乱入、そして新たな虎たち
プレゼンがまとまり、志願者・みみずくが椅子の前で仁王立ちになったまま、場に漂う熱をそのまま抱え込んでいる。虎たちは条件付きの提示を終え、収録は「成立」の拍手へ雪崩れ込む――はずだった。
その時、照明が一段落ち、スタジオの空気がひやりと反転した。カメラの赤ランプが規則性を失って点滅する。司会は台本のページをめくる手を止め、インカムの向こうへ小声で指示を求めたが、返ってきたのは乾いた一言だけだった。
『予定変更。追加の虎、入場』
扉が乱暴に開く音が響く。白い光の向こうから三つの影が現れ、観覧席にざわめきが走る。
「俺は虎七。名は明かさない」黒いマスク、標準仕様のスーツ。声は冷たく、言葉は短い。「甘い空気は嫌いだ。数字で殺しに来い」
「どうも〜! 僕らはキャンパスラボです!」二人組のクリエイターが軽快に手を振った。大学・受験・キャリアの“学びエンタメ”を武器に成長した新進の教育系コンテンツチームだ。場慣れした笑顔、テンポのいい相づち、観衆の呼吸を一拍で掴む。
「私は虎九だ」最後に一歩進み出たのは和装の老紳士。しわ一つない袴に白髪のオールバック。瞳の奥に遠い季節の景色を湛え、静かに言い添える。「流行は消える。文化は残る。見るのはそこだ」
拍手にも似たざわめきの中、みみずくは視線を逸らさなかった。仁王立ちの足幅は肩と同じ。背すじは糸のように正しく伸び、呼吸は浅いが乱れていない。沈黙は失礼になりかねない――そう理解した上で、それでもなお沈黙を選ぶ顔だ。
最初に動いたのは虎七だ。「二時間黙っていた? その伝説、ここでは無意味だ。投資は沈黙でなく、合意で動く。初期投資の内訳を一円単位で。設備、内装、音響、防音、人件費、広告、運転資金――合計は?」
飲食社長も追随する。「学生を主戦場にするなら客単価五千は重い。分解してくれ。ドリンク比率、フード構成、滞在時間、回転率、席効率。具体だ」
ベンチャー社長は肘を組み、にやりと笑う。「とはいえ、変なやつは嫌いじゃない。俺は“異常値”に賭けるタイプだ。続けろ」
キャンパスラボの二人がパッと手を挙げる。「僕らの視点を言わせてもらうと、学生は“安くて、面白くて、居心地がいい”が最強なんです。ワンドリンクで長時間粘る? 全然アリっす。その代わり“撮れる”。自分が何者か確かめられると、財布は自然に開く。そこに“学びと笑い”が乗れば、SNSで勝手に広がる」
老紳士――虎九は、少しだけ目を細めた。「居心地を売るのは難しい。だが、できれば強い。三百年先に残るのは、“場所の記憶”だ。店の匂い、カウンターの手触り、壁面の影――そういう物理が、言葉以上に人を呼び戻す」
視線が一点に集中する。みみずくは、そこでようやく口を開いた。
「――設備八百。内装四百五十。音響・カメラ二百。防音・防振百五十。広告百。運転資金二百。合計一千九百。自己資金九百、希望一千」
「増えたな」虎七が即座に拾う。
「甘い見積もりは現場を殺すから、先に上げておきます」みみずくの声は落ち着いていた。「学生デーは客単価三千。配信体験千円、利用率三割見込み。常連化は“その場で短尺編集→投稿”を支援して定着率を高めます。スポンサーは音響・飲料。仮のメニューは提出済み。後日覚書を取ってきます」
キャンパスラボが頷く。「現場で“編集支援”は刺さる。お金のない学生ほど、時間と手間を課金で解決する。“一時間で一本出せる”は神です」
「騒音は?」飲食社長。
「会員制+身分証。泥酔者入場不可。配信は店内モニターで常時監視。規約に違反したら即停止。クレーム窓口は外部に委託」
「悪くない」ベンチャー社長が短く言った。「だが、最後に聞く。君が売るのは“何”だ?」
みみずくは、胸の前に手を重ね、まっすぐに言った。
「――“間”です。沈黙と、そこに生まれる決断の瞬間。撮るか、飲むか、語るか。空白があるから、人は動く。俺は、空白を設計して売る」
その言葉に、スタジオが一拍、静まった。
誰も笑わず、誰も茶化さなかった。言葉の輪郭がはっきり見える瞬間。虎九が小さく息を整え、重い声を落とす。
「よかろう。続けなさい」
続けるはずだった。だが――壁が、突然、軋んだ。鋼材がきしむ音。照明が跳ね、床が震える。司会が立ち上がり、あらぬ方向へ手を伸ばす。
「――敵、入場!」