Ⅳ
それで屋敷の中で目が覚めてから二日目だ。ようやく部屋の中をまともに歩けるくらいに調子を取り戻した。
本当は怪我の手当てが終わった時点で屋敷を出る気でいたが、目が覚めたその日のうちは、いかんせん痛みのせいで思うように身体を動かせないザマで、今だって仮に走れと言われてもムチャな話だ。
ともかく今のところ、騎士団連中の追手がこの屋敷を見つける気配はない……と思いたい。なるべく早く、ここを離れるべきではある。
人生ってのは、いつも肝心なときに物事がうまくいかんもんだ。
それと背中の傷は、思っていたより深くなかったようだ。まあ、ひどい怪我で痛いことに変わりないが、生きているだけマシというか、あれこれ贅沢は言えんだろう。右腕のほうが、わりと酷い。クリスティは傷の手当てをしてくれたが、流石に縫合術の腕までは持ち合わせていなかったらしい。とりあえず塞がってるといえ、包帯の下には痛々しい傷口がある。万が一、今すぐにでも剣を振り回さないといけなくなったら、すぐに傷が開いてしまいそうだ。ああ、クソ……剣も新しいものを手に入れんとならんわけだ。
いずれにせよ、怪我が完全に治ったとしても、派手な傷跡がいつまでも残るだろう。手の怪我は勲章と言えるか?
それにしても、ずいぶんと長居をしてしまったような気がする。まあ、たかが二、三日じゃないか。欲を言えば、もっと身体を休めたいという気もするが、他人の善意に甘え過ぎるのは危険だ。
俺は逃亡者の身だ。あの感じだと騎士団の連中は執念深いとみている。そもそも簡単に諦めるやつらでもない。同じところにとどまるのは得策とは言えん。ここを去ってどこかの街へ出て、どうにかして資金を集めてさらに遠くへ行く。身なりも今一度整える必要もあるな。
にしても……この身体で今すぐにってのは、ちと無理があるだろうが。
ともかくじっとしていても、何も始まらん。とにかく動ける程度までに傷は落ち着いた。とりあえず、部屋を出て屋敷のなかを見てまわることにする。
廊下の窓から外を眺めてみると、退屈な森が見える。それにやはり、ここは二階だ。よくもまあこの俺を運んだもんだ。
それで二階には、俺がいた場所を含めて、どうやら部屋が五つもあるようだ。ただ、流石の俺にだって遠慮というものがある。扉の閉めてある部屋の中を全部覗きいるなんて無粋なこと、今はするつもりはない。
だが、一部屋だけは開いてた。覗いてみれば、ぱっと見で書斎らしい部屋だとわかった。壁のほうには本棚がある。すさまじい蔵書だ……こんだけの本を集めるのに、いったい幾ら金をつぎ込んだんだ? この屋敷そのものよりも価値が高そうな部屋だ。他には、どっしりと重厚な感じの机と椅子が構えている。
まあ、先に屋敷全体を見ておくとしよう。
そして階段のとこまで進むと、玄関扉が見下ろせた。階段を含めた空間が、ちょっとしたエントランスのようになっている。
階段を降りたところで、深皿の載った盆を抱えたクリスティの姿が現れた。
「え?」
クリスティは俺を見るなり驚いた顔をした。
「ちょっとカルバン、動きまわって平気なの?」
「まあな……多少痛むが、運動がてら身体を動かさないとな。鈍っちまう」
「でももう少しくらい、傷の具合が落ち着くまで、おとなしく過ごすのがいいと思うけど」
クリスティは不安げに言ったが、俺はそのくらいのこと気に掛けはしない。
「俺はそういうタチじゃないもんでね」
「じっとしていられない人なのね」
「かもしれんな。ただ、傷の手当てには感謝してる」
「それはよかったわ」
俺は彼女の持っているものに視線を向ける。
「それで、食事か?」
「そうよ。部屋まで運ぼうと思ったけど、せっかくだからこっちの部屋にしましょう」
クリスティは向きを変えて、近くの部屋の扉に向かった。
そこは来客向けの広間のような、大きめの部屋だ。長いテーブル、それと向かい合うように四つずつ椅子が置かれている。
「滅多に使わない部屋よ。人を招くことなんてないし。でもたまにはここで食事をするのも悪くなさそうね」
「ふむ……こんな部屋もなるのか」
ということは、あの階段の反対側のほうに厨房とかがあるのだろうな。
どうにもパッとしない屋敷だ。それに整ってはいるが、快適に過ごせるような場所に感じない気がしないでもない。気のせいか?
「どうかしたの?」
「いや、」
長いテーブルの端のほうで、二人で向かい合って食事をとることになった。だが俺は手早く食事を済ませた。
なんだか味わって食べるような気分にはならん。
「もう食べ終わったの?」
「ああ」
席を立って広間を出ようとするとクリスティは言った。
「部屋に戻るのかしら?」
「いや、少しばかし外の空気が吸いたい」
「え?」
彼女はなにか言いかけたが、俺は気にせず玄関へ向かい、ドアを開けた。
が、その先は昼間のはずが真っ暗闇だった。いや違う、真っ黒い壁が立ちはだかっていた。
訳が分からん。
「なんだ、これは……」
手を伸ばせば、簡単に触れることができた。
冷たいような感じもするが、いまいち温度感は分からない。手触りは滑らかで、まるで磨かれた大理石のような感じだが、光沢は一切なく、まったく光の反射がないようにみえた。
「これは、どいうことだ?」
「出られないのね」
振り向いてみると、クリスティが立ってた。その表情、なにか複雑な思いを抱いているような感じだ
。
「つまりは……あなたもこの屋敷の住人ということね」
「おい、そりゃどういう意味だ?」
ふざけているのか? それとも弄んでいるつもりなのか? 冗談だとすれば、なんか悪趣味だ。
俺は思わず彼女に詰め寄った。
「この黒い壁。こりゃなんだ? 俺を外へ出さないつもりか? それとも君は、なに魔術でも使ってるのか? 俺をどうする気だ」
「ねえ、ちょっと、少しくらい落ち着いて」
「こんな訳の分からないことをされて、落ち着くも何もあるものか!」
「いいから黙ってちょうだい! 私が知っていることは、話せるだけ説明するわ。それに今あなたを外へ出せるなら、追い出してあげたいくらいよ」
この女を殴りつけて嘘を付くなと言い返してやりたい気もしたが、素手でやり合えば、その鋭い爪を持ってる獣人の手のほうが圧倒的に強い。
それに俺を見るその目つき、口ぶりからするに、なにか悪意が篭っているような感じがするわけでもなかった。
いや、だが……分からん。こんな状況、判断に迷う。
だが不愉快だ。
喚いたせいか、カッとなったからか、めまいがして倒れそうになった。思わずその場に膝をついてかがむ。
やはり、まだ身体の調子が悪いのか、それとも……
「カルバン、大丈夫なの?」
マジで、この獣人女は何者なんだ? 俺に触れようとした彼女の手を、思わず払いのけた。
「俺になにか呪いでもかけようってか?」
「そんなことしてない! 私はあなたを傷つけるようなつもりはないわ!」
「そんな言葉で簡単に信じるほど、俺は純真無垢じゃない」
彼女は返事もせず、落胆したような溜息だけして、あきれたような視線を向けてる。
気分が落ち着き、立ち上がるまで、彼女は黙って俺を見つめるだけだった。
怪我が治ってないだけじゃないな……冷静になれ。俺は、まだ疲れているんだ。
それと思い出した。クリスティが前に「この屋敷は普通じゃない」と言ってたことを……




