17.ほしかったもの
ナベプタは彼らを助けたことになる。しかし感謝の言葉はひとつもなかった。勇敢なるイビルスレイヤーの名前を認識していたかも怪しい。
なんなんだあいつらは。助けたのに。きっと劣悪な環境で働かされていたのだろう。そこから解放されたというのに、何も言わずに逃げるなんて。
それでもナベプタは暴れ続けた。起き上がろうとする敵を踏みつける。体重があるから、敵は苦しそうにうめいた。
作業員から感謝されなくても、俺の善行はみんなが見ている。大通りだから人の目は多い。悪徳業者から多くの人を救った英雄の戦いを見ているはずだ。
もっと見ろ。褒め称えろ。勇敢なるイビルスレイヤーの名を轟かせろ。拍手喝采を浴びせろ。
そう考えながら、夢中で敵を蹴り続けていれば。
「そこまでにしろよ、デブ」
冷ややかな声が聞こえた。
聞き覚えのある、嫌いな声だった。
見れば、ヘラジカ亭の給仕のクソガキがいた。ユーファや他の女と話したいのに、いつもあいつが来る。俺とユーファの関係を邪魔するクソガキだ。しかも、きっと面白半分でやっているに違いない。
あいつは悪だ。そうに違いない。
子供であっても容赦はしないぞ。俺はどんな悪も許さないからな。この容赦の無さが、勇敢なるイビルスレイヤーの偉大さなんだ。
クソガキは覆面を被ったナベプタを客だとは気づいていないらしい。軽蔑の視線を向けていた。
「やりすぎだ。お前の体重で人を踏めば、下手したら死ぬ。やめろ」
「なにを偉そうに。こいつらは悪だ! 悪を倒して何が悪い!?」
「確かに、その業者は普通じゃないな。こんな時間まで子供を働かせているなんて、まともじゃないに決まってる。でも、それを断罪するのはお前じゃない。役所に訴えて、兵士を派遣して取り締まるんだ。覆面を被った不審者がやることじゃない」
「不審者だと!? 俺は! 勇敢なるイビルスレイヤーだ!」
「ダサい名前だな」
こいつは言うに事欠いて! クソガキの癖に。偉大なる英雄の名前をダサいだと。
「お前は! 誰に向かって口を聞いているんだ!?」
「知るかよ。お前のことなんか知らない。やってることは許されないから、俺が止める」
「英雄に向けてなんてことを言うんだ!」
「英雄? はっ。そうは見えないな」
蔑んだ目を向けるクソガキ。こいつは間違っている。俺は誰もが憧れる英雄で、それに生意気な口を聞くクソガキが悪に決まっている。今も大通りの人たちは、俺を応援してクソガキに非難の目を向けているはず……。
けれど周りを見回したナベプタが見たのは、彼に視線を合わせようとしない人々の姿だった。ナベプタが顔を向ければ、みんな顔を逸らす。
揉め事には興味津々だけど、巻き込まれるのは嫌だから遠巻きに見ているだけ。勇敢なるイビルスレイヤーを応援しているわけじゃない。子供と覆面を被った男の会話を聞いているだけ。
見物人たちはクソガキを応援しているわけでもない。けど、非難しているわけでもなかった。
なんでだ? こいつは悪なのに。
正確には、クソガキに味方する人間はひとりだけいた。腹立たしいことに女だった。体つきは貧相だけど、美人だった。
「れ、レオン。あんまり怒らせちゃ駄目なんじゃ……」
「いいだろ別に。あんなデブ、怒っても怖くない」
「でも、男の人をあれだけ倒してるし」
「不意打ちだったんだろうし、体重に頼った素人丸出しの戦い方だ。俺が負けるわけがない。むしろ痛い目に遭った方が、こんな馬鹿なことはやめるだろ」
「それはそうかもしれないけど。レオンが負けるとは思わないけど。でもナイフは使っちゃ駄目よ?」
「わかってるよ。下がってろ」
クソガキはレオンというのか。年上の女に偉そうな口を聞き、女もそれを咎めない。関係性が見えるようだった。
ムカつく。ガキのくせに女を侍らせるなんて。しかも戦いを前にして、後ろに控えさせる。女も心配そうな顔をしながら見守っている。
ナベプタにとっては、自分がやりたいことだった。
許せない。俺の楽しみをこいつは奪っている。
「来いよデブ。勇敢なるイビルスレイヤーは子供相手にビビって攻撃できないのか?」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れクソガキぃ!」
気がつけばナベプタはレオンに向けて突進していた。近くにいる人々は慌てて逃げ出す。女も下がった。けれどレオンは動かなかった。不敵な笑みを浮かべて、ナベプタの体が当たる瞬間に数歩動いて回避する。
今までこれを受け止められた者はいなかったのに。どんな相手でも倒してきたのに。
「動きが単純すぎる。不意打ちならともかく、真正面からぶつかってくるなら避けるのは簡単だよ」
驚いた顔のナベプタに、レオンはこともなげに言う。避けられない方がどうかしているとばかりに。
なんだこいつは。生意気だ! ガキのくせに! 大人に舐めた口を聞きやがって! ぶっ倒す! 絶対に!
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
しかしナベプタには、体当たり以外の攻撃方法が無かった。今までそれで、なんとかなっていたから。
覆面のせいでくぐもった叫びを上げながら、再度突進。しかしレオンはあっさり避けてしまう。着ているローブが翻って腹立たしい。
いや、これはチャンスだ。格好つけていても、やっぱり子供の浅知恵には限界がある。再度接近しながら、手を伸ばしてローブの裾を掴んだ。
馬鹿め。こうして捕まえれば、避けられないぞ。
「馬鹿め。その勝ち誇った顔、ムカつくんだよ」
ところがレオンはナベプタの考えと同じ言葉を発した。
至近距離からぶつかろうとするナベプタに自分から接近して、少しだけ身を屈めた。
元より子供だから背は低い。その位置からぶつかった結果、ナベプタの方が転倒する。
何が起こったのかわからなかった。重心が低い相手にぶつかってバランスを崩すとか、そんな考え方はナベプタにはなかった。
気づいた時には、彼は石畳に顔をつけていた。




