を眺めてみると、退屈な森が見える。それにやはり、ここは二階だ。よくもまあこの俺を運んだもんだ。

 それで二階には、俺がいた場所を含めて、どうやら部屋が五つもあるようだ。ただ、流石の俺にだって遠慮というものがある。扉の閉めてある部屋の中を全部覗きいるなんて無粋なこと、今はするつもりはない。

 だが、一部屋だけは開いてた。覗いてみれば、ぱっと見で書斎らしい部屋だとわかった。壁のほうには本棚がある。すさまじい蔵書だ……こんだけの本を集めるのに、いったい幾ら金をつぎ込んだんだ? この屋敷そのものよりも価値が高そうな部屋だ。他には、どっしりと重厚な感じの机と椅子が構えている。

 まあ、先に屋敷全体を見ておくとしよう。

 そして階段のとこまで進むと、玄関扉が見下ろせた。階段を含めた空間が、ちょっとしたエントランスのようになっている。

 階段を降りたところで、深皿の載った盆を抱えたクリスティの姿が現れた。

「え?」

 クリスティは俺を見るなり驚いた顔をした。

「ちょっとカルバン、動きまわって平気なの?」

「まあな……多少痛むが、運動がてら身体を動かさないとな。鈍っちまう」

「でももう少しくらい、傷の具合が落ち着くまで、おとなしく過ごすのがいいと思うけど」

 クリスティは不安げに言ったが、俺はそのくらいのこと気に掛けはしない。

「俺はそういうタチじゃないもんでね」

「じっとしていられない人なのね」

「かもしれんな。ただ、傷の手当てには感謝してる」

「それはよかったわ」

 俺は彼女の持っているものに視線を向ける。

「それで、食事か?」

「そうよ。部屋まで運ぼうと思ったけど、せっかくだからこっちの部屋にしましょう」

 クリスティは向きを変えて、近くの部屋の扉に向かった。

 そこは来客向けの広間のような、大きめの部屋だ。長いテーブル、それと向かい合うように四つずつ椅子が置かれている。

「滅多に使わない部屋よ。人を招くことなんてないし。でもたまにはここで食事をするのも悪くなさそうね」

「ふむ……こんな部屋もなるのか」

 ということは、あの階段の反対側のほうに厨房とかがあるのだろうな。

 どうにもパッとしない屋敷だ。それに整ってはいるが、快適に過ごせるような場所に感じない気がしないでもない。気のせいか?

「どうかしたの?」

「いや、」

 長いテーブルの端のほうで、二人で向かい合って食事をとることになった。だが俺は手早く食事を済ませた。

 なんだか味わって食べるような気分にはならん。

「もう食べ終わったの?」

「ああ」

 席を立って広間を出ようとするとクリスティは言った。

「部屋に戻るのかしら?」

「いや、少しばかし外の空気が吸いたい」

「え?」 

 彼女はなにか言いかけたが、俺は気にせず玄関へ向かい、ドアを開けた。

 が、その先は昼間のはずが真っ暗闇だった。いや違う、真っ黒い壁が立ちはだかっていた。

 訳が分からん。

「なんだ、これは……」

 手を伸ばせば、簡単に触れることができた。

 冷たいような感じもするが、いまいち温度感は分からない。手触りは滑らかで、まるで磨かれた大理石のような感じだが、光沢は一切なく、まったく光の反射がないようにみえた。

「これは、どいうことだ?」

「出られないのね」

 振り向いてみると、クリスティが立ってた。その表情、なにか複雑な思いを抱いているような感じだ

「つまりは……あなたもこの屋敷の住人ということね」

「おい、そりゃどういう意味だ?」

 ふざけているのか? それとも弄んでいるつもりなのか? 冗談だとすれば、なんか悪趣味だ。

 俺は思わず彼女に詰め寄った。

「この黒い壁。こりゃなんだ? 俺を外へ出さないつもりか? それとも君は、なに魔術でも使ってるのか? 俺をどうする気だ」

「ねえ、ちょっと、少しくらい落ち着いて」

「こんな訳の分からないことをされて、落ち着くも何もあるものか!」

「いいから黙ってちょうだい! 私が知っていることは、話せるだけ説明するわ。それに今あなたを外へ出せるなら、追い出してあげたいくらいよ」

 この女を殴りつけて嘘を付くなと言い返してやりたい気もしたが、素手でやり合えば、その鋭い爪を持ってる獣人の手のほうが圧倒的に強い。

 それに俺を見るその目つき、口ぶりからするに、なにか悪意が篭っているような感じがするわけでもなかった。

 いや、だが……分からん。こんな状況、判断に迷う。

 だが不愉快だ。

 喚いたせいか、カッとなったからか、めまいがして倒れそうになった。思わずその場に膝をついてかがむ。

 やはり、まだ身体の調子が悪いのか、それとも……

「カルバン、大丈夫なの?」

 マジで、この獣人女は何者なんだ? 俺に触れようとした彼女の手を、思わず払いのけた。

「俺になにか呪いでもかけようってか?」

「そんなことしてない! 私はあなたを傷つけるようなつもりはないわ!」

「そんな言葉で簡単に信じるほど、俺は純真無垢じゃない」

 彼女は返事もせず、落胆したような溜息だけして、あきれたような視線を向けてる。

 気分が落ち着き、立ち上がるまで、彼女は黙って俺を見つめるだけだった。

 怪我が治ってないだけじゃないな……冷静になれ。俺は、まだ疲れているんだ。

 それと思い出した。クリスティが前に「この屋敷は普通じゃない」と言ってたことを……

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