1511年 船岡山合戦(毛利興元視点)
「このまま大内義興様に従い続けて良いのか……」
毛利興元は陣中で考えを巡らせていた。
酒に溺れては居るが、それは陣中のストレスを軽減する為の処置であり、酒に逃げていない時には元就の兄として十分な才覚を有していた。
現在幕府軍(10代将軍足利義稙)は反幕府軍(11代将軍足利義澄)と度々激突し、幕府軍が各所で敗北が続いて居た。
しかも大内義興が防備に向かない京を放棄すると言う判断に各国人衆達の動揺はピークに達していた。
毛利家家臣から不満の声も日に日に高まっており、限界を迎えるのも時間の問題だった。
そんな最中、毛利家とも繋がり深い高橋家と吉川家の両家から毛利興元に密使が入り、密会することで、3家による集団陣抜けをしないかと言う話が進んでいた。
高橋曰く大内義興が次の戦で大敗するような事が起きれば幕府軍は瓦解し、大内義興の影響力が安芸国から消滅する。
その間にそれぞれ領土拡大を行えば大内家に服従状態から脱せれるのではないかという話がされており、更に毛利興元の思考を巡らせる原因になっていた。
毛利興元は一部家臣からの引き留めがありなんとか日時を見合わせていたが、次の合戦に参加するかしないか……集団陣抜けをするべきかどうかについて結論が出せていなかった……が、ある者が毛利興元の陣に入ってきた。
「興元様、至急の伝令」
「何事だ」
「敵方足利義澄様病没。隠されておりましたが、確認を取ることができました! 敵方大将が居なくなり大混乱でございます」
「真か! その話は他の陣には伝わっているのか」
「いえ、毛利の草(忍者)のみが得た情報になります」
ちなみにこの忍者であるが元就が兄に度々各地の情報を伝えさせていた元農民の部下であり、1年前から各地の情報を又聞きしていたのを伝えていたのだが、元就より命令が届けられ、彩乃の未来知識でこの時期には足利義澄が確実に病没しているという情報を興元に伝えさせた。
勿論この部下に忍びの情報収集能力はほぼ無く、情報収集も元就に従っている商人達の情報網で得られた情報をほぼ伝えているだけであったが、元就からの推薦と度々送られてくる情報が正確であったために信用していた。
「……陣抜けの話は無しだ。この情報を(大内)義興様に伝えれば褒美が貰えるかもしれん! その話は真なのだな」
「私の目で遺体を確認しております」
「……毛利家の興廃はこの一戦にあり! 桂! 桂はおるか!」
「は! ここに!」
「高橋と吉川に私は残ると返答しろ。そして大内義興様に急ぎ取り次ぎを」
「は!」
高橋と吉川は毛利家が残る選択をすると聞いてならば勝手にしろと言い放ち、陣抜けを敢行。
一方で毛利家の草(忍者)が足利義澄が病没したということを掴んだと大内義興に説明すると最初は聞く耳を持たなかったが、次々に大内義興の草の者が京に陣取る軍(反幕府軍)が混乱しているという情報を掴むと、大内義興は全軍を率いて船岡山城に陣取る反幕府軍を攻撃し、船岡山合戦が幕を開けた。
高橋家と吉川家が陣抜けをした影響で安芸国人衆の信用が低下していた為に毛利興元は先陣を申し出て、合戦にて奮闘することになる。
「毛利家の武威を示すのだ! 賊軍を討ち取れ!」
毛利家は決して強い兵ではない。
長陣で士気も低下していたが、毛利興元が前に出て鼓舞し、戦線を維持することに成功し、そうなると西国の殆どの国衆が参加して総数が多い大内義興側に戦局が傾く。
日中では決着がつかなかった為に、一旦仕切り直しになったが、その日の夜に大内義興率いる幕府軍が夜襲を反幕府軍に仕掛け、反幕府軍は司令官である細川政賢が戦死。
反幕府軍は総数が6000名に対して幕府軍が2万の軍勢だった事もあり、反幕府軍は幕府軍の軍勢に飲み込まれて、約1300名が討ち取られる大敗を喫する。
追撃により播磨の赤松義村以外の反幕府軍の諸将は尽く討死もしくは捕らえられ切腹し、足利義澄の奉公衆(親衛隊とも言う)は全滅、足利義澄馬廻り衆もほぼ全滅、守護クラスの有力国衆も4人中3人が戦死か切腹し、反幕府軍は1戦にて崩壊することとなる。
「い、生き残った……」
毛利興元は家臣を数名失いながらも合戦で活躍し、反幕府軍の奉公衆、三上三郎を討ち取る手柄を立てていた。
その後の首実検の後に、京に凱旋した幕府軍は反幕府軍残党を掃討し、恩賞の時となった。
「毛利興元、此度の合戦での活躍実に見事であり、事前に伝えられた足利義澄病没の情報も真であった。これにより我が軍は賊軍を討伐することができた。よって陣抜けをした裏切り者である吉川及び高橋の所領の切り取り自由。及び幕府より問注所の役職を与える(争いごとの仲裁をする権利、国人衆がこの役職の場合地方の他家の争いを仲裁する権利を得れる)」
「は、ははぁ!」
「また追っ手になるが朝廷より正六位の任官の話を進めている。期待して待つが良いぞ」
「あ、ありがたき幸せ!」
史実では敵前逃亡の為に長陣の後に大内から討伐令が飛んでくる大惨事となったが、天下分け目の大合戦の功労者になった事で毛利興元の名声は鰻登り、安芸国の弱小国人だったのが幕府から役職を、朝廷からは権威が与えられることになり家格も急上昇。
これでようやく織田信長と同じ守護代の家老クラス……戦国大名のスタートラインに立つことが出来たのである。
更に嬉しい事は続く物で、陣抜けした高橋と吉川を討伐する為に毛利興元は大内義興から正式命令として帰国することが許され、他の安芸国人衆も毛利興元に余力するのであれば帰国することを許そうということで、興元のお陰で安芸国人衆は帰国することができるのであった。
大内義興からの興元への配慮であり、興元は安芸国東部の国人衆を味方に率いる立場と、裏切り者の高橋及び吉川の所領を切り取り放題という褒美もあり、家臣達も興元の判断によって所領が大幅に増えるため、分裂しかけていた家中統制を引き締めることに成功するのであった。
「帰ってきたぞ! 安芸国に!」
不安によって酒量が増えていたのであって、不安から解放され、活力に漲っている興元の酒量は大幅に減り、思考も鮮明に透き通り、叡智が戻っていた。
「おかえりなさいなのじゃ兄上!」
「おう、松寿丸……じゃなかった今は元就か! 聞いたぞ、俺が苦労している中お主子供を作ったそうじゃないか!」
「今2人目も孕ませてしまい……お恥ずかしい」
「負い目があるなら今度から働いてもらうぞ! まずは長陣お疲れであった! 今宵は無礼講、宴だ!」
疲れを癒す為の宴が吉田郡山城で行われたが、興元は元就と相合四郎の兄弟を呼ぶと、京での合戦の様子や、自身が幕府と朝廷から役職を与えられ、安芸国を差分できる立場を得たと嬉しそうに話す。
「では高橋と吉川はどの様に」
「高橋と吉川を両方攻めるは毛利の国力では難しい。それに吉川は鬼吉川と呼ばれるほど精強な一族だ。だったら血縁で取り組もうと思うのだが……」
「なるほど……しかしそしたら兄上の嫁ですか?」
「いや、なんと大内義興様の手引きにより筑前守護代の杉興長殿の娘を貰い受ける事となった!」
「おお! それでは!」
「ああ、杉殿は筑前守護代故に本拠地は遠いが、守護代家との血縁は毛利家の家格を大きく上げることにつながるであろう!」
「「おめでとうございます!」なのじゃ」
「四郎に元就もありがとう。だから吉川からは元就に側室を送らせる」
「わ、ワシにですか?」
「(相合)四郎にはこの度の合戦で活躍した吉原親冬の娘を嫁がせようと思う。年も近く、良縁であると思うぞ。元就は吉川の娘を使って最終的には吉川家を乗っ取ってしまえ。四郎は高橋領を切り取り次第所領を増やそう」
「わかったのじゃ」
「分かりました」
「うむ! 毛利の未来は明るいぞ!」




