境界の邂逅 ―二つの魂、ひとつの真実―
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(これって、もしかして)
茉莉香は直ぐに気づく。この感覚は人格が交代する時のものとよく似ている。真っ暗闇の中、突如針の穴のようなか細い明かりが見える。それはどんどんと闇を侵食し光り輝いていく。やがて光り輝く空間に一人の人間の姿が見える。自分とそっくりの人間である。全く服を着ておらず生まれたままの姿をしている。よく見ると自分も裸だ。しかし、全く恥ずかしさを感じない。
むしろ心地いい。体が液体となり溶け出しているような感覚が広がる。茉莉香は目の前に立つ少女の許に近づく。自分ではそれが誰なのかはっきりと判る。初めて見るようでいつも見ているような…彼女は恐らく莉理香であろう。そう確信していた。茉莉香は莉理香と会うのは回転する部屋での一件以来だ。だから、自分とほとんど変わらないのだけは判っている。
自分の中に住むもう一人の人格。不思議な感覚である。どうして莉理香という人格が生まれたのであろうか?その理由は殺人事件に出くわして茉莉香の精神が耐え切れなくなりその代わりに生み出したのが莉理香ということになっている。
だがそれはあくまで建前でどうして莉理香なのかはっきり判らない。でも今なら判るような気がする。茉莉香は強い者に憧れていたのである。自分はどこまでも弱い存在だ。親に歯向かえずされるがままになっている。おかげで幼少期からいいことはほとんどなかった。日常は地獄でそれが当たり前になっていたのだ。そこから抜け出そうとしたが、直ぐに無駄だと判った。自分は囚われの身、現実という名の牢獄に閉じ込められているのだ。
だからこそ強い力に憧れた。イシュタルやヘルメスその他にも無数の人格を生み出してきたが、それらはすべて超現実的な存在であり決して自分が思い描いていた存在ではなかった。故に、茉莉香は莉理香という自分に似たそれでいて強くカッコいい人格を生み出したのである。
今ならそうはっきりと判る。この人になら乗っ取られてもいい。そんな超絶的な考えまで湧き上がってくる。いずれにしても茉莉香と莉理香。一卵性の双子以上に似ていてそれでいて心も繋がっている存在が再び邂逅したのである。
茉莉香は莉理香の目の前に立つ。背丈も同じだ。茉莉香の目線が莉理香の目線と丁度同じである。莉理香は目を閉じており静かに呼吸している。呼吸のたびに胸が膨らみ生命の息吹を感じさせる。
「り、莉理香…」
恐る恐る茉莉香は言う。唐突に訪れた邂逅のため些か緊張している。茉莉香に呼ばれて莉理香はゆっくりと目を開く。自分と同じであるはずなのに莉理香のほうが若干目が釣り上がっているように見える。茉莉香は垂れ目だが莉理香は釣り目だ。同じ人間であっても人格によって変化するのはありえることなのかもしれない。その極端な例が黒弥撒という人間なのだ。
莉理香は茉莉香であり茉莉香は莉理香だ。同じように見えるが、実は別々の人間なのである。茉莉香に独自の記憶があるように莉理香にも自分だけの記憶があるはずだ。解離性同一性障害の中には主人格が全く知らない遠い異国の言語を自在に話す別人格がいるケースがあるのだという。そんな科学や医学では証明できない不思議がこの病気にはある。この先も決して解明されないかもしれない。しかし、それはどうでもいい。茉莉香にとって莉理香に出会えたのは今まで生きてきて一番嬉しい出来事だったかもしれない。
完全に目を見開いた莉理香はその切れ長の瞳で茉莉香を見つめる。緊張感のあるそれでいてどこか柔らかい雰囲気が光の空間に広がる。
「茉莉香ね…また会えると思わなかったわ。何か不思議な感じ」
「あたしはまた会いたかった。ずっと強い力に憧れていたの。莉理香みたいになりたかった」
「あたしはあなたの中に住む人格なのよ。それなのに自分に会いたいなんて茉莉香って変なこと言うのね」
そう言うと莉理香はクスリと笑う。歳相応の笑顔である。どこまでも優しく茉莉香のことをホッと安堵させる。探偵や刑事が殺されたことなんて忘れてしまいそうである。このまま二人でずっと暮らしていければいい。茉莉香はそんな風に考えている。
しかし、莉理香はそうは考えていない。自分に残された時間が僅かしかないということを見抜いている。恐らく…もうほとんど時間は残っていない。
「莉理香…」ふと思い出したように茉莉香が言う。「大変なの。皆殺されてしまったのよ。黒弥撒っていう悪魔に」
莉理香には大体のことは予想出来ている。黒弥撒は全員を殺すと宣言していたはずである。それにしてもこの僅かな時間の中で茉莉香を除く全員を殺害するとは全く悪魔的な人物である。躊躇や迷いが少しでもあればここまでスムーズに殺人を犯せないだろう。それを可能にしたということは黒弥撒の抱える闇は相当に強大なものであると推測できる。莉理香は顔を曇らせ茉莉香から視線を外す。
「莉理香、あなたの力を貸して頂戴。もうあたしじゃ無理。何がなんやら全く判らないし、黒弥撒はあなたに会いたがってる。どうしてかは判らないんだけど」
「そうは言われてももう時間がないわ。恐らく後数時間で私は消える。それが何となく判るわ」
「やっぱり消えちゃうの?」
茉莉香の表情が歪む。大きな瞳の奥から涙が浮かび上がってくる。こうして再び会えたのに別れはすぐそこまで忍び寄っている。それは耐え難い。ロミオとジュリエットのような気分。否、心境的にはそれよりも引き裂かれる思いは強い。
「ええ」莉理香は頷く。「あたしは直に消える。それにね今回の事件は俄には信じらない真実が隠されている気がするわ」
その言葉は茉莉香を凍らせる。俄には信じられない真実とは何だろうか?今まで九件の事件を解決してきた莉理香ならその謎を解き明かせるのだろうか?例え莉理香が無理ならそんなものを茉莉香が解けるはずもない。茉莉香は石像のように固まったまま
「じゃ、じゃあどうすればいいの?あたしもこのまま黒弥撒に殺されるの?」
「何とかして逃げたいけれどそういうわけにもいかないかもしれないわね。演繹城は地下に潜っているから地上に出るまでに何か手段を考えなければならないし地図でもなければ判断の仕様がないわ」
「でも黒弥撒は事件を推理して解決すれば助けてくれるって言ってたわよ」
「事件を解決するか…そうねそれがあたしの役目。けど今回の事件、あたしはあなたとコロコロ人格を交代していたから記憶が断片的だし殺人はトリックがありそうでほとんどヒントがなかった。これはもう推理するというよりも想像で組み立てるしかない」
「じゃあ想像してよ。莉理香ならそれが出来るでしょ。今までみたいに推理してあたしにカッコいいところをみせてよ」
「そうしたいのは山々だけど…とりあえず、今まであったことをなるべく正確にそして詳しく話してくれない。そうしないと何も判らない」
言われたとおり茉莉香は今までの経験したすべてのことを話す。六郎ピラミッドが黒弥撒に乗っ取られたこと、ムチ打ち男爵を助けられずに焼死させてしまったこと、そしてルールズの死、黒弥撒の変形、これらすべてをあるがままに伝える。
当の莉理香は黙り込みじっと茉莉香の話を聞いて時より質問を重ねる。二〇分ほどで説明を終え莉理香は難しい顔をする。自分が想像していたよりも遥かに不可解なことが多い。この事件は現実感が全くない。魔法の世界に飛び込んでしまったような気分にさせる。とにかく不審な点が多い。
「判るのは…」莉理香は言う。「黒弥撒が探偵や刑事に対し尋常ではない恨みを抱いているということ。そして人格を自在に操り人格の性質によって体の形態を自由に変化させることができるということ。後、あたしが見たルナルナ17さんの死とくそったれ魂さんの死だけ。それ以外は正直手も足も出ないわね」
「ルナルナ17さんとくそったれ魂さんって人が殺されたトリックは判るの?」
「おおよそだけどね。あまりにも情報が少ないからほとんどがあたしの想像だけど。それ以外の殺人も話しによれば残酷な殺し方ね。積年の恨みを晴らすようなエネルギーで人間を殺している。本当に悪魔のような人間。否、悪魔なのかもしれない」
「悪魔…どういうこと?」
「茉莉香、あなたも覚えるでしょ?自分が生み出した人格のことを」
茉莉香はサッとこれまでの人格のことを思い返す。最も印象の深かったのは『イシュタル』と『ヘルメス』である。彼らはギリシャ神話に出てくる神々の一人なのだ。そんな高貴な存在がどうして茉莉香に宿ったかは判らないのであるが…
「いつだったかノートに書いてくれたことがあったわね。ええと、イシュタルとヘルメスのことを」
莉理香は強い口調で尋ねる。それに対し茉莉香は深々と首を上下に動かしながら
「う、うん。神様なんだって」
「茉莉香の体内に神が宿れば悪魔だって宿ることがあるのよ。黒弥撒はあたしたちと同じ多重人格なのは間違いない。そして、得体の知れない人格を生み出していても不思議ではない」
悪魔が宿る。それは脅威だ。通常の人間ではない。最早オカルトである。そんな超自然的な現象がこの世に起きるなんて流石の茉莉香でも直ぐには信じられなかった。自分はまだ子供であるが、サンタクロースや神様などは信じていない。皆、幻想の存在である。茉莉香が生み出したイシュタルやヘルメスだってきっと本当の神様ではないのだ。恐らく茉莉香自身が生み出したただの幻想。そう考えている。
しかし、今日起きた事実がそのまま嘘であるとはどうしても思えない。確かに不思議は起きたのである。確実に黒弥撒は変化したし多重人格を患っている。これはもう間違いない。ということは黒弥撒の体内には悪魔が潜んでいるのであろうか?悪魔が体内に潜む人間。
茉莉香はその昔、解離性同一性障害の本を読んだことがあった。難しい本ではない。フィクションとノンフィクションが入り混じったような本である。そこには解離性同一性障害を患う一人の女性がいて彼女の体内には複数の人格がいるという設定だった。その女性の中に棲む人格で『エニグマ』という悪魔のような者がいた。エニグマに人格が交代すると穏やかだった顔が変化し本当に悪魔に取り憑かれたかのようになるのである。そのような事例はあるのだ。世界中を探せばもっと多くの事例があるのかもしれない。
その昔、中世では悪魔祓いを行う魔術師のような人間がいたそうである。彼らはきっと現代でいう精神科医のような存在だったのかもしれない。患者は皆多重人格で人格が交代することを悪魔に取り憑かれたと錯覚していたのかもしれない。今なら確かに言える。確実に昔からこの病気は存在していたのだ。そして、いつの時代も患者を苦しめていた。そう、今の茉莉香のように…
「黒弥撒は」茉莉香は言う。「悪魔に取り憑かれているのよ。それは間違いないと思う」
それに対し、莉理香は眉根を寄せながら答える。
「そうね。悪魔という人格が体内にいる可能性は高い。そして、もしかしたら既に乗っ取られているのかもしれない」
「乗っ取られてる?」
「そう。主人格である黒弥撒は悪魔のような別人格に乗っ取られてしまった。だから表の世界に出て来れない。心の奥底で幽閉されているのよ」
別人格に乗っ取られる。これほど恐ろしいことはない。茉莉香の場合を例にとると新しく生み出した人格が狡猾で茉莉香の変わりに表の世界に出てきて茉莉香という主人格を心の中に閉じ込めてしまうということである。ずっと暗闇で覆われた世界に閉じ込められる。刑務所の中に収容されるよりも酷い。
茉莉香の心中は現実を投影しているかのようにどこまでも暗い。そして何もないのである。あるのは闇だけでどこまでも無音の空間が広がっている。心にぽっかりと開いた穴は果てしなく広く無限である。そんな空間の中に閉じ込められてしまったら自分ならどうなるか?
確かに現実は苦しい。学校ではいじめに遭うし家庭内でも虐待されている。生きていてよかったと思えることはほとんどない。全くないと言ってもいいかもしれない。だからといって心の奥底で閉じ込められてもいいかというと素直に首を縦には振れない。躊躇してしまう。現実は苦しいが心の中の闇も苦しい。
心の中に逃げれば現実の煩わしさから逃げられる。だけど、あの何もない空間にずっと漂うのは地獄よりも苦しいと思える。考えるだけでゾッとする。茉莉香は全身を小動物のように小刻みに震わせながら
「でも莉理香の言う通りかもしれない。本当の黒弥撒はどこかに閉じ込められているのかもしれない。じゃなかったらこんな得体の知れないテーマパークなんて造らないし人だって殺さないと思う」
「そうね、だけど今はそんなことを言っている場合じゃなさそうね」
「あたしたちはこれからどうすればいいの?」
茉莉香は必死さをみせ尋ねる。
問われた莉理香は小さな顎をキッと引き締め
「実は試してみたいことがある。いいえ、やらなければならないことかもしれない」
いつになく不安さを帯びている莉理香である。彼女には何か考えがあるのだろう。茉莉香にはすぐにそれが判った。とはいうものの莉理香が何を考えているかは判らない。
「何か」茉莉香は言う。「考えがあるの?それとも事件の真相が判ったの?」
莉理香は一旦目を閉じしばし間をおいた後口を開く。
「まだ判らないわ。だからあなたの知ってる情報を教えて。第二の洞窟であたしと茉莉香は再び人格が切り替わったね。あたしはあの時六郎ピラミッドさんに化けた黒弥撒に接触したの。あなたの時はどうだった?」
「あたしが目覚めた時、六郎ピラミッドさんは死んでいたわ。ズタズタに切り刻まれて」
「あなたはその後どうしたの?六郎ピラミッドさんと一緒にいたのかしら?」
「ううん。そうじゃない。洞窟内を見て回ったの。そこでオール乱歩さんの遺体を見たり螺旋階段を見つけたりしたけど」
「その時六郎ピラミッドさんには触れた?」
「少し触れたけどよく判らないかな。あ、でもルールズさんが六郎ピラミッドさんに触れた時かすかに死後硬直が始まっているって言ってたけど」
「死後硬直か。確かあたしが彼に触れた時も死後硬直が始まりかけていたわ。これは不可解ね。殺されたばかりのはずなのに」
「そうだけど。でも本当に黒弥撒が六郎ピラミッドさんに化けたの?」
「そうよ。やり方は判らないけれど一つの方法が浮かび上がる」
「…方法?」
「そう。黒弥撒は人間をコピーできる。簡単に言うとある人間を見てその人の人格をそっくりコピーできるの。そしてそのコピーした人格の性質通りに自らの形態も変化させられる。形態変化ってやつね。これはSFの世界だけの話と言われているけどもしかすると黒弥撒はそれを自在に操れるのかもしれないわ。とにかく黒弥撒という人間は異能の力を宿している」
つぶらな瞳を大きく見開いて茉莉香は莉理香の話を聞いている。人格をコピーする。これはどういうことなのだろうか?
「人格のコピーって何?」
堪らず茉莉香は尋ねる。対する莉理香は視線を床に向け
「あなたが言った通り黒弥撒はあたしたちと同じで多重人格。そしてあなたも察した通り人格をその人格のイメージ通りの形態に変化させられる。だけどそれにプラスして人間の人格をそっくりそのままコピーしてその通りの人間に形態を変化できるのよ。こんな不可思議な病気は他にないけど。最早彼はその不可思議な現象を現実のモノにしているの。これが可能であると言う仮説を組むと黒弥撒がしてきた超人的な殺人方法がいくつか説明できるわ。でもまだ気になることはあるのだけど…」
SFに関して全く知識のない茉莉香は茫然自失として話を聞いている。黒弥撒の異能の力は確かに脅威である。人格を作り出すという病気は確かに存在している。しかし、その人格のイメージ通りに自身の体を変化させられるというのは恐るべき能力である。そんなことが可能になれば人はもっと自在に生きられるようになるかもしれない。
自分の好きな体を選びその形態で過ごせるようになれば顔や体にコンプレックスを持っている人間はきっと救われるだろう。しかし、そんな形態変化はできない。せいぜい整形手術ができるくらいだろう。
「形態変化っていうのは小さいけれどあなたもできるのよ」
と、莉理香は言う。
あまりの発言に茉莉香は面を喰らう。
「どういうこと?」
「あたしと茉莉香、違いがあるとすると目よ。あたしの目はツリ目だけど茉莉香はタレ目。些細な違いだけど人格が変わって多少なりとも形態は変化するの。きっとそういう些細な変化っていうのは解離性同一性障害にはあるのかもしれない。悪魔のような人格に切り替わった時表情が変わるというのは小さな形態変化よ。ただ、黒弥撒の場合はそれが巨大なだけなのかもしれないわ」
「黒弥撒は自在に人格を生み出せるのかな?」
茉莉香はオドオドと言う。黒弥撒はどこまで万能な人間なのだろうか?本当に人間なのだろうか?
「その可能性は高い。そして、黒弥撒の形態変化が事実であるならば今回の事件で不可解な点がいくつか説明できるようになる。異能の力を使って事件を起こすというのは本格推理の観点から言うと禁じ手だけど禁じ手や異能の力を認めない限り今回の事件は紐解けないわ」
「そんな人間がいるなんて信じられない。だけど黒弥撒ならありえるのかもしれない」
どこまでも不可解な存在が黒弥撒である。あの人間は人格を自在に操れるだけでなくその形態までも人格に合わせて変化出来る。これは恐るべきことである。
「黒弥撒に出来るのなら」莉理香は言う。「同じ病気であるあたしたちにも形態変化はできるはずなのよ。少なくともその可能性はあると思う。だけど問題なのはそれをどうやって行うのか?ということ。茉莉香とあたしの目の違いくらいの変化から黒弥撒のような大きな体の変化へとどうやって移行できるかというと判らないわ。つまり、今のあたしたちじゃ手も足も出ない」
二人の間に死のような沈黙が流れる。
まだまだ情報が足りない。莉理香はさらに質問を飛ばす。
「ムチ打ち男爵さんはどうして殺されたのかしら?」
「えっと、六郎ピラミッドさんを一人残してあたしは先に進んだの。それで螺旋階段の先にエレベーターがあってその先のステージでムチ打ち男爵さんとルールズさんが磔られて」
「それでどうしたの?」
「ええと、黒弥撒が現れてルールズさんかムチ打ち男爵さんの内一人しか助けられないって言ったの。それであたし選べなくて。そしたら黒弥撒がムチ打ち男爵さんを殺しましょうって言ってムチ打ち男爵さんを殺したの」
「具体的にはどうやって殺したのかしら?」
「ムチ打ち男爵さんは十字架に磔られていたんだけどそれが急に回転して下から火がついたの。それで一気に炎に包まれて焼き殺されてしまったのよ。辺りはガソリンみたいな臭いがしたからそれに引火したのかもしれないけど」
その言葉を聞いた莉理香は目を素早く瞬かせながら考える。そして
「なるほど、ガソリンに回転か」
「何か判ったの?」
「えぇ、それでムチ打ち男爵さんはどんな探偵だったか覚えていない?最初に自己紹介とかしたのかしら?」
「えっと、確かムチ打ち男爵さんは放火事件を中心に事件を解決してるって言ってた気がするけど」
「なるほど。あなたの情報は貴重よ。ありがとう。それでルールズさんはどうなったの?」
「ルールズさんはキン肉マンみたいになった黒弥撒に殴り殺されてしまったの。もう見たくないし思い出したくない」
「やはり黒弥撒は形態を自在に変化させられるみたいね。殴り殺されたってことは圧倒的な力だったのね?」
「うん。体や腕をグルグル回転させて力を溜めた後一気に爆発させたって感じかな。一瞬だったからよく覚えていないけど」
「ボクシングでいうコークスクリューブローね。なるほど。ねぇ茉莉香、ルールズさんはどんな探偵だったか覚えてるかしら?」
「うんと、確か暴力事件とかを中心に解決しているって言ってたかなぁ。記憶が曖昧だけどそう言ってた気がするわ」
「そう、ムチ打ち男爵さんとルールズさんの殺害の件は判ったわ。では六郎ピラミッドさんはどうなっていたの?」
「六郎ピラミッドさんもくそったれ魂さんと同じでズタズタにされていたわ。でもさっきも言ったけどルールズさんが調べた時死後硬直が始まっているって言っていたわ。だから早い段階で殺されたかもって」
「なるほど、ルールズさんは確かにそう言ったのね?」
「うん」
「不可解ね。六郎ピラミッドさんはあたしがこの世界にいた時ギリギリまで生きていたわ。それに一緒にいたのだからその後すぐに殺されたのだとすると死後硬直が起こるはずがない。これが意味しているのは」
「不可解なことと言えば六郎ピラミッドさんの遺体はね、ズタズタだったけど下着姿だったの。服を着ていなかったのよ」
「そう、彼は服を着ていなかったわ。なるほど…やはりそういうことか」
「事件解けそう?」
茉莉香が不安そうに言うと莉理香は芯の通った凛とした声で
「えぇ、情報は確実に集まっている。黒弥撒という人間は本当に不可解ね。体の形態を変化させる時点でもはや普通じゃない」
「仮に黒弥撒の力が事実ならあたしたちはどうすればいいの?」
「問題なのは今表の世界に出ている黒弥撒は主人格なのかそれとも別人格なのかということ。暴走しているのが別人格ならそれを消し去れば問題は解決するけど主人格が本体でこの事件の黒幕ならまだ他に何か目的があるのかもしれない」
光の空間は静まり返る。現実離れした話が延々と展開されている。黒弥撒と茉莉香は同じ病気だ。そうだとしたら茉莉香にも人格形態変化が出来るのかもしれない。しかし、それはどうやって行えばいいのであろうか?他人そっくりに変化できるなどオカルトじみたことが出来るとは考えにくいが、事実黒弥撒は形態を変化させられる。
「何か方法があるのかな?」
茉莉香が呟く。対面に立つ莉理香は必死に考えをめぐらせているようである。癖である顎に手をおく如何にも探偵じみた仕草も板についている。
「あたしたちは今、茉莉香の心の中にいる。だからこうしてあたしたちは再び会えた。でも、どうしてこんなことになったのかしら?回転する部屋で会ったのは別としても」
「それはね、黒弥撒が手伝ってあげるよって言ったの。そうしたらフッと辺りが暗くなって次第に光に包まれた空間に出たのよ。そうしたら莉理香があたしの目の前にいたってわけ」
「黒弥撒が手伝う?」莉理香はほっそりとした目を丸めながら「それは不可解ね。ってことは茉莉香が今こうやってここに来ているというのはすべて黒弥撒の仕業なの?」
「うん、たぶんそう思う」
「なるほど。となると、黒弥撒はこの状況をどこかで見ているに違いない。でなければ、茉莉香をここに呼びあたしと会わせるなんてしないもの」
「く、黒弥撒がどこかで見てるの?」
「ええ、恐らく…」
莉理香はそう言うと白く光輝く空間の中をゆっくりと歩き始める。歩くというよりも泳ぐような感じだ。床がないこの空間ではふわふわとした浮遊感がある。莉理香が前方に進んだのを見るなり不安になった茉莉香は必死に彼女の後を追う。
「黒弥撒!いるんでしょ。出てきなさい。判ってるんだから」
と、莉理香は光の中心に向かって叫ぶ。
「…」
僅かながら反応があるような気がする。間違いなく誰かいる。莉理香だけでなく茉莉香にもそれが判った。一体誰がいるのか?ここは茉莉香の心の中なのである。通常、人の心の中は誰にも見えない。決して犯されることのない聖なる領域である。にもかかわらず黒弥撒はそこに自在に入れるのだ。それはなぜか?その答えこそ茉莉香と黒弥撒の同一性である。近いものがある。と言うよりも同じ存在だからこそ可能なのだろう。となるとやはりどこかで監視していることになる。




