11
「ハンク」
呼び声にハッとした。いつのまにか、ぼくも寝ていたみたいだ。
あたりはうっすらと明るくなっている。
「ヘレン? もう朝?」
「そうよ。もうすこしすれば朝陽もみえてくるわね」
けっきょく、また一晩を屋敷のなかで過ごしてしまったんだ。
「ごめん、ぼくもいつのまにか寝ちゃってた」
「いいのよ、気にしてなんかいない」
ぼくも起きあがって、玄関扉のほうをみた。変わらない。黒い壁はそのままだ。
「玄関のところ、変わらないままだね」
「もう少しだけ、ようすをみましょう」
二人で寄り添うみたいな格好で、壁にもたれて座って、窓の外が少しずつ明るくなっていくのを、ぼんやりと見つづけた。
開けっぱなしの玄関扉の先にある黒い壁はそのままで、変わるようなようすはない。
ぼくは立ちあがって、扉に向かった。それから一度、扉を閉じてみる。それからまた開けてみる。
こんなことで、なにか変わるかもしれないと考えたぼくは愚か者かもしれない。なにも変わらないし、変わるわけないのかも。どうしても出ることはできないの?
「なんで」
思わずこぶしを叩きつけた。でも手がじんじんと痛むだけで壁はびくともしない。ヘレンの魔法でも銀の弾丸でもダメだったんだから、わかりきったことなんだ。
ヘレンが近づいてきて、ぼくの手にそっとふれる。
「ハンク、大丈夫?」
「うん……」
疲れている。でもまだ冷静さをなくしたりとか、とりみだすなんてことはないと思う。
「ハンク、手が汚れているわよ」
「あ、うん、そうだね。銃のお手入れをして、そのままだから」
黒っぽいよごれのついた手。なんでだろう。よごれすぎているような気もする。いつもは銃の手入れでこんなによごれることなんてないのに。
「あとでちゃんと洗うよ」
そのとき、おなかが空腹に耐えかねてなのか、ぐるぐると音をならした。
「ごはん、どうしようか」
でもヘレンは考えこんだようすで、少しのあいだ黙りこんだ。
「ヘレン? 大丈夫?」
「ええ、そうよね……わたしたちここに来てから、ちゃんとした食事をしていないものね」
「とりあえず、厨房にいってみようよ」
「そうね」
そうして厨房へ向かって、なかをいろいろと見てみる。
棚には食器とか調理用の鍋とかフライパンとか、いろんなサイズのものが収まっている。それに食器は木でできるものから、陶器、銀製のものまで置いてある。
それから棚のすぐ横の壁に、とっても幅の狭い扉があるのに気づいた。
「ねえ、ヘレン。これ開けても大丈夫かな?」
「厨房だから、へんなものはないと思うけど、気をつけたほうがいいわ」
とにかく、ゆっくりと開けてみると、そこにはぎっしりと薪が積まれていた。
「これ、ふつうの薪……だよね」
ヘレンが扉をそっとさわった。
「この扉、なにかの魔法が使われているみたいだけど、わたしが知らないかたちをしているものよ」
「使っても大丈夫かな」
「ええ、薪はなんともなさそうだけど」
ぼくは数本取りだしてみた。持った感じもふつうで、木の匂いがする。とりあえず火をおこすのには、じゅうぶんにあると思う。
それから他に見つけたのは、お茶の葉がいれてある容器に、少しの塩、あとは油のような液体が入っている小瓶。
食材とか、そういう感じのものはみあたらない。
「これだけみたいね」
「女主人たちはどうしていたのかな? やっぱり、あの日記に書いてあったみたいに……地下室の、あの肉を、」
「嫌よ、それは嫌!」
「でも、」
「わたしは……人の肉なんて食べたくない」
ヘレンの気持ちはわかる。異教徒や魔族だって、同族を殺してその肉を食べるなんていうような話は、めったに聞くようなものじゃない。
「それじゃあ、それなら中庭の植物とか木を調べてみることにしようよ」
「分かった。とりあえず、みてみることにしましょう」
壁に囲まれた小さな庭。
井戸があって、小さな木が一本あって、畑というには粗末な感じになにかの植物がある。
ぼくが井戸の水で手を洗うあいだに、ヘレンが木を調べた。
「この木、きっとオリーブの木よ」
「それじゃあ、その小さい畑みたいな感じだけど、なにが植えてあるのかな?」
ぼくも近づいて見てみる。
「食べられるもの?」
「これは……たぶんサラザンよ。ちょうど実がなっている。石臼があれば粉にできるんだけど、そのままお粥にしても大丈夫よ」
「実がなっているの? それなら今から集める?」
「ええ、そうするわ」
「じゃあ手分けして、」
「わたしひとりでするから、ハンクは薪を焚いてお湯をつくってくれる? それにお茶もつくれるでしょ?」
「ヘレンがそれでいいなら、そうするよ」
「お願いするわ」
手分けしてできることは、手分けをしてするのがいい。それに魔法が使えなくても火を起こすは難しくない。
かまどに薪をくべて火をつけて、それから井戸から汲んだ水を鍋にいれて、かまどのうえに置く。それから食器も棚からテーブルのうえに出しておく。
だんだんと、かまどの炎が強くなってくる。でもこの薪、なくなったらどうすればいいんだろう? ヘレンは扉に魔法があるって言っていたけど、まさか薪が生成されるのかな?
そうしていると、ヘレンが戻ってきた。
小鉢にサラザンの実を集めたのはいいのだろうけど、足りないと思う。うん、ほんとうに足りないよ。もしもまだ何日もここで過ごさないといけないとなるのだったら、とうてい足りるなんて量じゃない。
「とりあえず、お粥をつくりましょう」
「ヘレン、ぼくはいいよ」
「え? なにを言っているの?」
ヘレンは困惑したような表情になった。
「そんな、まさか」
「ぼくは地下室にある肉を選ぶことになっても、べつにかまわないから」
「ハンク、お願いだからそんなことはやめて」
「なんで? どうして? だって、これだけじゃあ足りないよ。ふたりで分けるなら、なおさらだって」
ヘレンはなにも言い返してこない。
人の肉……ぼくだって、すすんで食べようとは思わない。ふつうだったならね。ふつうだったなら。でも今は、ふつうといえるような状況なんかじゃない。
それに、人の肉を食べるのがどんな感じなのか、なんだかすごく気になる。それとも、この屋敷がそう思わせているんだろうか?
「とりあえず、ぼくは地下室にいってみるから」
「ほんとうに?」
「うん」
「ハンクがどうしてもいくなら、わたしもいっしょにいくわ」
それであの地下室の入り口に向う。
でも下りようとしたとき、ヘレンは階段を目の前にして立ち止まってしまった。
「ごめんなさい。やっぱり無理よ、わたしは入りたくない」
「え?」
「なんだか、すごく嫌な感じがする」
「嫌な感じ?」
手が震えている。足も、見てわかるほど震えている。
「ヘレン、手が震えてるけど、大丈夫?」
「ハンクはなんともないの? なにも感じないの?」
「うん」
不気味といえばそうだけど、そんなに怖いという感じまではしない。
「ぼくは大丈夫だけど」
ヘレンは後ずさりして廊下へ出る。するととたんに、ほっとしたような表情になって、ウソみたいに手も足も震えがおさまったようにみえた。
「ハンク、少し調べるから待ってて」
「でもヘレン、もう何度か地下室は出たり入ったりしてるのに、なにかあるのかな?」
「それはそうかもしれないけど、用心したほうがいいわ」
ヘレンは扉や枠を指でなぞるように軽くふれて、なにか鑑定でもするみたいな目つきで、上から下までじーっと見つめた。
「なにか魔法でも使われているのかな?」
でもヘレンは答えずに、小さな予備の杖を取りだして、それでなにかつぶやきながらまたなぞるようにして扉にふれた。
「なにもないわ。わたしが見るかぎりは、なにも見つけられない。呪符とかそういうものでもあれば、はっきりするんだけど、ごめんなさい」
「謝ることなんてないよ」
「でも、」
「ヘレンはここで待っていて。ちょっと見てすぐ戻るから」




