1510年 クロスボウ 家格のお話
松寿丸様は旋盤で作られたクロスボウを見たり、実際に使ってみて鉄砲が普及するまでのつなぎとして使えると判断した。
クロスボウの利点は弓より訓練時間が必要としない点であり、壊れやすいのと弓より高価になってしまうという欠点があるものの、弓の矢とは別種の矢を使うため、敵に矢を鹵獲される心配が無いのが良い点でもあった。
「製造費用は600文弓の武具一式と同じ値段か」
「はい、ただ未来の木材等も使いましたので、実際量産するとなると1張1貫程度になるかと」
「有効射程20メートル、殺傷距離80メートルふむ……これだけでは使うのが難しいのぉ……」
「ただある程度の重さの矢を放てるのが利点なので火薬を用いた爆弾の投射機として使えばどうです?」
「ふむ……となると火薬の製造が必要になるな。硝石丘というので硝石を作り、硫黄と混ぜて火薬を作る必要があるのじゃな」
「クロスボウも籠城する時の兵器として使う分には良いかと」
「うむ、馬上で放つのにも向いておるし、何事も実験じゃな……それよりも旋盤を増産することを始めんといかんのぉ」
「そうですね。今鍛冶屋に設計図と現物を投げたので複製できるとは思いますが」
「それを待つしか無いのぉ……」
そんな話を松寿丸様とするのだった。
「松寿丸様……業務の書類が難読過ぎます……」
「拙者も松寿丸様の扱う角張った仮名文字が便利過ぎて……くずし字が難しく……あと数字も和算ではなく南蛮数字が便利過ぎるので家内だけでも南蛮数字で書類を作成してはいけませんか……」
1年以上学び舎で学び、業務を行い始めた小姓達が他の者があげてくる書類が難読過ぎて業務に支障が出ると悲鳴をあげていた。
「そこまで言うなら猿掛城内で統一する必要があるのじゃが……他の者にも数字と仮名文字を教える必要があるぞ……それを教えるのはお主らになるがやれるか?」
「やります! やってみせます!」
というわけで仮名文字と四則算が出来るようになった若者達が各所で仮名文字と四則算を教える講義を行い始めた。
最初は混乱もあったものの、半年もするとくずし字よりも仮名文字、和数字よりもアラビア数字(南蛮数字)の方が便利だと分かり始め、利に目敏い商人達や学問を知りたがる僧侶達の間でも噂になり、猿掛城だけでなく毛利領内で広がりを見せていた。
特にお金に目敏い井上一族と内政畑の桂一族、志道広良の志道一族は早期にこれらを習得し、各城の業務の効率化を推し進めるのであった。
しかし、あくまで必修ではなく、家長の毛利興元の許可無く広まったことなので、興元次第では撤廃しなければならない物であった。
ただ猿掛城内では多くの者が仮名文字とアラビア数字を使うようになるのだった。
「うむ……このままの勢いで度量衡の統一をしたかったが……」
松寿丸様、志道広良様、私、そして松寿丸様の側近となった粟屋元忠の4人で麻雀を打ちながら話をしていた。
「若様の力でその度量衡? なるのを決めてはならぬのですか?」
「元忠、意味をわかっておらぬな。若様の側近のお主がしっかりせねば駄目だ! 良いか度量衡は物の長さ、重さ、体積を決めるということだ。これを決められるのは権威ある者のみぞ」
「しかし、猿掛城で若様程力がある者はおりませんぞ」
「いや、猿掛城だけで度量衡を決めるのでは意味がない。最低でも毛利家領内で統一せねば効果がないのじゃ」
「そうなのですか? 若様」
「彩乃も黙ってないで元忠に言っていいぞ」
「では……元忠様、猿掛城では1尺1文で売られている大根があるとしましょう。桂様の領土では1尺1寸が1尺と決められて1文で大根が売られていた場合元忠様は桂様の領土で大根を買いますよね?」
「それはそうだな」
「大根なら良いですが、武器だったらどうです? 例えば刃長2尺の槍で揃えろと命令があったのに度量衡が統一されていないのでバラバラの長さになってしまったら不格好でしょ?」
「例えば年貢も枡の大きさを統一していなかったが為に井上元盛の様に大きな枡を用いて差分を懐に入れる不届き者が出たりするかもしれない」
「一番不味いのは城の陣張りをする時に長さが違うと陣張り通りの城作りが不可能になります……ただ国人の力が強くなり、日ノ本にあった度量衡が現在崩壊しているのですよ」
「なるほどな……それを統一するのに権力が要るのはなぜだ」
「元忠もっと勉強せい! 税に関わる部分故に変更すれば家臣から不満が出てくるものだ。しかも毛利は集権化できていない国人故に家臣の調停を行い物事を決定する体制で動いておる。多くの家臣は主君に権力が集中しない方が自由に動くことができるのだ」
「それは良くないのではないですか? 志道様」
「ああ、良くない。特に応仁の乱以降そこらで戦乱が起こるようになった今、集めるべきは宗家の権力集中であり、若様は分家である。力を持った分家は宗家にとって邪魔であり、粛清の対象にもなりうるぞ」
「なるほど……だから大きな改革である度量衡の統一を若様が行うことができないのですね」
「そうじゃ。それに若様の資金稼ぎも非常に危うい行いではある。宗家に上納金を納めてはいるが、井上元盛の様に自己の欲の為に動く者も居る……その者が当主の興元様に密告した場合、猿掛城の改革が全て頓挫する可能性もある」
「ではどうすれば……」
「1つは宗家の権限に手出ししない。2つは自己の領内で完結できる事にする。3つは逃げ道を用意しておく……じゃろ広良」
「はい、若様の言うように自己の中で動く分には良いのです。それを他人に押し付ける場合はそれ相応の理由と権力が必要になります。ただ毛利家には他の家臣を命令できるような権力が無いのですよ……」
まずこの時代の地方領主として一番偉いのは守護大名、次に守護代、そして守護代執権、守護代家老と続いていく。
織田信長は守護代家老の家柄であったが、守護代を追い出し、守護を立てる事で尾張の権威を入手し、幾度の親族の騒動で徐々に家臣の権威を削り、桶狭間合戦前には尾張限定ではあるが突出した権力と権威を掌握することに成功している。
ちなみに織田信長がこれをできたのは13代将軍足利義輝が家格や既得権益を破壊し、下剋上の土壌が完成したからであり、それ以前に守護代以下の者が守護職……国持ち大名として幕府から認められた事例は少し未来の尼子経久以外に例が無い。
後北条家が関東で国を何カ国も持つようになるが、幕府から任命された形跡は無く、後北条家は武力と善政を敷くことで民意によって成り上がった一族であるのでこちらも例外である。(お家騒動の原因の家格が無いため兄弟で争えば一瞬で潰されると分かっていたので、後北条家はお家騒動が全くなかったのかもしれないが……)
ちなみに毛利家はどうなのかと言うと、室町幕府初期、南北朝時代の混乱で鎌倉滅亡前後で失った所領を回復した1兵士……これである。
言っちゃ悪いがその後国人として他の国人や貴族の荘園をパチって領土拡大した輩としか言いようが無いのが毛利家であり、毛利元就の時代に数世代ぶりに幕府から役職を、朝廷から官位を貰うに至り……権威になりうる物が全く無い土豪に毛が生えたのが毛利家である。
そんな状態でも約1万石程度の勢力までなったのが奇跡であり、そんななので家臣統制は難しくなっていた。
「まぁ家格を引き上げられそうなのが大内に付いて朝廷や幕府に口を利いてもらってもしかしたら……程度なのでそんな大改革をしたら毛利家は家臣団が分解してお家騒動まっしぐらなのですよ」
「なんとなくなっとくできたぜ……あ、若様それはロンです。国士無双13面待ち、ダブル役満」
「ひぎい!?」
「あー、若様が飛んだ」
「うぅ……点棒が消えたのじゃ……元忠はたまに大きい役で上がるから怖いんじゃ……」
「よっしゃぁ! 若様に勝った! 奥様(彩乃のこと)! あれをください」
「好きだねぇ……はい、梅昆布」
「うっひょー! これよこれ!」
そんなこんなで家格にまつわるお話であった。




