傾く司会、揺れる世界、そして選択
司会の身体が斜めになった。最初は気のせいかと思われたが、すぐに誰の目にもわかるほど角度がついていく。四十五度、六十度――九十度寸前で、司会は咄嗟に演台を掴んだ。
「し、司会が斜めになってるぞ!」飲食社長の声が素に戻る。
観覧席から笑いとも悲鳴ともつかないざわめき。スタッフがマイクスタンドを押さえ、カメラは自動レベリングを切って物理の傾きをそのまま映す。
世界が、傾く。
システム障害なのか、演出なのか、異常なのか、誰にも判別できない。だが――番組は続けなければならない。司会は片膝を床につき、斜めのまま胸元のマイクを握った。
「……続けます。志願者・みみずくさん。世界が傾いても、客は来るんでしょうか?」
スタジオに笑いが走る。緊張を解く正しい一言だった。
みみずくは頷き、視線をまっすぐ司会に返す。
「来ます。傾きは“話題”であり、“物語”です。入店前の注意、店内導線、避難経路――現実の“傾き”には対策を。比喩の“傾き”には文法を。どちらも設計できる」
「なら、選べ」虎七が前のめりになる。「ここで締めるか、もう一段、賭けるか。出資は集まっている。無理に盛る必要はない」
**キャンパスラボ**が肩を竦める。「でも盛った方がバズるのも事実っす。学生は“伝説の初日”が大好き」
虎九は目を閉じ、数拍の沈黙を置いた。「派手さは短命を呼ぶ。だが、まったくの無風も定着を阻む。――志願者。あなたはどちらに振る?」
みみずくは一度だけ深く息を吸った。
長い日だった。奇行も、交渉も、敵も、復活も、世界の傾きさえも飲み込んだ。
その先で、彼が選んだのは――
「初日は静かにやります」
はっきりと、迷いなく。
「派手さは“月一の祭り”に集約。初日だけは“文法”を置く日にします。入店、撮影、編集、投稿、称賛、帰宅――この流れを、スタッフが伴走して“気持ちよさ”として記憶に刻む。バズは、文法の上に乗れば腐らない」
ベンチャー社長が笑った。「いい。やっと“経営の声”が出た。俺は条件付き百を二百に増やす。会員百名達成の期限は三ヶ月のまま。バズ施策は祭りの日に限定だ」
「フードは俺に任せろ」飲食社長も頷く。「“喉が乾かない食事”で回遊を止めない。試作は三日で出す」
「覚書は私が取る」IT社長。「音響と飲料は当てがある」
「制服は作る」アパレル社長。「“場所の顔”だ。初日に間に合わせる」
キャンパスラボは拍手し、ホログラム越しに親指を突き出した。「初日の裏方、僕らもやりますよ。『はじめて撮った日』って人の背中を押すの、得意なんで」
金持ち父さんが、うっすらと笑みを見せた。「祭りの日には、呼べ」
司会は――まだ斜めのままだったが、声はまっすぐ立っていた。
「それでは――最終決定に入ります」
各虎の前のパネルに、青いランプが灯っていく。
ひとつ、またひとつ。
条件付き、期限付き、監視付き。だが、確かな“青”だ。
最後の一つが点いた瞬間、照明が正位置に戻った。司会の背中がすっと起き上がり、演台から手を離す。世界は、ようやく水平に戻る。
「成立――!」
拍手が爆ぜた。
みみずくは深々と頭を下げた。虎たちの視線は鋭いが、温度があった。
この日、番組史上もっとも“揺れた”収録は、きちんと一本の“成立”という線で結ばれたのである。




