26:残酷なスタートダッシュ
ウィクトリア王国西部の国内有数の湖の畔に、ミカエル家の館はある。
透き通った水面には三日月が写っており、ディアナはそれを眺められるテラスで夕食を食べていた。
豪勢な料理に幻想的な風景。
だけどディアナは浮かない表情で、無言で料理を口へ運ぶ。
20人は着ける豪華なテーブルにはディアナと、彼女と向かい合うボレアリスの二人だけ。
「お父様、お母様方は?」
「仕事だ。」
「そうですか。」
娘からの質問にボレアリスは素っ気なく答えた。
娘が学院に合格しても、祝うことなく仕事を優先する母親たち。
ミカエル家の人間ならば概装天使と契約し、異端審問官養成学院に合格するのは当然。
むしろ不合格になることがおかしく、出来損ないの烙印を押されるのが妥当なのだ。
しかし家族での食事。
祝わないまでも、全員が同じ卓に着くのが道理。
何故当主であるボレアリスは家族が揃わないことを黙認しているのか?
それはミカエル家のしきたりが関係していた。
ミカエル家には、❝天使の血を次代に伝える者を尊べ。❞という家訓がある。
血を伝える・・・つまりは女性。
よってミカエル家は、当主に選ばれた男よりも、その妻の発言権が強かった。
ましてやボレアリスは他の七大名家から嫁いできた婿養子。
妻に意見することなどできない。
だけどディアナにとって、この光景は見慣れたもの。
生まれた時から家族全員で食卓を囲んだことは一度もなかったし、母親と会うことなんて七年間の生涯で指で数えるほどしかなかった。
だから心細いと思ったことは一度もない。
これが彼女にとってのありふれた光景なのだ。
ナイフとフォークを皿の脇に置き、ナフキンで口元を拭いてから、ボレアリスは手を組んでディアナを見る。
「ディアナ。分かっていると思うが、お前も母のようにミカエル家が代々継承してきた天使の血を受け継ぐ子どもを産むことになり得る身。姉達とその席を競うのは遠くない未来・・・。」
「重々承知しております。」
「しかし・・・末のお前は上の姉妹とは少しばかり歳が離れている。このままでは負けるどころか並び合いに立つことすら難しい。」
ディアナの一つ上の姉とは、八つも歳が離れている。
彼女が妙齢に差し掛かったところで、せめぎ合いに参加できる可能性は皆無。
だからディアナは焦っていた。
今からでも姉達と大差を付けなければならないから。
そのためには、決定打になる功績をあげなければ・・・。
「そこで私は考えた。どうすればお前がその年で姉達と並び立つ・・・否。追い越せることができるのかを。聞きたいか?」
「はい。是非!」
・・・・・・・。
・・・・・・・。
「ジャンヌの娘を殺せ。」
父の口から予期せぬ言葉が飛び出し、ディアナは硬直した。
「かの魔女の王の娘を討伐せしめたとならば、お前の名はミカエル家・・・いや教会内に轟くこととなるだろう。」
「しっ、しかしお父様・・・!」
「なんだ?」
「奴はガブリエル家当主の庇護下にあります!あの女は教会内で最高の異端審問官と名高い英雄・・・。その目を欺けるとはとても・・・。」
「それは奴の生徒であるお前も同じこと。今マリア・ガブリエルは教会に召喚され、ジャンヌ討伐のあらましを述べているところだ。アレの娘が奴の学び舎に入ったと分かれば脅威を感じた者、名声を得ようとする者の一人や二人が殺しに来るだろう。そこでお前が不意を突くのだ。まさかマリアも、自分の教え子が殺すとは夢にも思ってないだろう。」
「でっ、ですが・・・わたくしには・・・。」
いくら最凶の魔女・ジャンヌの娘と言えど、相手は自分と同い年の女の子。
第一印象がどれだけ憎らしかろうと、七歳の少女を手に掛けるのはとてつもない抵抗がある。
「次の当主の妻にならなければ、お前が生まれてきたその意味が、失われてしまうことになるのだぞ?それでもいいのか?」
ディアナの全身から一気に血の気が引いていく。
血を次代に継げないと見限られれば、家族どころか人間とも見なされない。
七大名家の頂点に立ち、異端審問官の王家である一族から追放されれば、もうこの世界で生きていくことなどできない。
「魔女は世を食い荒らす害虫。ならばその子もまた・・・だろう?」
ディアナは勢いよくテーブルを立ち、ボレアリスの席まで行くと平伏した。
「お父様・・・。わたくしに、お任せ下さい。ジャンヌの娘を・・・殺します。」
ボレアリスはディアナの顎を指で上げ、頭を撫でてやる。
まるで飼い犬にでもやるかのように・・・。
「それでこそ異端審問官の王家、ミカエル家の人間として正しい選択だ。いい報せを待っているぞ?ディアナ。」




