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9.悪人退治

 ナベプタは今日もヘラジカ亭に来ていた。そして腹立たしい思いをしていた。


 ユーファがこっちに来てくれない。注文を取りに来るのも料理を運ぶのも、あのムカつくガキだ。昨日女を取り押さえて、ユーファと話しをしていた、生意気なガキ。このナベプタを差し置いてユーファと仲良くするなんて。



 思えば今日はムカつくことばかり起こった。

 朝から、仕事のやり方をみんな見直すように、なんて命令を受けた。

 他の業者で事故があったらしく、安全作業を徹底するよう幹部連中が指示したらしい。


 事故といっても道路工事とは無関係で、橋の修理をしていた奴が間抜けにも落ちただけ。自分には関係ないことでうるさく言われるのが、ナベプタには不満で仕方なかった。


 俺は絶対に、そんなヘマはしない。


 親方からの叱責も、その関係で普段より厳しかった。真面目にやれとか、お前のために言ってるんだとか。

 うるさいな。俺のためを思うなら何も言わないでくれ。偉そうに。俺にそんな口を聞くな。英雄になる男だぞ。



 こうして不愉快な一日を過ごしたナベプタは、酒場でも満たされなかった。ユーファが来るかと思って何度も酒を注文して、けれどそのたびにクソガキが来た。ユーファじゃなくても、他に女の店員はいくらでもいるのに、なんでこいつばかりが来るんだ。


 諦めて帰る時には、ナベプタは呑みすぎでフラフラになっていた。なんとか会計を終えて、家はどっちだったかと少し迷いながら移動する。その時、足で何かを蹴飛ばしてしまった。

 木の板だ。壁に立て掛けていたらしい。


 なんだこれは。蹴ってみると、綺麗に舗装された石畳の上を滑るように動いた。面白くなって、しばらく蹴りながら帰っていたら。

 言い争うような声が聞こえた。


 家の近くの、少し奥まった通りで男女が揉めている。


「やめて! 離してっ!」

「おとなしくしろ! 騒ぐなっ! おとなしく家に戻れ!」

「嫌っ!」


 揉め事の内容はわからないけど、ふたりは知り合いらしい。夫婦か恋人だったのが、女の方が逃げてきたのかな。

 男が女の手首を掴んで引き止めようとしていた。それでも逃げようとする女に男は痺れを切らして、ポケットに手を突っ込む。


 取り出したのは小型のナイフ。


「ひっ!」

「おとなしくしないと! 怪我するぞ! お前が! お前が悪いんだ! 俺の言うことを聞かないからっ!」

「嫌っ! 助けて! 誰かっ!」


 周りに人はいない。ナベプタ以外には。


 普段の彼なら、こんな状況を見れば慌てて逃げ出しただろう。

 揉め事なんかに関わりたくない。後から人の噂話が流れてきて、自分ならこうするのにと得意げに妄想を膨らませるだけ。


 でも、今日の彼は違った。偉大な男になると。悪を倒す男だ。


 無力な女に暴力を男は間違いなく悪だ。顔つきもガラが悪そうで、きっとろくな人間じゃない。

 英雄が倒さないと。


 相手は武器を持っている。こっちには何がある?


 足元に木の板が転がっていた。拾い上げて構える。まるで盾みたいだ。酔っているのもあって、少し気が大きくなった。


「あああぁぁあぁああぁぁぁぁ!」


 雄叫びと共に男に突進した。少なくとも本人は雄叫びだと思っていた。端から見れば奇妙な悲鳴だったとしても。


 しかしそれが、男女の動きを止めた。男からすれば、暗がりの中で太った男が突っ込んでくるわけで。異様な光景に反応できなかった。

 だから両者は木の板を挟みながら激突。体重だけはあるナベプタが男を倒した。


 さらに男の腕を蹴って、ナイフを手放させて遠くへやり、さらに腹に蹴りを入れた。しかも、何度も繰り返した。

 太い足から繰り出されるキックは威力があり、男は苦しそうな声をあげる。


「ごっ。ぐぇっ。や、やめろ」

「彼女から! 離れろ! この悪党め!」

「やめっ! がはっ! わか、わかった!」


 それを聞いたナベプタが足を止めれば、男は怯え混じりの顔で起き上がって逃げ出した。


「あ、あの。ありがとうございます……」


 呆気に取られた様子の女は、助けて貰えたことは理解していて、お礼を言った。


「い、いえっ! 当然のことですよ!」


 ナベプタの返事は裏返っていて、彼が思い描くような英雄の言葉とは程遠かった。それでも憧れていた台詞が言えたことに、彼は満足だった。


「いいえ。あの人には本当に困っていたんです。誰も助けてくれなくて。あなたは本当に勇敢です」

「そ、そうですか。嬉しい、です」


 ここまで素直に人から褒められたのは、いつ以来だろう。恥ずかしさから顔を背けてしまった。元から、夜闇の中では顔はよく見えていないだろうけれど。


「あの。お名前は?」

「な、な……」

「な?」


 名乗ろうとして、どもって声が出ない。そしてふと考えた。


 名前を言わない方が格好良いのではと。そうだ。こんな時英雄はこう言う。


「名乗るほどの者ではありません!」

「あっ! 待って!」


 ナベプタは駆け出した。


 やった。英雄として振る舞えた。悪を倒して女を救った。人から感謝された。

 偉大な男の一歩を踏み出せた!


 板を掴んだまま夜道を走るナベプタは全能感に浸っていた。俺はこのまま、悪人どもを倒す英雄になれる。そう確信が持てた。



 走り続けていれば、普段は運動不足の体が悲鳴を上げて、ナベプタは立ち止まった。ぜえぜえと荒い息が漏れる。


 ふと考えた。さっきのは格好良かった。名乗らず立ち去る。最高だ。しかし、これだけでは英雄になれない。ただの名無しの男で終わってしまう。

 本名を名乗るのも野暮だ。ならば、異名を作ってしまおう。英雄としての名だ。


 悪を倒すから……イビルキラー。いや、イビルスレイヤーだな。それだけでは物足りない。


 そうだ。勇敢さだ。さっきの女に言われた言葉が頭から離れない。イビルスレイヤーは勇敢な男なんだ。


 決まった。勇敢なるイビルスレイヤー。これだ。今度からはこれを名乗ろう。


 悪人たちを震え上がらせ、大勢に尊敬されるのに相応しい名前だ。


 そうなれば次の悪人が欲しい。倒して名を上げなければ。悪人はどこだ。どこにいる?


 ナベプタはその後、夜の街を彷徨った。けれど悪は見つからなかった。既に人々は寝静まる時間帯だ。そもそも外を出歩く人間がいなかった。

 それでも夜遅くまで出歩いていたナベプタが翌日も寝不足になったことは言うまでもない。

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