3.ナベプタ
ところで、ふと思ったんだけど。
「最近お店が忙しいの、この作業員たちが来てるから?」
「だろうなー。仕事が増えて金が儲かれば、飲み代に使う。有名なデカい店があれば、みんなそこに行く。で、俺たちは忙しくなる」
「そういうことだったのね……。立派な仕事だけど、そのせいで私たちも苦労してる」
「店が儲かるのはいいことだろ。もしかしたら特別手当も出るかも」
「だったらいいんだけどね……」
帰ったら、また大量の野菜の皮剥き。開店したら皿洗いだ。
忙しいのは嫌だなあ。
「お茶、もう一杯飲んでいいかしら」
「いいけど」
「働きたくないー」
「情けない奴だ」
「だってー」
「仕事なんて嫌々やるものじゃないぞ」
「でもー」
待ち受ける労働を受け入れようとしない私に、レオンは呆れた目を向けた。
自分でも情けないと思うけどね。工事を頑張っている作業員たちが眩しく見えてきた。
――――
「ナベプタ! 勝手に休むな! 仕事をしろ! 動いて少しは痩せろ!」
土木工事の作業員であるナベプタは、疲労に耐えかねて座り込み、即座に工事の監督者である親方から罵声を浴びた。
休憩時間でもないのに体を休めるのはいつものこと。咎められるのにも慣れた。別のことを考えて、親方が他のことに気を取られるのを待てばいい。
彼は己の仕事を嫌々やっていた。
来る日も来る日も、重い資材をどこかからどこかへ運ぶ仕事。周りの連中がこの仕事にやりがいを見出せるのを、ナベプタは信じられなかった。
彼が籍を置くのは、この王都の中でも大手に類する工事業者だ。つまり国の中でも特に大きな組織と言っていい。
仕事内容は、今やってるような道路整備の他にも、街を流れる河川やそこに架かる橋、あるいは市民の集う広場や公園の整備や補修。さらに、城壁の補修の仕事も行っている。
同僚たちはそれが誇りらしい。城壁は街の顔。それを保守できる仕事は素晴らしいという考え方。
ナベプタには理解できなかった。城壁と言っても、ただの煉瓦と石の集まりだ。
しかも壁の補修なんか年に二回しか行われず、ほとんどの期間は地味な仕事しかしない組織だし、華やかで誇れる仕事をやれるのは大きな組織の中でも一部のエリート層だけ。
ナベプタたち普通の作業者は、来る日も来る日も道の補修しかさせてもらえない。そこに何の誇りがあると言うのだろう。
それでも彼は、この仕事をするしかなかった。
代々続く高名な靴職人の家の長男として生まれたナベプタは、どうやら太りやすい体質をしていたらしい。元々手先が不器用なのに加えて、ブクブクと太った指では靴作りなど無理だった。
両親は家業を優秀な弟に継がせると決めて、ナベプタに僅かな金を持たせて家を追い出した。
他の仕事を探そうにも、彼が取れる選択肢は無かった。土木作業員なら体を動かしていれば出来ると考えて、この仕事を選んだ。
この考えは正しくもあり、間違ってもいた。
体を動かせば終わる仕事は確かにあって、ナベプタはそれでなんとか生きていけるだけの給金を貰っていた。
けれどこんな仕事でも頭を使って、効率よく進める方法や工夫を考える奴はいる。そういう奴は親方や組織の幹部連中から気に入られて、役目を貰ったりする。親方も、若い頃はそういう人間だったらしい。将来の幹部候補になり、給金も上がる。
くだらない。要は上に媚び諂っているだけじゃないか。俺はそんな生き方はしない。ナベプタの考える格好良さとは違っていた。
彼にも人並みに、人から称賛されたり好かれたい願望はあった。けれどそのために、人に媚びるのは違う。
力を見せつけ、それに人々がもてはやす。これが理想だ。
現状、それが実現する見込みはなかったが、ナベプタは信じていた。いつか、誰もが褒め称える偉人になれる。自分を捨てた両親や、雑に扱う親方を見返してやれると。
そして、自分を好きになってくれる女と運命の出会いを果して結ばれる。そんな未来はきっとあるはずだ。
目の前の仕事も満足に出来ないナベプタは、文句を言われている間にもそんな妄想をしていた。追い出されてから、四十代も半ばになる今まで、ずっとこんな調子で働いてきた。
高いのは理想だけだった。
そんなナベプタの日々の数少ない楽しみが、食べることだ。
独身で趣味らしい趣味もない。だから使える金は多く、そして彼は空腹を満たすめによく食べた。
ヘラジカ亭は彼のお気に入りの店だ。カウンター席があって一人でも来店できるし、値段も手頃。何より美味い。だからよく利用している。今日も訪れて、大量の肉料理と酒を注文した。
彼がこの店を好んでいる理由はもうひとつある。
可愛い店員がいるのだ。
小さい、十一か十二くらいの女の子。
彼女は美しかった。神話に出てくる天使は、きっとこういう容貌なのだろうとナベプタは考えていた。
物静かで必要最低限のやり取りしかしないのは、人見知りする性格なのだろうか。飲食店の店員としては愛想もあまり良くなくて、笑顔はあまり見せない無表情。
けれど可愛らしいと、客たちに愛されている。そんな店員だ。