1514年 流民問題
「ここ違ってるよ。1桁多い」
「あ、すみません」
元就が留守の間、猿掛城は元就側近の粟屋元忠が城代として城の政務を回していたが、元就が色々行っている特産品の売買が完全に手に余ってしまい、管理が行き届いていなかった。
それを見かねた私が業務に介入し、商人達に帳簿を出させて利益から税を差し出させ、吉田郡山城改築資金を抽出していた。
「彩乃様、助かりました……」
「(粟屋)元忠、しっかりしなさいよ。将来的にあなたが元就様の片腕となって政務を取り仕切らなければならないのですよ!」
「武には自信がありますが政務はいささか……」
「しっかりしてください!」
粟屋元忠の他の家臣達も政務を必死に回していたが、広がった領土の税が明らかに足りていなかったりもして、私が出張って村長達に話をつけて検地を実行させたり、曖昧だった人口を把握するために元就様の領土の戸籍を作らせたりと発破をかけた。
家臣達よりも政務を行っているため、家臣達から裏城代と言われたりもしたが、金は幾らでも生み出せるとガンガン使えそうな若者を雇用して学び舎で教育後、ガンガン仕事を割り振っていった。
最初は兵として雇われたが、巡り巡って奉行になる人物もでてきたりして能力があればガンガン給金が上がる仕組みを作り、人手不足を解消して行政能力を引き上げていった。
「男の子ですね」
元就様が帰ってきたタイミングがちょうど排卵のタイミングだったのでおせっせすると5人目をバッチリ孕んでいた。
あと男の子ということでこれで猿(申)、雉(鳥)、犬(戌)がほぼ確定。
戦国桃太郎ズの完成である。
ちなみにマヤ姫の2人目や怜ちゃん妊娠することに成功し、順調に毛利家の子供が増えていた。
元就様と同じ年齢計算だと私も17歳……前世の年齢に来年で並ぶと考えると結構長く生きたなぁと思ってしまう。
そんな私は今日も今日とて特産品作り。
今回育てるのは木綿である。
ホームセンターで綿花の種を買ってきて農法を仲良くなっていた村長や村の人に教える。
「木綿ができれば暖かい服を作る糸の原料となり、寒さを凌ぐのはもってこい! 水やりが大変だと思うけど、難しくは無いし、春に植えたら秋に収穫だよ」
と私は伝えた。
育て方の農書も渡し糸を紡ぐ機械も用意するから育てて欲しいと頼むと空き地に植える程度で良ければと了承してくれた。
そのまま時が過ぎてお腹がまた膨らんできた秋になり、籠に乗せてもらって村に来て、収穫された綿を鈴木の親父さんに作ってもらった糸紡ぎ機で糸を紡いでいく。
足踏みでボビンを回転させながら徐々に繊維を伸ばしていき、長い糸にしていく。
1本の糸でも良いが、編み物をするならば2本に合わせて糸を太くする必要がある。
「で、これを編むとこうなる」
と、私は市販されていた安物のマフラーを村人達に見せ、触ったり、身につけたりすると暖かいと感動していた。
「1本糸だと細くて衣服に合っていて、2本糸だとこういう掛け物に適しているから……で、こんな物があれば売れると思う物を用意してきました」
見せるのは座布団。
外のカバーを作り、中に綿を詰めれば暖かい敷物の完成である。
その延長で大きくすれば掛け布団や敷布団にもなる。
寒い冬にはぴったりな物だ。
一緒に来ていた商人達もこれが作れたら売れる……いや、売りたいと太鼓判を押す。
「村では1本糸を作るところまでやってもらって、それを毛利家が買い取り、買い取った糸や木綿で製品を作る。その製品を商人達に買ってもらい、各地に売る……村には金が落ちるし、商人は個別の交渉をしなくて済む……どうかな?」
「村側は毛利家に作った物を全て買ってもらえるならこちらとしてもありがたい」
「商人側も品質を担保してくれるならありがたいが」
「なら決まりだね」
今年はお試しでの栽培だったために量がそんなに作られていなかったが、村人達は蜂蜜の他に新しい収入源を確保し、毛利家で問題になり始めている流民の労働先及び毛利の収入源として機能していくことになるのだった。
毛利家……いや、全国各地の領地を持つ勢力が悩ませている問題として流民問題がある。
今までの毛利家は流民が来るような魅力が全く無かったが、高橋領を手に入れたこと、元就が大規模な改築工事に人夫を金で雇い始めた事で、毛利領に行けば仕事があると思われて流民が増えていたのである。
今のところ米油の製造方法を家臣の方々にも広めてろうそくを作る職人として流民に仕事を与えたり、セメントが大量に必要になったので、採掘場に送り込んだりして人を捌いているが、働けるのは男の人が多く、女性や子供はどうしても余りがちになってしまっている。
ただ毛利家ではそんな女性を歩き巫女に育成したり、娼婦の仕事を斡旋したり、これから始まる糸を紡いだり、服を作ったりする仕事が増えれば女性も生きていくことができるし、子供達は孤児院を作り、忍び衆だったり兵だったり職人へと育てて、将来毛利に役立ってもらうという計画が進められていた。
それもこれも流民が流れ込む様になったからであり、これを放置しておくと野盗や山賊になり治安が悪くなり、村人から領主の人望が減るため村も武装を始め、争いが絶えなくなる。
そうなると国力がどんどん減っていき亡国に繋がるのである。
流民の扱いでも国ごとに違い、有名な織田信長、今川義元、武田信玄を例に出してみよう。
織田信長は流民を兵にしたり楽市楽座令を行うことで自由に商いをさせることを許した為に流民としては比較的生きやすい国であった。
今川義元は分国法、今川仮名目録に明記されていたが、流民に土地を耕させて新しい集落を作らせたり、闇市を開かせて、後から正式な市にさせるなどして流民を対処していったが、どうしても土地に縛られてしまっていたが故に、土地を拡張しなければならなくなり、尾張侵攻からの桶狭間の戦いに繋がっていくことになる。
流民としては耕す土地が与えられたのでここも生きやすい部類だったと考えられる。
最後に武田信玄は鉱山に流民を送り込んだ。
死んでも痛くないと割り切り、金の採掘に従事させたり、娼婦にして兵達の慰労をさせたと伝わっている。
例に上げた中では一番キツイが、生きる事は出来た。
じゃあ流民にとって生きにくいのはと言うと東北である。
ちょっとした冷害で直ぐに飢饉となり、山賊になろうにもどこにも食べ物が無い。
しかも奥州の武士達は血縁関係が強く、流民退治(山賊退治)が武士の習いとして普通だったので、ろくに生活することもできずに死んでいくことが多々あった。
まぁ流民になるのも田畑を継ぐことの出来ない次男、三男だったり、戦で田畑や家屋を燃やされてしまったり、村の掟を破ってしまって追放になったりと様々である為に、今毛利家がやっている職の斡旋は戦国の世では革新的な物なのである。
歴史に詳しい彩乃と未来を知った元就らしい国力増加の一手であった。




