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スタロヴァヤ ―それは名もなき館―  作者: 菅原やくも


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 まだ歩みを止める気はない。

 走るのは、とっくに疲れた。だが、歩くのも限界だなどと抜かす余裕はない。

 夕刻が迫る鬱蒼とした森の中、小雨はまだ降り続いてやがる。

 歩き続けるというだけでも、かなり限界が近いような気がしないでもない。だが歩みをここでとめるわけにもいかん。

 身体のあちこちが痛む……

 どうしてだ? 俺は騎士団(ファミリー)から、ただたんに抜けたいだけだった。

 それでこんな目に遭うことになるなんてな……

 右手にしっかりと持っていたはずの愛用の剣が、気がついたときには無くなってた。どこかに落としてしまったか? やっちまったぜ。引き返して探すというわけにもならん。それにまあ、この腕の怪我では、当面は剣を振ることもできないだろうが。

 まったく、ただ逃げだすだけのような奴も、騎士団(ファミリー)にとっては裏切り者ということか?

 別に悪事が嫌いだとは言わない。金持ち貴族だとか士族だとか、その手の有力者っていう人たちだな、そいう奴らから金品を奪うってなら、俺だって嬉々として参加してやったさ。それに下っ端の仕事だって、飯にありつけるなら構やしない。

 だけどな、罪もない子どもや女たちを手にかけるなんてことは、こんな俺にだって無理だ。たとえ飢饉や疫病が流行っているからといって、貧しい農村にまで手を出して分捕れるものは分捕って、男衆は殺して女は犯す。仕事に使えそうな子供は攫う。さすがに野蛮が過ぎる。もう俺はそういうのは願い下げだ。

 だから俺はこんな目に遭ってるわけか? それに空腹というおまけつきだ。

 右腕の怪我だけじゃなくて、背中にやられた傷も痛む。

 逃げる相手に後ろから切りかかるというやり方(スタンス)も、俺からすると我慢ならんな。去る者は追わず……でなく、去ろうとするものは殺せということか? まあ、今に始まったことでもないのだろうけどよ。

 俺には剣術の素質がそれなりにあった。たったそれだけのことだ。騎士団(ファミリー)に入ることになったのは、そんな些細な理由だったわけだ。はじめっから、こんなことになるのが分かってれば、剣なんてさっさと手放して流れ者の道化師にでもなってたほうがマシだったかもしれん。けっ! 今や馬鹿で愚かな道化だよ、俺は。

 とにかく腕が痛い。背中は焼けつくような感覚がする。

 傷がどれほどの状態か、ちゃんと確かめ、適当でも手当をしなければならん。傷を放って悪化するのは避けたい。

 見なくても酷い怪我だろうというのは分かってる。今のところ動けるだけの気力は残ってる。怪我を放っておけば、命がどうなるかは分かったもんじゃない。まだ死にたいわけじゃない。

 だが、追手がいるかどうかわからない状態で、進み続けるほうが先決だ。今んとこ、その気配はないが油断はできない。油断はすべきじゃない。

 雨のおかげで、地面に滴った血は洗い流されてしまうだろう。これで追われる可能性は、ぐんと低くなる。

 迂闊だったといえば迂闊だ。といっても森の中に逃げ込まないことには、序盤で追手を振り切れなかった。

 もしも雨が降っていなければ、森に住む獣相手にも逃げ回る必要があっただろう。あいつらは血の匂いに敏感だ。

 ある意味では、俺は運が良かったのか?

 だが冷たい雨は体力を奪う。この雨、じきに止んでくれるか?

 それともこのまま、どこかで倒れたとき、俺は死ぬんだろうか? だとしたら、なんて情けない最期だ。結局、俺を自由にしてくれるのは、もしかすると“死”だけなのかもしれん。まだ今のところ、まだその気にはなれんけどな……

 夜の闇もじきに迫ってる。どこか、雨だけでもしのげる場所を見つけなければ。

 とにかく、進むことだけ考えながら進むしかない。

 雨はそれでも多少落ち着いてきたようだ。もしかすると夜には止んでくれるかもしれん。

 そして突然、視界が開けたかと思うと、まるで広場のように平らで開けた場所に出た。芝生がきれいに整えられていて、その中心の位置に、それなりの建物の屋敷があった。

 なんとなく奇妙な印象を受ける場所だ。

 突然として現れた森の中の館。その屋敷の住人がどんな奴なのか見当もつかないが、今は贅沢を言える状態じゃない。

 少なくとも、貧乏で卑しい人物が住んでいるようなところだとは思えんな。こんな場所に、こんな屋敷を建ててるなんて、並みの財力じゃ無理なはずだ。

 だが、こんな場所の屋敷に住んでいるのは、相当な変り者には違いない。他者との交流が嫌いな偏屈野郎が住んでいることだってあるかもしれん。

 選り好みはしていられない。夜だってすぐそこまで迫ってる。

 俺は屋敷の玄関まで進み、ドアノッカーを叩いた。

 が、もう限界だ。立っていられなかった。

 その場に跪いて、身体を起こしているのも限界で、這いつくばった。そして扉が開いて、そこに人影がみえた。

 住人だ。誰かがここに住んでる。そこで俺の視界は暗転した。

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