悪魔の遊戯盤 ―演繹城に仕掛けられた三重の罠―
その話を聞いていた黒弥撒は腕を組みながら小刻みに足を動かしている。
「ふ〜ん、凄い推理だね。今時、鋼鉄線を使いそれで人を殺すなんてするのかな?凄く面倒だよね。どうせ殺すならもっと手っ取り早い方法があるのに…」
確かに、ルナルナ17の殺害方法はいろいろと面倒なことばかりである。後ろから近づいてナイフで刺してしまえば終わりなのにわざわざメリーゴーランドに乗せそして鋼鉄線を下ろして首を刎ねる。こんなに面倒なことはない。何故、このような面倒なことをする必要があるのか?莉理香の考えはこうである。
「ルナルナ17さんはメリーゴーランドに乗る前に既に殺されていたのよ。彼女は誰よりも早く現場にやって来る高速の探偵。その彼女が遅れて登場するわけがない。だから一番早く現れて最初に殺されたの。首を切られてね。あのメリーゴーランドでルナルナ17さんのふりをして乗っていたのは黒弥撒、あなたよ。それにね乗馬経験のあるルナルナ17さんがメリーゴーランドの馬の上で鋼鉄線の餌食になるはずがないもの」
「なるほど、じゃあどうやってあのメリーゴーランドの上に首切り死体を置いたのさ?」
「それは簡単よ。メリーゴーランドの中央は回っていない。そしてそこに立っていたのは黒弥撒のフリをした死んだルナルナ17さんだったの。黒弥撒は仮面をかぶっているしマントをしているから変装は可能?」
「でもさルナルナ17は死んでるんでしょ?なのに彼女は立っていたわけだよね?死んだのに立っているって可能なのかな?」
「立ったまま死ぬというのは医学的にありえる現象よ。有名なのは弁慶の立ち往生ね。弁慶の立ち往生は強硬性死体硬直という現象によるものだと言われているわ。これは激しい筋肉疲労や精神的衝撃、頭部射創による即死などによって引き起こされる現象よ。もちろん通常人が死んだ後はある程度時間が経過してから死後硬直が始まるわ。けどね前述した通りのような死因の場合死亡直後にこの硬直が始まり立ったまま死ぬということもありえるのよ。ルナルナ17さんは首を切られて死んでいたし頭部に激しい創傷があったわ。つまり激しい精神的衝撃や頭部創傷があったと推察できる。だからこそ死んだ瞬間に死後硬直が始まり立ったまま固定されたってわけ」
「ふ〜ん、でもルナルナ17の服はどうやって揃えるのさ?君の推理だとルナルナ17の服が2セット必要だ。変装した僕の服そして死んだルナルナ17に着せる服。だってメリーゴーランドで死んでいたルナルナ17はちゃんと服を着ていたからね」
「ルナルナ17さんは探偵として活動する時の勝負服があった。それは雑誌やテレビで確認できるわ。だから同じ服を揃えるのは理論的には可能よ」
「仮にルナルナ17の姿に僕が化けていたとすると僕は再び黒弥撒に戻る必要がある。いつ戻ったって言うんだい?」
「それもよく考えれば簡単。あのメリーゴーランドは高速で回っていた。だからその動きが止まった時、私たち探偵は目が回って周りを確認できなかった。その隙をつきあなたは中央に立っていた黒弥撒の格好をした首を切られたルナルナ17さんとすり替わった。あのメリーゴーランドの馬には内部にものをしまえるスペースがあったわ。そこに予めマントを隠して置いて、メリーゴーランドが止まってからすぐにマントをかぶり、黒弥撒に化けた死んだルナルナ17さんをメリーゴーランドの上に転がしたってわけ。仮面はルナルナ17さんがつけていたものを後でつければ問題ないし頭部の創傷も仮面で隠せるってわけ」
「そうかい。君の推理だと最初からルナルナ17が死んでいて黒弥撒の格好をしていて僕がルナルナ17の姿をしていると言うけど、実際に黒弥撒の格好をしたルナルナ17は僕の声で話していたよね。それはどう説明するのさ?」
「黒弥撒の姿になった死んだルナルナ17さんにマイクを付けて置けば問題ないわ。事実、メリーゴーランドの時の黒弥撒の声はどこか機械的だったからね。マイクはメリーゴーランドが停止してからルナルナ17さんの遺体を転がしてから回収すれば証拠はなくなる」
「凄い推理だね。どうして何もないところからそこまでのことが考えられるんだろう。でも確かにその考えはあってるよ。僕は探偵や刑事を殺害するためにはやはり特別な仕掛けのもと殺すのが一番効果的だと考えたしルナルナ17は誰よりも早く現場に登場する探偵だからそれを逆に利用させてもらったんだよね。もちろん演繹城を使ったトリックも色々と考えたんだから」
面白可笑しく言う黒弥撒。その口調からは反省の色が微塵も感じられない。悪魔は悪魔だ。人を殺すことに躊躇するわけでも後悔するわけでもない。
「ルナルナ17さんが選ばれたのは偶然か必然か?あたしはずっとそれを考えていた。だってあれだけの高速で回るメリーゴーランドなのだから普通に考えれば特定の人物を狙うのは難しい。最初に考えた鋼鉄線を使うトリックはあれだけ高速に回っているメリーゴーランドの上では使いづらい。というか無理でしょうね。第一、鋼鉄線で首を切れば切断面はもっと荒れるはずだしね。それにね、仮に生きた状態で首を切れば血が噴き出るはずなのにメリーゴーランドの上にいたルナルナ17さんの遺体は血がほとんど出ていなかったわ。それはつまり予め殺されてそれから首を切られたってことを意味しているの」
莉理香はズバリ言う。限られた情報の中から真実を目指して突き進む姿は茉莉香にとっての憧れである。同時に、初めて見た彼女の推理に尊敬の眼差しを送っていた。
開示されている情報はほとんどない。そんな絶対的に不利な状況であるのに莉理香は推理を進めていく。まさに推理するために生まれてきたかのようである。否、その表現はあながち間違いではないのかもしれない。黒弥撒は冷静さを見せていたが、仮面の中では舌を巻いていたに違いない。
それくらい今の莉理香は活動的である。とてもではないが、消える前の人格とは思えない。莉理香は一旦言葉を切ると茉莉香を見つめる。見つめられた茉莉香はどう反応していいのか判らずにただ黙り込む。一つだけ言えるのは莉理香という存在が凄いということである。
よくよく考えれば今まで茉莉香は莉理香の推理を生で聞いたことがない。なぜなら莉理香と人格を交代している時はその記憶がないからである。だから、莉理香を知るには彼女が解いた事件のニュースを見るか新聞記事を読むかしかない。故に、莉理香がどのように推理を展開し事件を解いてきたのか判らないのである。
なんとなく想像はしていた。きっとカッコよくアニメのようにそして漫画や小説のように事件を解くに違いない。茉莉香はそう想像していた。まさにその通りだ。自分が想像していたよりも遥かに上のことが今目の前で展開されている。
「ルナルナ17さんがメリーゴーランドで殺されたのではなく事前に殺されたとされる証拠はあるのよ」
莉理香は言う。
すると黒弥撒は腕を組みながら
「一体何なのさ?」
「さっきも簡単に説明したのだけど死後硬直よ。あたしがルナルナ17さんの遺体に触れた時、殺されたばかりのはずなのに既に全身に死後硬直が始まっていたわ。通常死後硬直は死後二時間程度経ってから起こるわ。もちろん条件により早まるケースもあるけど通常はこのくらいね。この死後硬直が意味するのはルナルナ17さんが事前に殺されたということと先も言った通りの理由で瞬時に死後硬直が始まり立ったまま固まったのだと推察できるわ」
茉莉香はキッと口を噤み莉理香を見つめる。横に立つ莉理香は当然茉莉香の視線に気づく。興味津々に茉莉香は自分を見つめている。莉理香はスッと笑みを零し再び推理を始める。
「ルナルナ17さんの次に殺されたのはくそったれ魂さん。彼は床がゴム状の不可解な部屋で殺されたの。あの時、あたしたちは全員別々の部屋に入っていた。部屋と部屋は繋がっていないから完全な密室状態だと言える。同時に、あの部屋は回転するという奇妙な特徴を持っていた」
黒弥撒は莉理香の言葉を聞くなり直ぐに反論する。
「回転?どうしてそんなことが判るのさ?部屋が回転するなんて聞いたことがないよ」
「それはそうよ。あたしだってここに来るまで回転する部屋なんて聞いたことがなかった。だけど事実回転する部屋は存在したの。その部屋の中でくそったれ魂さんは無残にも殺された」
茉莉香はそこでくそったれ魂の無残な遺体を思い出し吐き気を催す。そう、くそったれ魂はズタズタに引き裂かれていたのである。あんな殺し方をするなんて犯人であろう黒弥撒はどうかしていると思えた。しかし、あの絶対的な密室の中で一体どうやってあそこまでのダメージを与えたのであろうか?
「部屋が回転するというヒントは茉莉香の言葉の中にあった」
いきなり自分の名前が飛び出し驚いた茉莉香は目を大きく見開き莉理香の次の言葉を待つ。黒弥撒も顎に手を当てながら口を閉ざしている。
「回転する部屋であたしは不覚にも人格を茉莉香と交代してしまったの。いつもなら事件の最中はずっとあたしが表の世界に出ているのだけど今回はちょっと事情が違った。そのためにあたしは部屋のすべてを見ていない。あたしと人格交代した茉莉香は部屋にトビラがなくなっていたと証言している。部屋のトビラを何かと見間違えないわ。となると、やはりトビラは消えていたと考える他ない」
「で、でも…」不意に茉莉香が口を挟む。「あ、あたしの見間違いかもしれないよ。トビラが消えるなんてよく考えたらおかしいもん」
「いいえ」莉理香は茉莉香のほうに向き直り「確かにトビラは消えたのよ。それは部屋が回転するから。回転しトビラは一時的に見えなくなっていた。でも部屋が回転するのならばトビラの位置が変わり一時的に見えなくなるということはありえる。恐らくあの時トビラは部屋の反対側の壁に動き茉莉香の視界から消えていたの」
「ちょっと待ってよ」それまで黙っていた黒弥撒がようやく声を出す。「部屋が回転するのは判った。だけど、どうして回転させたんだろうね?それには何か意味があるのかな」
「当然意味はあるわ。でなければこんな不可解なことをしないもの。部屋が回転するのはくそったれ魂さんを殺害するため。くそったれ魂さんの部屋はオール乱歩さんの部屋と六郎ピラミッドさんの隣にあったわ。あたしの隣はオール乱歩さん。あたしの部屋もオール乱歩さんの部屋も回転するのよ。あたしたち全員の部屋は歯車のような役割を持っていてくそったれ魂さんの部屋を高速で回転させるように仕組まれているの」
莉理香はそこまで言うと一旦言葉を切る。部屋と部屋が回転することで新たに部屋を回転させる。何とも不可解な方法である。一体何のためにこんなことをしたのだろうか?茉莉香も黒弥撒も黙り込んでいると再び莉理香が言葉を継ぐ。
「あたしたちの部屋がそれぞれ歯車になっていて部屋を回転させた。もちろん高速でそれを回すことで部屋を高速で回転させられる。あたしたちの部屋はくそったれ魂さんの部屋を回転させるために動いていたに違いないわ」
「部屋が回転するのは判った。だけど、どうしてそんなことをする必要があるのさ。なかなか面倒なことだよね」
と、黒弥撒が言う。
言うことは尤もであるが、莉理香は特に慌てる素振りを見せずに反論する。
「部屋を回転させその遠心力を利用してくそったれ魂さんを殺したのよ。簡単に言えば、くそったれ魂さんが殺害された時あの部屋は洗濯機のようになっていたはず。つまり、超高速で回っていたのよ。だからこそ、くそったれ魂さんの遺体は奇妙にねじ切れてズタズタになっていた」
「でもさ、本当に部屋を回転させるなんて出来るのかな?難しいと思うけど」
「演繹城というからにはそのくらい可能でしょう。床がゴムだったのも、部屋が回転する際の衝撃を抑えるための工夫だったろうし部屋に全く家具がなかったのも回転する上で家具が動くのを防ぐためだと言える。あたしの部屋とオール乱歩さんの部屋が回転されることで簡単に言えばネジを巻いた状態になっていたのよ」
「なるほどね…君は本当に凄い探偵だね。どうしてこれだけ僅かな情報からそこまで事件を紐解けるんだろう。全く凄いことだよ。でもさ、どうしてくそったれ魂さんを狙ったんだろう?洞窟では個々に部屋が割り当てられていた。それはつまり、最初からくそったれ魂さんを殺そうと考えていたってことだよね?」
確かにその通りである。部屋が決まっていた以上くそったれ魂は狙い殺された可能性が高い。しかし、どうしてくそったれ魂が選ばれてしまったのであろうか?
莉理香はそればかり考えていた。情報は少ないがそれでも莉理香は考えている。くそったれ魂が選ばれたのには何か理由があるはずである。
「くそったれ魂さんが選ばれたのには理由がある…」
「理由?それはどんな理由なのかな?」
「くそったれ魂さんはトリック崩しのくそったれ魂と呼ばれていた。それだけトリックを崩すのに命を懸けていた探偵なの。演繹城で起きた殺人の中で一番物理的なトリック度が高いのはどう考えても回転する部屋よ。通常、回転する部屋なんて考え付かないしその遠心力で人を殺害するなんて信じられない。その不可能を可能にしたのが今回の回転する部屋なの。黒弥撒、あなたはトリックを使うという名目上くそったれ魂さんを狙い打ったのよ。トリックを解決するのが上手い人間にはトリックで葬り去る。それがあなたの考えだった。だからくそったれ魂さんはあの部屋で殺されることになった」
莉理香が一気に語ると黒弥撒は質問を飛ばす。
「百歩譲って部屋が回転することは認めよう。だけど、果たしてその遠心力だけで人を殺害するだけの力が出るのかな?くそったれ魂はどうやって死んでいた?それを思い出して欲しい」
「そうね、くそったれ魂さんはズタズタに切り刻まれて殺されていた。通常、部屋が回転するだけではそこまでの力は出ないかもしれない。だけど、ミキサーを想像してみて頂戴。ミキサーに果物を入れてスイッチを入れると果物はズタズタに切り刻まれジュース状になる。あれと同じ現象がくそったれ魂さんの部屋に起きたのだとすれば…部屋の壁は一面血で染まっていたし部屋の壁に鋭利な刃物を出現させるくらいわけないはず…会田誠の描いた『ジューサーミキサー』のような部屋が実際にあると考えればくそったれ魂さんをあのように殺害することは可能」
淡々とそして冷静に話す莉理香。黒弥撒と茉莉香はそれを黙って聞いている。特に茉莉香は莉理香の推理を生で聞けるということもありどこかしら興奮していた。今まで新聞やテレビでしか知らなかった莉理香の推理。自分の中に住んでいるのにもかかわらずその推理を聞いたことはなかったのである。そんな莉理香の推理を聞き茉莉香は深く感動していた。自分の想像していた通りの姿がそこにはあるのだ。
自分にはとてもではないが真似出来ない。瓜二つの存在がここまで超絶的な推理を展開することに対し茉莉香は深く興奮した。きっと莉理香なら今回の難題も解決してくれる…そう思ったのである。
対して莉理香はルナルナ17とくそったれ魂の殺害方法を説明した後、その鋭い瞳で黒弥撒を睨みつける。黒弥撒は特に動こうとはしない。ただ平然としたまま状況を見守っている。果たして莉理香の告げた推理は正しいのであろうか?
「ミキサーの部屋か…」黒弥撒は言う。「かなり突飛なトリックを考えるね。まさに脱帽だよ」
「そうかしら?ミキサーの部屋なら作ることは可能よ。なにしろ演繹城なのだから。くそったれ魂さんの遺体がジュースにならなかったのは部屋が大きすぎるからそれと部屋に設置された刃物だけでは遺体を傷つけるのが精一杯でとてもではないけど骨を砕くまでの殺傷力がなかったと推測できる」
人間をミキサーにかける…どこまでも恐ろしいことである。全くをもって人間の想像するようなことではない。やはり黒弥撒は悪魔である。悪魔にしか考え付かないようなことを行っているのだから。
確かに人間を粉々に砕くことを試みた殺人鬼は存在する。皆、頭のネジが吹っ飛んだ異常者である。つまり、黒弥撒も異常者なのだ。ここで止めなければならない。莉理香や茉莉香の力だけで止められるのか判らないのだけれど。
「こうしてくそったれ魂さんは殺された。死因は言わずもがな失血死。あれだけ傷つけられたんだもの大量の血が流れ出たはず。その証拠にくそったれ魂さんの部屋は大量の血で塗ったくられていたもの」
「なるほどね」黒弥撒は言う。「素晴らしい推理だ。惚れ惚れするよ。どこからそんな考えが浮かび上がるんだい?まるで条件が整うとすべてを悟る…清涼院流水のJDCの探偵みたいだね。特殊な力を持つ探偵。それが莉理香ちゃんか」
「残念ながらあたしにある特異な力は事件を引き寄せるということだけ。すべてを悟るなんて力は持ち合わせていないわ。今回の推理だってほとんどが想像だもの。…それで、くそったれ魂さんの殺害はこれであってるの?」
強気な口調で尋ねる莉理香。黒弥撒はというと仮面越しにクスクスと笑いながら莉理香と茉莉香の両方に視線を注いだ後ゆっくりと喋り始める。
「見事だとしか言いようがない。ルナルナ17殺しもくそったれ魂殺しもぴたりとあってるよ。僕が用意したトリックをこうもあっさりと看破されると嬉しいというよりも不気味だよね。君は本当に稀有な存在だと思うよ」
「あってるのならそれでいいの。あたしは推理をして茉莉香の精神状態を安定させるのが目的だから。さて、次にいきましょうか。くそったれ魂さんの次に殺害されたのは刑事のオール乱歩さん。彼は洞窟で氷の岩に踏み潰されて殺された」
圧死体。そのフレーズに茉莉香は嗚咽を吐く。オール乱歩の遺体も酷い有様だったのである。氷の岩に押し潰され完全に即死であっただろう。
「だけど…」莉理香は言う。「あの洞窟には不可解な点がたくさんあるわ。あたしが見た中でも何点かおかしな点がある」
すると黒弥撒が尋ねる。
「おかしな点ねぇ。一応聞くけどそれって何?」
「まず一つ目は洞窟の大きさと岩の大きさがほとんど一緒ってこと。これは絶対におかしいわ。大きさがほとんど一緒なら岩が転がるわけがないし岩は人が挟めるくらい少し浮いていたわ」
「ふ~ん、確かにそうだね」
「不可解な点その二は洞窟が人工的に作られたということ。洞窟の壁と地面の間には隙間があるの。どうして隙間があるのかしら?これは一つの可能性を示唆している」
「一つの可能性?何のことだい?」
「簡単よ」莉理香はずばり言う。「あの空間は床が動くの。巨大なルームランナーと言えば判りやすいかしら。つまり、岩が動いていたのではなく地面が動いていたのよ。となると、オール乱歩さんは転がる岩に巻き込まれたのではなく動く床に巻き込まれたということになる。あの時、全員はパニックになりとてもではないけど状況を把握出来なかった。岩が目の前に迫ってくれば普通は岩が動いていると考えるわ」
「岩はじっと動かなかったということか。なるほど、洞窟を巨大なルームランナーと見立てる点は流石だよ」
あの洞窟には異様なことがありすぎて把握するのが難しい。それでも莉理香は微細な情報を頼りに超絶的な推理を展開していく。この謎が全て解けるのか?茉莉香は不安になったが、その不安を莉理香は一掃する。
「あの洞窟が人工的に作られたのは間違いない。それにあの洞窟はとても寒かった。まるで冷凍庫の中にいるような感じね。さらに言うと、あの巨大な岩は氷でできていた。あたしたちが洞窟内に入ったところを見てあなたはルームランナーを起動させた。最初岩が迫ってくると錯覚したけれど実は床が動いていたの。だから走っても走ってもなかなか先に進まなかったし天井や壁に傷がなかったのよ。仮に洞窟の幅と同じくらいの岩が動けば、天井や壁に亀裂が入るだろうし、第一そんなにピッタリ同寸だったら動くはずがない」
莉理香はここまで言うと一旦中休みをする。莉理香の静かな呼吸の音が聞える。黒弥撒と茉莉香が黙って莉理香を待っていると莉理香は再び言葉を継ぐ。
「岩ががっちりとロックされれば確かに床は動かないわ。仮に動いたとしても人を押しつぶすことはできない。岩に叩き付けられるだろうけどね。この問題を解決にするには岩を予め持ち上げておく必要がある。事実、あたしたちが最初に岩を見た時それは人が横になって入れるくらいに浮いていた。そしてルームランナーが動き出したのと同時に急激に洞窟内の温度が上昇し氷の岩が溶け始めた」
「氷の岩を予め少し上げておく。これも事実だったら凄い話だよね。ほとんど天才的じゃないか…」
黒弥撒はそう言うとケラケラと笑う。場違いな笑い声に莉理香も茉莉香も気分が悪くなる。この場で笑える神経が判らない。
「浮いた岩の隙間にオール乱歩さんは挟まれた。あとは室温が上昇し氷の岩が溶けてオール乱歩さんを押し潰したのよ。これがあの洞窟のカラクリ。恐らく、二つの洞窟に分かれていたのは第二の洞窟を歩き始め一定時間が経つと床が動き室温が上昇するようなカラクリになっていたからだと推測できる」
「で、でも…」不意に茉莉香が口を挟んだ。「あの洞窟の部屋では誰が殺されてもおかしくなかったよね?そ、そのつまりあたしが巻き込まれてもおかしくはなかった。黒弥撒はルナルナ17さんやくそったれ魂さんは狙い殺しオール乱歩さんだけは偶然に殺された。これってなんかちぐはぐな気がするんだけど…」
茉莉香の問いに室内が一瞬静まり返る。場違いな質問をしてしまったと茉莉香は小さくなったが、莉理香はにっこりと笑い茉莉香をとりなす。
「いいところに目をつけたわね」莉理香は言う。「確かに今まで計画的に殺害しておいてオール乱歩さんだけは偶然殺したなんてことはありえない。あの時、黒弥撒はオール乱歩さんを殺害しようと試みていたはず。つまり、オール乱歩さんは狙い殺されたのよ」
「で、でもどうしてそんなことが出来るの?聞いた感じだと皆あの時は必死だっただろうし誰か特定の人物を狙い殺すなんて難しいと思うけど」
「確かにそうね。事実、最初あたしは足の遅いあたしを救うためにオール乱歩さんが犠牲になったと考えたわ。でもね、実は違うの。オール乱歩さんがあたしを助けるかどうかは予め黒弥撒には予測できない。茉莉香、思い出して頂戴。あの時、一人の人物に異変が起きていたの」
「…異変?」
わけが判らず茉莉香は鸚鵡返しに問い返す。異変が起きていたのはどういうことなのだろう?あの状況下では全員に異変が起きていたと言えるのではないか?
「そう、異変よ。黒弥撒の特殊な力を考えれば自ずと答えは出るわ。黒弥撒は人格によって体の形態を変えられる」
莉理香の言葉に茉莉香は懸命に考えを巡らせる。黒弥撒の異様な力…それはつまり
「そうだ。オール乱歩さんが殺された後、六郎ピラミッドさんに黒弥撒が乗り移ったって莉理香が言っていたわ!」
「ビンゴ。つまりね、黒弥撒は自在に人格を生み出しその人格通りに形態を変化させられる。だから六郎ピラミッドさんと同様の人格を生み出しそれに変化してオール乱歩さんに近づく。それと同時にあの高速で動く洞窟の床でオール乱歩さんを転ばし岩の餌食にしたってわけ。あの時、あたしたちは岩から逃げようと必死で周りに気を配れなかったからね。無我夢中で逃げていたわ。その死角を突かれたってわけ。事実、第二の洞窟で氷の岩に襲われた時あたしたちは抜け道に逃げ込んだ。でもその時六郎ピラミッドさんがいなかったわ。それはオール乱歩さんを襲っていたからなのよ」
「なるほどね」黒弥撒が声を上げる。「僕の人格形態変化の能力を使えば六郎ピラミッドに化けてオール乱歩を狙い打って殺すことは可能みたいだね」
莉理香は視線を茉莉香から黒弥撒に変える。
「それに第二の洞窟でムチ打ち男爵さんやルールズさんが先に進んだ時、あたしは第一の洞窟のトビラが開くか確認したわ。そうしたら開いていた。確か、このトビラが閉まっていたかどうか確認したのも六郎ピラミッドさんだっだ。恐らくあたしたちが第二の洞窟に入った時実は鍵は閉まっていなかったのかもしれないわ。まぁ今となってはどうしようもない話なのだけど」
「流石だね。僕の能力を見抜き推理するなんてね」
「そうね、それだけ人格形態変化には強い力がある。ゲームのチートコードに近い悪魔の力ね」
自在に人格を生み出しその形態を変化させられればその能力の幅は無限大になる。彼は悪魔に愛されていたとした言いようがない。この無敵の力は本当に悪魔的である。まさに警察や探偵たちを葬り去るために悪魔が与えた力のように思える。しかし過ぎたる力は人を狂わせる。だからこそ黒弥撒は狂いこんな陰惨な事件に手を染めてしまったのだろう。
莉理香はしっかりと黒弥撒を見つめて佇んでいる。黒弥撒も同じだ。仮面をかぶっているため何を見て感じているのかはさっぱり判らない。莉理香と黒弥撒の背丈はほとんど同じくらいだ。体型も似ている。それと同時にお互いが実態を持たない人格という存在。この世に生を受けた人間ではない二人がこうして火花を散らしている。どこか不思議だ。物語の世界の話だ。
これは本当に現実なのか?茉莉香はパチンと顔を叩く。夢なら早く覚めて欲しい。そうすればこの世界から抜け出せられる。しかし、そんなことにはならない。いくら顔を叩いたところで夢から覚めずただ顔面にピリリと痛みが残っただけである。
「莉理香ちゃん、君はすごいや」黒弥撒が言う。「ここまで超絶的な推理を展開できるとはね。君は推理の天才だよ」
問われた莉理香は平然と表情を崩さず
「ねぇ、霊魂ってあるでしょ?」
突然オカルト的なフレーズが出てくる。
霊魂というのは死んだ人間の魂ということだろうか?
「知ってるよ。君はまさか信じているの?冷静沈着の現実主義者、莉理香ちゃんがそんなものを信じているとは意外だよ」
「そんなことはないわよ。信じる信じないの前にあたしたちの存在そのものがありえないことだもの。霊魂というものがこの世にあったとしてもおかしくはない。同時に、人格形態変化は霊魂と似ているのかもしれない」
莉理香はフンと鼻を鳴らし一旦視線を黒弥撒から外す。それを見た茉莉香は胡乱げに口を開く。
「莉理香、霊魂ってどういうことなの?」
「簡単に言えば死後の魂みたいなもの。茉莉香、あなたはそれを信じる?」
キョトンとした瞳で莉理香を見つめる茉莉香。霊魂を信じるかと言われても信じられるわけがない。確かに別人格というものは存在する。それは自分がよく知っている。しかし、霊魂なんてものはないだろう。そんなものがあればきっと現実世界はもっとごちゃごちゃになるだろうし、何よりも…
「多分だけど」茉莉香は言う。「そんなものはないと思う。だって霊魂があれば今回の事件で死んだ人たちの声を聞けるだろうし何によりも探偵が必要なくなるよね?」
探偵が必要なくなる。その言葉を聞いた莉理香は仔細ありげな表情を浮かべ
「そうね。茉莉香の言うとおり霊魂が存在するならこの世界で流行るのは探偵という職種ではなく霊魂を感じ見られる霊媒師や占い師といった類の人間かもしれない。でも現実ではそんな風にはならなかった。それはつまり、霊魂が存在しないからだと思う。でも、今はそれはどうでもいい。少なくとも黒弥撒は霊魂という存在を信じていないし、仮にあったとしてもそれを自在にコントロール出来ない」
「当たり前だよ」茉莉香と莉理香の会話に黒弥撒が割って入って来る。「霊魂なんてあるもんか。そんなものは物語の中だけの話だ」
「そうね、あたしもそう思う。まぁあたしたちのような存在が言うことではないのかもしれないけれど」
そう言うと莉理香は物憂げな面持ちになる。何か酷く悲観しているようにも見える。やがて来る自身の消滅を予期し嘆いているのであろうか?流石の莉理香であってもやはり消滅は恐怖を感じさせるのだろうか?
黒弥撒は淡々と話を聞いている。表情は判らないが驚きに満ちているのだろう。肩が小刻みに震え何となく衝撃を受けているように思える。




