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歴女JK謀神の子供を産む  作者: 星野林


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1520年 噴進弾

 1520年は毛利家は1年間平和な年であった。


 前年から構築していた毛利、天野、平賀、竹原小早川から瀬戸内海を通り、大内領内に安全に物資を運搬する輸送路が確立し、毛利家が作る特産品(椎茸、蜂蜜)が大内領内に流れ込み、それを遣明船に乗せて勘合貿易をすることで大内と毛利は莫大な利益を、道中の国衆もお零れを貰うことができて喜んでいた。


 前年の天然痘の大流行によりダメージを受けていた事や尼子は備中攻めの総仕上げをしており安芸国にどこの勢力もちょっかいを出さなかったことも大きい。


 一方で大内義興は勘合貿易で中華が大量に欲しがっていた椎茸と蜂蜜の大量輸出により中華からも喜ばれ、大内義興に日本国王の称号が与えられ、明王朝としては室町幕府よりも大内を日ノ本一の勢力と認められたことになる。


 これにより幕府から特例で認められているという立場ではなく、明王朝から大内家に勘合貿易の特権が与えられ、他の勢力の介入をシャットアウトすることになる。


 この数年後に大内義興と仲が険悪になった細川高国が大内家の勘合貿易利権を幕府命令で停止し、一度失効した勘合符を持ち出して細川が勘合貿易を主導しようという事件が起こるが、明王朝側は大内家との取引の方が正当であると認めていたことで細川の遣明船は門前払いを受け、帰路の途中で大内家配下の水軍で細川の遣明船を襲撃し、沈めてしまい、大内家の中華利権を確定させることを決定づける事件が発生するが、史実では大内家の対応が拙くて、貿易停止となったが、それをされなかったので、毎年勘合貿易で莫大な富が大内家に流れ込み、文化と軍事力がどんどん肥大化していくことになるのだった。


 そんな大内義興に毛利領から物資運搬を更にスムーズにするための街道を整備したいと申し出があったことで、街道整備を行えと安芸国人衆に命令が届き、裏事情を知らない国人衆達は反感を覚えたが、それを毛利家が街道整備費用を肩代わりするとほぼマッチポンプの様な事で国人衆達の人望を集めることに成功する。


 毛利としては安全に商品を運べる街道が整備できたし、他の国人衆に毛利領内から素早く移動することが出来るので、防衛の生命線を毛利家が握るに等しかった。


 尼子に攻められたとしたら毛利家が突破されたら大内家安芸国統治の最重要拠点の鏡山城までの直通回路であるので、尼子に攻め滅ぼされぬために毛利に協力しろという脅しでもあった。


 その街道も直ぐに破壊できないようにコンクリートで舗装され、京から山口までの街道である山陽道(未来の西国街道)に連結し、街道から外れた毛利領内に人が更に集まるような経済効果も見込める整備であった。


「こちらが金を出すからのぉ……どんな道にするかは毛利が決めさせてもらうのじゃ」


 他にもこれで備後方面へと続く道が2箇所に増えた事になる。


 宍戸領内を通り三吉領から備後を通るルートと山陽街道を通り瀬戸内海側から備後を攻めるルートである。


 将来的な拡張を見越すとこれが大きな軍事的な意味を持つことになるのだ。


 元就が謀略を張めぐせていると、嬉しい知らせが入ってくる。


 彩乃と怜の出産であり、彩乃は相変わらず男の子が産まれ龍丸たつまると名付けられ、怜は逆に3人目も女の子であった。


 怜の女の子の名前は煌であり、輝きを放つ女傑となって欲しいと名付けられた。


 ただこの龍丸が毛利家におけるキーマンになるのだが、彩乃は普通の元気な子供としか認識していなかったのである。









 昨年種付けした馬達が出産となり、ばんえい馬の牝馬はばんえい馬のオスを種付けしたのでばんえい馬の子供が生まれるのは当たり前であるが、日本原産の中型馬を母体とする馬達からも普通の仔馬より大きな馬が生まれてきたのである。


 その仔馬達も普通の馬より大量に餌を食うが、1頭1トン近くのソリを引くことが出来る大型馬の誕生及び生産が可能となった事で数年後の軍事力が飛躍的に高まることが確定された。


 この馬であれば1人だけではなく2人乗りをしても十分な広さを持つ馬体をしているため、銃手と騎手を分けた銃騎馬兵として運用する事が可能であるのだ。


 これをやったのは日本では大型な南部馬を取り寄せる事が出来た大坂の陣の伊達軍だけであり、約90年後かつ、欧州では主流となる戦闘方式をいち早く取り入れる事が出来るのである。


 それにこの大型馬であれば物資の運搬も今まで2頭必要だったのが1頭で引く事が出来るので、荷車の大型化や馬の管理の手間の低下、2頭から1頭分の餌で済むという利点も多かった。


 何より元就は重騎兵による集団突撃に強い憧れを抱いており、騎馬兵をどう生かすかの戦術考案と鉄砲も用いた衝撃をいかに生かすかを考えるのだった。







 一方で新兵器の開発も進められていた。


 それは巨大なロケット花火であり、火薬を大量に使うが、攻城兵器として開発された物であった。


 噴進弾と名付けられたそれは発射実験で推進剤の量を調整すれば最大3キロの長距離を飛行し、導火線が火薬に着火すると詰められた鉄片をまき散らして周囲の敵を殺傷する恐ろしい兵器である。


 材料は推進剤、火薬、それを覆う鉄製の筒、薬室を形成する粘土、殺傷力を高める鉄片、飛行を安定させるための竹製の軸棒……これだけである。


 弾頭の火薬量は1キロから10キロまでになるが、重いほど射程距離は落ちる。


 ただ10キロでも弓の射程圏外から発射することが出来るし、軸棒の先端を鋭利にしておけば、飛んでいった勢いで土壁であれば、土壁に突き刺さり、弾頭が爆破することで壁を破壊することが出来る事が実験で確認できた。


 火薬を自家生産出来る毛利家しか使うことの出来ない攻城兵器である。


 逆に火薬が1キロの物は攻城兵器でなくても、野戦で敵に心理的な攻撃をするのに使う事が出来る兵器である。


 そんな噴進弾をこの年に実用化に成功し、弾の備蓄を開始するのであった。


 着々と毛利軍は強化されており尼子による安芸国侵攻を防衛するための準備を進めるのであった。

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