1511年 1512年 元就と興元の会合 2つの問題と外交官元就
「しかし元就に商才があるとは知りませんでしたよ……いや、この場合農才ですかね」
元就は猿掛城では使い切れない金額を稼いでいたので兄である毛利興元にお金と新しい農法を家臣達に広めても良いか聞きに来ていた。
どうせ隠していても農民達の口伝で広まるのであれば、教えてしまって恩を売る方向でも話を進めていた。
「ふむ、私としては農法が広まることにより毛利家領内の収穫量が上がるのであれば是非とも広めてほしいですけど」
「わかったのじゃ。農法を熟知している家臣を送る故に任せるのじゃ」
「吉川に広めるのも了解しました……これは外交に使えるので交友がある国人衆にも伝えましょう」
「そうじゃな。なんなら大内義興様にも一言あったほうが良いかもしれんのじゃ。杉殿を通じてどうじゃ?」
「そうですね。こういう時の為のコネです。使っていきましょう」
米栽培に関する農法を纏めた農書を提出し、更に農業で使う道具を旋盤を使えば量産できるため、必要ならば売るから頼ってほしいとも伝えた。
「さて、目下の問題は高橋侵攻と宍戸家に関してですか……」
「高橋は毛利家の所領の約2倍、城も多く当主も勇将として名を馳せておる故に一筋縄ではいかんのじゃ」
「そうですねぇ……元就なら同切り崩しますか」
「宍戸は横領した領土を返却するのと農法を教えることで味方に引き込む事はできないじゃろうか? ……所領返却は高橋侵攻後、それまでの援軍費用や交渉費用はワシが出すが」
「それほど椎茸栽培は儲かるのですね」
「ああ、大陸や寺院が椎茸はとにかく欲しがる食材故に、作れば作るだけ売れるが、扱いも難しいのじゃ。彩乃の神通力があってなんとか機能しておるゆえのぉ」
「彩乃殿の神通力はそれほどですか……いやぁ男児を沢山産んでくれますし良い娘を娶ったものですよ。元就は」
「自慢の嫁じゃ」
「杉殿と連絡して大内商人にも連絡が付けられるようにしますのでもうしばらく待ってください……でも毛利領内で特産品と呼べる物が出来るなんて……元就に留守を任せて正解でした」
「井上元盛めに城を追い出された時にはどうなることかと思ったがのぉ」
「自力で城を奪還するとは出来た弟ですよ。(相合)四郎も良い武者へと成長してきていますし、毛利家の未来は明るいですよ」
「なぁ兄上」
「なんです?」
「出雲守護代の尼子経久はどう思う」
「ふむ……京では息子さんが活躍していましたが……どうしましたか?」
「いや、高橋が頼るとしたら近隣勢力だと尼子しか無いと思ったのじゃ。尼子の法整備は他国に比べて進んでおるし、軍権もしっかりしておる。毛利家は小さい家故に家長に権限を集中できれば良いと思うのじゃが……」
「今の毛利では難しいでしょうね。家臣団の独立性が強すぎる。執権であった福原家も父上の代で粛清を受けたとは言え、権限がだいぶ戻ってきてしまっているし、坂家、志道家、桂家の毛利血縁の家臣達の権限も強い……私が幕府と朝廷から権威を得たことである程度は抑え込めると思いますが……」
「尼子が家臣団調略に動くかもしれん。ワシは諜報を強めていくぞ」
「ああ、頼みます。京で活躍した忍びに褒美がまだでしたが」
「じゃったら忍び衆全体に何か褒美を与えてほしいのじゃ。金よりも地位の方が奴らは喜ぶぞ」
「ふむ……組織名と毛利直属の忍び衆として抱えましょうか」
「徐々に兄上に権限を回す故に手足の様に扱って欲しいのじゃ」
「分かりました。頼れる弟が居ると兄は楽で助かりますよ……しかしこの玉菜の塩漬け(無限キャベツ)は良いですね。酒の摘みとして合っていますよ」
「兄上酒は程々に頼みますよ。酒毒で父上も祖父も亡くなっているのですから」
「わかっている。前みたいに自我が保てなくなるほどは飲まなくなった。それに今は焼き鳥という美味しい物がありますからね」
安芸で流行していた鶏の料理に最初はどうかと思っていた興元も今では焼き鳥の虜であり、七輪で自分で焼き鳥を焼いてタレを浸けて食べるのが好物の1つとなっていた。
「刻鳥(鶏のこと)だし、五畜に入っているからどうかと思ったが、鶏って凄まじく美味しいのな。私は知らなかったぞ」
「寺社が自分達が食う量が減らないために流布した事だったらしいのじゃが、次第に仏教と結び付いて食さなくなったと調べたら分かったのじゃ。調べたら牛の乳を税として納め、料理に使っていた事も判明したのじゃ。今度牛乳鍋なんか兄上どうじゃ? 極上の味じゃぞ」
「へぇ……それは食べてみたいですね。四郎も誘って食べますか」
元就と興元の話し合いは終わり、方針が固まるのであった。
早速宍戸家と交渉となり、直ぐに土地の返還は難しく、高橋領を切り取り、家臣に代替え地を用意でき次第宍戸家に横領している300貫の土地を返却し、その間毎年300貫の金額を宍戸家に支払うという約束を元就は取り付けることに成功する。
最初は険悪な雰囲気であったが、元就自身が料理を作って持て成す事で宍戸家臣達も徐々に態度が軟化し、最終的に合意に至った。
そして迷惑料及び高橋領攻めの応援費用として1000貫をきっちり支払い、停戦をすることに成功する。
これで目下の問題の1つが解決した。
宍戸も後々になるが所領が返却されるのと、迷惑料が支払われるのであれば文句は無い。
というか合戦していれば双方国力が減衰する為、双方納得がいかなら直ぐに辞めたい戦であった。
今回の交渉で宍戸家臣や宍戸家当主からは外交官として交渉を担当し、敵地でありながら堂々とした態度で宍戸家、毛利家双方納得のいく交渉をした元就は信用に足りうると判断され、以後宍戸家に元就が行くと歓迎されることになる。
難しい交渉を達成したことで、吉川との交渉や国人一揆の原案の作成など、外交的役割をこなしていた事で、毛利家家臣達からも一目置かれるようになる。
続いて高橋領攻めは年が明けてから行うと決め、元就は忍び衆を使った離反工作を開始する。
毛利が約2倍の領土を有する高橋家を攻めるためには事前準備が必要であり、更に毛利だけに注力できない状態に持ち込む必要があった。
なので高橋家と敵対している家と連絡をする必要があり、高橋家の所領は石見国にも広がっていたため、石見国も親大内派が多数を占めており、京での合戦を戦ってきた者が多く、勝手に陣抜けをした高橋家の信用は大幅に低下していた。
吉川領内を通り石見の国人衆と連絡を取り、高橋攻めを計画していることを話し、それなりの金額を積めば協力を取り付けることは容易かった。
そして牽制として直ぐ様攻撃してもらったのだが、ここで元就の策略が綺麗に決まる。
年を越して1512年(永正9年)高橋家に侵食していた親毛利派の家臣を使い、陣頭指揮をしていた当主高橋久光の本陣が不自然に防御が薄くなり、高橋家有利に戦局が進んで油断した時に、敵の伏兵が高橋久光の本陣に突っ込み、当主高橋久光、嫡男高橋元光の2人が戦死する事態が発生。
合戦自体も裏崩れを起こし大敗。
高橋家の幹部家臣も多数討ち取られる事態となり高橋家の勢力は大きく減衰することになるのだった。
毛利元就が裏で図面を引いていたとは知らずに、高橋家は泥沼に沈んでいくことになる。




