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歴女JK謀神の子供を産む  作者: 星野林


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1521年 申三郎元服……吉川興経に

 安芸武田家を攻め滅ぼした大内軍は石見国に軍を向けて尼子軍を圧倒し、尼子家を石見国から追い出す事に成功する。


 そのまま普通の家であればそのまま尼子の本拠地の出雲に一気に攻め込みそうであるが、大内義興はここで軍を一旦停止する。


 北九州勢に睨みを効かせつつ、今年の分の勘合貿易の準備に取り掛かったのである。


 更に大内義興は備後等の山名家と和睦し、対尼子包囲網を狭める事に成功する。


 尼子は石見、安芸、備後、備中の4カ国の影響力が消失し、出雲、伯耆2カ国に影響がある勢力に転落。


 大内義興的には幕府が健在であるなら出雲守護の職を奪い、尼子の出雲支配の正当性を奪いたかったが、幕府が大混乱の最中にあり、それは叶わなかった。


 それでも尼子の出雲支配を否定するために寺領等に多額の献金を行い、寺社勢力からの切り崩しを積極的に行うのであった。








「どうか申三郎様に吉川の当主となっていただく!」


 吉川は遂に毛利や大内の圧力に屈して尼子派の武力を用いた粛清を敢行。


 幼子であった吉川千法師を吉川領から追放した上で出家させ毛利に臣従することを誓った。


 独立国衆吉川の滅亡を受け入れた上で、族滅を回避するために毛利に下る選択肢を取ったのである。


 正直毛利的には柱に括り付けてでも吉川に立って欲しかったが、吉川の内情がここまでボロボロであると判明すると、申三郎を吉川に養子入りさせて元服し、吉川興経を名乗る事になる。


 尼子に軍事物資を根こそぎ徴発されていた為に領内も荒れており、興経は父元就に至急の復興資金を投入して欲しいと言うが、まずは家臣の統制が先と一喝。


 興経は母である彩乃からアドバイスを受けながら14か条からなる吉川家法を作成。


 吉川家臣の権力を大幅に縮小し、吉川家当主に権限を集中させる戦国大名と呼ばれる人達は普通に行っていることであるが、敗戦のショックと家中の粛清で混乱している吉川を纏めるには強権が必要と興経はこれを吉川家老達に認めさせた。


 そして山ばかりの吉川領内でも産業を興して銭を稼ぐために彩乃からホルスタイン牛や馬産を行う牧場と大量の木材資源を生かす為に炭作りに力を入れる。


 あとは稲作に適した土地には未来の農法を強制的に行わせていく。 


 最初は強固に吉川を推し進める興経に農民や家臣から反発が起こったが、元就から預かった親衛隊を使い黙らせ、不満が蓄積していったが、秋の収穫が例年の数倍になると農民も家臣も一気に掌返しを行い、強固に進めてきたが故に周囲の成果が反映されると興経の権威がどんどん上がっていくのである。


 税率も引き下げ、更に毛利領と繋がる街道を毛利家の援助で行い、商人が通りやすくすることで領内を一気に活性化させた。


 ここまで興経は自身でも考えたが、元就や彩乃が考えた領地経営マニュアルに沿って行動しており、お陰で何とか基盤を作ることが出来たのである。


「ふぅ、オラ領地経営は苦手なんだぞ……」


「しかし興経様が強固に推し進めたお陰で領地は見違えるほど良くなりましたが」


「それはそうだけどもよ……この後はオラが考えねぇと行けねぇぞ。彩乃母さんや元就父さんの力を借り続けるのもいけねぇぞ!」


「その意気です興経様」


「(志道)就広も悪いな。オラに付いてきて毛利本家の出世ルートから外してしまって」


「いやいや、興経様と居るのは楽しいですからね。ただ今年は強権を多発しすぎましたのでこれくらいにしておきましょうか」


「そうだな。ゆくゆくは本家みたいに精鋭常備兵を揃えてぇぞ」


「資金問題が出てきますよね。元就様から養蜂技術は伝えると言われてますが、椎茸栽培方法は教えてくれませんでしたし」


「5年、10年単位で吉川の再建をするしかねぇぞ。しかも吉川は毛利家の家臣という立場になったからそこも考慮して領地経営をするしかねぇぞ……」


 すると家臣の1人が興経の政務室に駆け込んでくる。


「大変です興経様」


「どうしたそんなに慌てて……金や銀山でも見つけたんか?」


「いえ! 牧場の予定地の整地をしていたら大規模な湯源が見つかりました! 温泉です! 温泉!」


「なに!?」


 未来では広島藩が1750年頃に湯治場を作った事で有名な山の湯と呼ばれる湯源であり、牧場整備で小川を草刈りしていると小川が暖かい事に気がついた家臣が上流を探るとお湯が湧き出ている場所を発見したに至る。


 興経は直ぐに湯源の拡張と周囲の整備を指示し、彩乃に温泉があった場合どういう施設を建てればよいのか聞いたり、温泉宿の見取り図等を調べてもらうのであった。







 その湯源の水温は36度前後とそこまで高くは無かったが、長く浸かることの出来る温湯として活用できるとし、湯町を整備するように彩乃は興経に伝えた。


 実際未来の山の湯の資料を取り寄せた彩乃は打たれ湯という高い位置から湯を流して肩や腰に当ててコリを取るお湯があったりすることを調べ、その設備を建築したり、湯を引っ張って温泉宿を建てる事で観光資源として活用することを興経に教え、それをお金に変える仕組みを作るように興経に課題を与えたりもした。


 結果、宿には毛利領内で生産が始まった布団を用意したり、街道を整備し、質の高いが安い値段で入ることの出来る温泉と宿、それにご当地グルメとして豆腐田楽の職人の坊さんに温泉にご利益を持たせるための寺建てさせて、興経肝いりの温泉街を形成させた。


 すると厳島方面から流れてきた商人が毛利領の銀山城城下町から北上して山の湯で休み、吉川領や毛利本領、石見方面に商人が抜けるルートが確立し、金を落とす流れが出来上がるのであった。


 温泉街からはそんなに金が生み出されるわけではなかったが、商人を保護したことや吉川から毛利領内に繋がる道の関所を廃止した事、楽市令を行い商いがしやすい環境を整えた事で吉川領は内陸にあるにも関わらず商業都市が幾つも出来ることに繋がるのであった。

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