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スタロヴァヤ ―それは名もなき館―  作者: 菅原やくも


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22/22

11

「ハンク」

 呼び声にハッとした。いつのまにか、ぼくも寝ていたみたいだ。

 あたりはうっすらと明るくなっている。

「ヘレン? もう朝?」

「そうよ。もうすこしすれば朝陽もみえてくるわね」

 けっきょく、また一晩を屋敷のなかで過ごしてしまったんだ。

「ごめん、ぼくもいつのまにか寝ちゃってた」

「いいのよ、気にしてなんかいない」

 ぼくも起きあがって、玄関扉のほうをみた。変わらない。黒い壁はそのままだ。

「玄関のところ、変わらないままだね」

「もう少しだけ、ようすをみましょう」

 二人で寄り添うみたいな格好で、壁にもたれて座って、窓の外が少しずつ明るくなっていくのを、ぼんやりと見つづけた。

 開けっぱなしの玄関扉の先にある黒い壁はそのままで、変わるようなようすはない。

 ぼくは立ちあがって、扉に向かった。それから一度、扉を閉じてみる。それからまた開けてみる。

 こんなことで、なにか変わるかもしれないと考えたぼくは愚か者かもしれない。なにも変わらないし、変わるわけないのかも。どうしても出ることはできないの?

「なんで」 

 思わずこぶしを叩きつけた。でも手がじんじんと痛むだけで壁はびくともしない。ヘレンの魔法でも銀の弾丸でもダメだったんだから、わかりきったことなんだ。

 ヘレンが近づいてきて、ぼくの手にそっとふれる。

「ハンク、大丈夫?」

「うん……」

 疲れている。でもまだ冷静さをなくしたりとか、とりみだすなんてことはないと思う。

「ハンク、手が汚れているわよ」

「あ、うん、そうだね。銃のお手入れをして、そのままだから」

 黒っぽいよごれのついた手。なんでだろう。よごれすぎているような気もする。いつもは銃の手入れでこんなによごれることなんてないのに。

「あとでちゃんと洗うよ」

 そのとき、おなかが空腹に耐えかねてなのか、ぐるぐると音をならした。

「ごはん、どうしようか」

 でもヘレンは考えこんだようすで、少しのあいだ黙りこんだ。

「ヘレン? 大丈夫?」

「ええ、そうよね……わたしたちここに来てから、ちゃんとした食事をしていないものね」

「とりあえず、厨房にいってみようよ」

「そうね」

 そうして厨房へ向かって、なかをいろいろと見てみる。

 棚には食器とか調理用の鍋とかフライパンとか、いろんなサイズのものが収まっている。それに食器は木でできるものから、陶器、銀製のものまで置いてある。

 それから棚のすぐ横の壁に、とっても幅の狭い扉があるのに気づいた。

「ねえ、ヘレン。これ開けても大丈夫かな?」

「厨房だから、へんなものはないと思うけど、気をつけたほうがいいわ」

とにかく、ゆっくりと開けてみると、そこにはぎっしりと薪が積まれていた。

「これ、ふつうの薪……だよね」

 ヘレンが扉をそっとさわった。

「この扉、なにかの魔法が使われているみたいだけど、わたしが知らないかたちをしているものよ」

「使っても大丈夫かな」

「ええ、薪はなんともなさそうだけど」

 ぼくは数本取りだしてみた。持った感じもふつうで、木の匂いがする。とりあえず火をおこすのには、じゅうぶんにあると思う。

 それから他に見つけたのは、お茶の葉がいれてある容器に、少しの塩、あとは油のような液体が入っている小瓶。

 食材とか、そういう感じのものはみあたらない。

「これだけみたいね」

「女主人たちはどうしていたのかな? やっぱり、あの日記に書いてあったみたいに……地下室の、あの肉を、」

「嫌よ、それは嫌!」

「でも、」

「わたしは……人の肉なんて食べたくない」

 ヘレンの気持ちはわかる。異教徒や魔族だって、同族を殺してその肉を食べるなんていうような話は、めったに聞くようなものじゃない。

「それじゃあ、それなら中庭の植物とか木を調べてみることにしようよ」

「分かった。とりあえず、みてみることにしましょう」

 壁に囲まれた小さな庭。

 井戸があって、小さな木が一本あって、畑というには粗末な感じになにかの植物がある。

 ぼくが井戸の水で手を洗うあいだに、ヘレンが木を調べた。

「この木、きっとオリーブの木よ」

「それじゃあ、その小さい畑みたいな感じだけど、なにが植えてあるのかな?」

 ぼくも近づいて見てみる。

「食べられるもの?」

「これは……たぶんサラザンよ。ちょうど実がなっている。石臼があれば粉にできるんだけど、そのままお粥にしても大丈夫よ」

「実がなっているの? それなら今から集める?」

「ええ、そうするわ」

「じゃあ手分けして、」

「わたしひとりでするから、ハンクは薪を焚いてお湯をつくってくれる? それにお茶もつくれるでしょ?」

「ヘレンがそれでいいなら、そうするよ」

「お願いするわ」

 手分けしてできることは、手分けをしてするのがいい。それに魔法が使えなくても火を起こすは難しくない。

 かまどに薪をくべて火をつけて、それから井戸から汲んだ水を鍋にいれて、かまどのうえに置く。それから食器も棚からテーブルのうえに出しておく。

 だんだんと、かまどの炎が強くなってくる。でもこの薪、なくなったらどうすればいいんだろう? ヘレンは扉に魔法があるって言っていたけど、まさか薪が生成されるのかな?

 そうしていると、ヘレンが戻ってきた。

 小鉢にサラザンの実を集めたのはいいのだろうけど、足りないと思う。うん、ほんとうに足りないよ。もしもまだ何日もここで過ごさないといけないとなるのだったら、とうてい足りるなんて量じゃない。

「とりあえず、お粥をつくりましょう」

「ヘレン、ぼくはいいよ」

「え? なにを言っているの?」

 ヘレンは困惑したような表情になった。

「そんな、まさか」

「ぼくは地下室にある肉を選ぶことになっても、べつにかまわないから」

「ハンク、お願いだからそんなことはやめて」

「なんで? どうして? だって、これだけじゃあ足りないよ。ふたりで分けるなら、なおさらだって」

 ヘレンはなにも言い返してこない。

 人の肉……ぼくだって、すすんで食べようとは思わない。ふつうだったならね。ふつうだったなら。でも今は、ふつうといえるような状況なんかじゃない。

 それに、人の肉を食べるのがどんな感じなのか、なんだかすごく気になる。それとも、この屋敷がそう思わせているんだろうか?

「とりあえず、ぼくは地下室にいってみるから」

「ほんとうに?」

「うん」

「ハンクがどうしてもいくなら、わたしもいっしょにいくわ」

 それであの地下室の入り口に向う。

 でも下りようとしたとき、ヘレンは階段を目の前にして立ち止まってしまった。

「ごめんなさい。やっぱり無理よ、わたしは入りたくない」

「え?」

「なんだか、すごく嫌な感じがする」

「嫌な感じ?」

 手が震えている。足も、見てわかるほど震えている。

「ヘレン、手が震えてるけど、大丈夫?」

「ハンクはなんともないの? なにも感じないの?」

「うん」

 不気味といえばそうだけど、そんなに怖いという感じまではしない。

「ぼくは大丈夫だけど」

 ヘレンは後ずさりして廊下へ出る。するととたんに、ほっとしたような表情になって、ウソみたいに手も足も震えがおさまったようにみえた。

「ハンク、少し調べるから待ってて」

「でもヘレン、もう何度か地下室は出たり入ったりしてるのに、なにかあるのかな?」

「それはそうかもしれないけど、用心したほうがいいわ」

 ヘレンは扉や枠を指でなぞるように軽くふれて、なにか鑑定でもするみたいな目つきで、上から下までじーっと見つめた。

「なにか魔法でも使われているのかな?」

 でもヘレンは答えずに、小さな予備の杖を取りだして、それでなにかつぶやきながらまたなぞるようにして扉にふれた。

「なにもないわ。わたしが見るかぎりは、なにも見つけられない。呪符とかそういうものでもあれば、はっきりするんだけど、ごめんなさい」

「謝ることなんてないよ」

「でも、」

「ヘレンはここで待っていて。ちょっと見てすぐ戻るから」

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