7.死者との別れ
死後硬直した体の動きはぎこちなく、顔に表情はない。けど、妻をしっかり見つめて歩み寄った。
「あなたっ!」
遺体に躊躇なく抱きつく女性と、妻を抱き返す遺体。
女性が一方的に話すだけで、喋れない遺体は頷いたり身振りで意思を伝える。けれどちゃんと、意思疎通ができていた。
夫婦の最後の時間を邪魔するわけにいかなくて、私たちは遠巻きに眺めるだけ。
「うっ。ぐすっ。よかったですねぇ!」
「そうねリリア。落ち着いて。声を抑えて」
「だって! 感動しないなんて無理ですよルイーザ様!」
「だから」
「びえぇぇぇぇ!」
「こら! なんであなたが泣くのよ!?」
リリアの口を塞ぐべきかしら。でも肉体労働をしたばかりで、その体力もないのよね。
そんなことを考えている間に、彼女はお別れを済ませたようだ。
「迷える死者よ。あるべき所へ行きなさい。冥界での暮らしが幸多からんことを」
エドガーの祈りの言葉と共に、霊は冥界へと行ったらしい。レオンにしか見えないけれど、そのはずだ。
遺体も微動だにしなくなった。
「ありがとうございました。夫は帰ってきませんが、ちゃんとお別れを言えました。復讐など望んでいないこともわかりました。……あの奥様たちに、わたしこそ謝らなきゃいけませんね」
そして、こちらにも深々と頭を下げた。
こうして私たちはいつものように、迷える霊を正しく冥界に送った。
「何十年先のことかわからないけど、彼女も天寿を全うして冥界に行ったら、旦那さんと再会できるのかしら」
「たぶんな」
片付けはレオンも手伝ってくれて、遺体を大切に棺に戻して埋め直す。魔法陣もしっかりと消した。
リリアとエドガーはそれぞれの住まいに帰り、私たちもヘラジカ亭へと戻った。女性も自分の家に帰っていった。
既に店は閉めていて、ニナが帰りを待っていた。
「お疲れ様。力仕事してお腹空いたでしょ? 兄貴が夜食を作ってくれたよ」
テーブルに三人前の食事。ありがたい。こんな時間にご飯なんて、公爵令嬢やってた時には想像もつかなかった。
けど、これが美味しいのよね。
「そういえばさっき、ナディアさんが来たよ」
テーブルの対面に座って、ニナが言う。
「手伝ってほしいことがあるから、明日の朝来てほしいって」
「手伝い? お店の?」
同業者だけど、向こうはランチしかやっておらず、こっちは夜だけだから需要を食い合うことはない。人気店だから人手が足らないのかなと思ったけど、そうでもないらしい。
「ユーファちゃんの力が必要だってさ。弓を持ってきてほしいって」
なんで弓?
ユーファ本人も理由がわからない様子だけど、知っている相手だし悪人でもない。頷いて了承を示した。
「明日も朝が早そうだな。さっさと寝よう」
そうね。ひと仕事した後なのに、忙しいわ。
でも、人の役に立てたのは嬉しい。明日もきっとそうなる。
――――
酒場で気持ちよく食事をしていたのに、急に騒ぎが起こった。ナベプタもその目撃者だ。
すぐに収まったけれど。ユーファと同じ年の少年が、錯乱した女を制圧して店から追い出した。
許しがたいのは、ユーファが少年に駆け寄ったことだ。
女が錯乱した時点で、ユーファは素早くそちらを見ていた。表情は見えなかったけど、きっと怯えていたに違いない。かわいそうに。
俺が守ってやらないと。ナベプタはその時そんなことを考えていた。実際に動く前に、あの少年が終わらせたけど。そしてユーファは彼の近くに行った。
どんな会話をしてたんだろうか。助けてくれてありがとうとか? 強い男の子は素敵だとか? いや、ユーファに限って、そんな媚びるようなことは言わないはずだ。けど、気になって仕方がない。
あの少年が、店で暴れよとした客からユーファを守ったのは事実。それが許せなかった。
それは俺がやりたかった。店の危機に颯爽と立ち上がり、敵を倒す。そして少女から称賛の眼差しを向けられる。物語に出てくる英雄の立場に、ナベプタはなりたかった。なるべきだと考えた。
あんな弱そうな女、俺でも制圧できる。クソガキが。ちょっと暴れたくらいで調子に乗るな。俺の方が強い。強いんだ。
そんなことを、店の中でずっと考えていた。
店から出る時、ちょうどユーファが近くにいた。
さっきのことについて、何か言おうとしたところ、ユーファが先に口を開いた。
「そこ。転びやすい。気をつけて」
その瞬間、心臓が高鳴る思いがした。
こっちを気遣うことを言ってくれた。なんて優しい子なんだ。もしかしてこの子は、俺のことが気になっているのか?
きっとそうに違いない。凹んだ石を覆う板を踏みしめながら、ナベプタは小躍りしたい気分だった。
彼はユーファが、他の客にも似た注意をしているのには気づかなかった。
ユーファを守りたい。そして、彼女にもっと見てもらいたい。そんな、立派な男になりたい。
家に帰った後もずっと考えて、ろくに寝られなかった。
翌日の仕事は寝不足の体にはきつく、体力はすぐに限界を迎えるし細かなミスを連発。挙げ句に親方の指示もろくに耳に入らず、まったく仕事にならなかった。
いつものように親方に怒鳴られるのを、ナベプタは苛立ち紛れに聞き流していた。
こんな環境で燻っている俺ではない。親方なんか霞むような偉大な男になるんだ。誰もが尊敬するような。もちろん、ユーファが好きと言ってくれるような。
そのために、そろそろ行動をしなければいけないなと、ふと考えた。どんな方向かは考えていないけど、立派な男になる一歩を踏み出さなければ。
やはり、昨日みたいな事件が起こった時に、素早く解決できる男になろう。悪を退治する英雄だ。
そうすればユーファは俺を尊敬してくれる。彼女は子供らしく非力な存在だ。力強いナベプタを尊敬するだろう。
そんな未来を想像していれば、親方の叱責などまったく気にならなかった。