1509年 毛利家金持ち計画1
「多治比の村で椎茸栽培と養蜂を拡大し、金を稼ぎながら養鶏にも手を出すのじゃ」
「養鶏ですか」
「うむ! 栄養について学んだが、卵を食べれば体に足りていない栄養をある程度補給することが出来るのじゃ。忌避感は少しずつ無くしていく必要があるのじゃがな!」
「地道にやっていきましょう……それよりもまずは教室の建設ですね」
「うむ! 学業を学んでこそ人は育つのじゃ!」
こうして城に向かう山中に校舎が建設された。
木造校舎であるが時代を考えれば立派である。
そこで集められた嫡子達や家臣の子供達……それを教鞭を執るのは志道広良と松寿丸様である。
他にも旅の僧を雇って仏教を教わったりもするが、同じ学び舎で学ぶというのは画期的で、猿掛城学び舎で学んだ子供達は毛利家の基礎人材として育つことになるのだった。
ちなみに子供達は美味い昼飯と彩乃が出す牛乳(成長応援飲料の粉末付き)を飲んでいくのであった。
「玉菜切ってください」
「はい!」
「この味噌汁には醤油を少し入れてください」
「はい!」
「肉を揚げるので見ていてください!」
「はい!」
私、彩乃は猿掛城学び舎が出来てから給食作りで忙しくなっていた。
猿掛城にも料理人はいたのだが、あまり腕が良いとは言えない。
そこで城主の松寿丸様命令で私から料理を学べと料理人達が言われ、最初は渋々従っていたが、私が作る料理(私も料理人じゃないので家庭でも出来る簡単な料理の延長だが)を食べると目の色を変えた。
更に私が未来から様々な食材を持ってくるのを見ると、神の使いであると勘違いして崇拝されるようになった。
お陰で話を直ぐに聞いてくれるが……。
料理人は朝、昼、夜の3食を用意する手間が増えたものの、私の言うことに従いながら料理を学んでいく。
私もこの時代の文字で書かれたレシピを料理人に渡して学ばせたり、実際に手本を見せながら学ばせ、最初は家庭科の授業で作るような料理ばかりであったが、1ヶ月程度で揚げ物も出来るようになっていた。
給食として人気メニューは唐揚げとカレーであり、鶏が居ないので、業務用スーパーで鶏肉を大量に買ってきて揚げたり、甘口のカレー粉を買ってきて野菜たっぷりのカレーを作ると給食の時に喝采が上がるようになっていた。
最初はどちらも忌避感が強かった(唐揚げは鶏の肉を使い、カレーは色が茶色なので)が、食べてみるとあまりの美味しさに仰天し、これが食べられるのは日ノ本でも多治比の学び舎だけと生徒達が知ると、プレミア感からそんな料理を惜しみなく食べさせてくれる松寿丸様の忠誠心がグングン上がる。
更に勉強の覚えが良いと褒美として未来の茶碗が贈られ、それを使って勉強が終わり、自由となった時間に松寿丸様自らが茶釜で茶を沸かして抹茶をキメる茶道ブームが起こっていた。
ちなみに松寿丸様の茶道も私のパソコンで映像を観たのと書籍で学んだだけであるが、様になっていた。
家に茶器を持ち帰り、茶器を親達に自慢し、見様見真似で褒美として抹茶を渡されて持ち帰り、家でも習った茶道を親達に披露するとそれが奇抜に見えたり、羨ましく見えたりし、少しずつ茶道が広がっていくのだった。
勿論政務の方も怠らない。
志道広良や僧が皆に勉強を教えている時は松寿丸様が政務を行うし、夕食後の他の者が寝る時間にも、ライトを光源に志道広良と私も手伝いながら政務の勉強と実際に政務の処理を行っていく。
また井上俊秀、俊久と世鬼政時の3人および毛利忍軍と名付けられた松寿丸様直轄の部下達は椎茸栽培と養蜂の増産を命令され、またほだ木の増産と養蜂箱の製造に取り掛かる。
これには多治比の村人達にも今年は協力してもらい増産体制に入る。
あとは米ぬかや菜種粕、商人達が集めてきた貝殻を焼いて砕いてぼかし肥料作りを行ったり、竹材として向くとされる孟宗竹の種を私が買ってきて、それを育て始めたりもするのだった。
肥料作りが終わり、忍軍の指導で多治比の村では未来の農法で米作りが全体で行われるようになった。
田植え作業を松寿丸様も協力しながら、田植えを終わらせ、秋の収穫に向けた準備を始める、
「松寿丸様、この剣山の様な道具は?」
「これは千歯扱なのじゃ。これを収穫した稲を噛ませ、引っ張る事で脱穀することが出来る道具なのじゃ! 明(現在の中華)で使われているとされる道具を再現してみたのじゃ」
「ではこちらの大きな絡繰りは?」
「唐箕という道具じゃ、脱穀したばっかりの米はゴミや籾殻も混ざっているじゃろ? それをこの出っ張りを回す事で風を送り、選別するんじゃ。一番手前の出口からは石が、2番目のところからは玄米が、奥の風が抜けるところからは籾殻や砂が飛ぶのじゃよ」
「ほお……これも唐ということは大陸由来で?」
「そうじゃ。大陸には米を助ける道具がいっぱいあるのじゃよ」
「なるほど……」
ちなみに精米は水車を使った精米装置を計画しており、大工に設計図を渡し、これが完成すれば村の皆が精米作業から解放されると伝えるとやる気を出して建設を始めていた。
勉学を行いながら夏が過ぎ、秋になり、収穫期となると辺り一面黄金の稲穂で埋め尽くされていた。
「大豊作じゃ!」
「やっほい!」
多治比村は空前の大豊作であり、貸し出された千歯扱を使い脱穀し、唐箕を使ってゴミを取り除いて水車を用いた精米機で精米していく。
大量の米ぬかや稲藁等の副産物も出てきて、米ぬかと稲藁は肥料や内職用(草履等)半分、新しい事業をするのに半分使うと松寿丸様が米ぬかと稲藁を納めれば税を少し軽減すると言って米ぬかと稲藁を集めさせた。
そして薩摩芋も豊作で各家では食いきれない量の芋を収穫することができ、私と松寿丸様が焼酎の作り方の本を見ながら焼酎の作り方を教え、米麹、水、酵母(未来から持ち込んだ 今回だけ)を加え、腐らせてしまったのも作りながら8割を酒母と呼ばれる酒の元にすることに成功させ、大釜で水を更に加え、穴を掘って作った酒蔵に樽を置いて二次発酵させ、それが終われば蒸留器(兜釜式蒸留器)を使って蒸留させれば焼酎の原液の完成である。
松寿丸様は父親が酒毒によって死んだ姿を間近で見ていたために飲まなかったが志道様が水で割った物を試飲しても普通の酒よりも度数が高く、喉が焼けるような熱さと濃縮された美味さに感動していた。
商人達もこれは売れると判断し、樽に詰められて大内領に売られていくのだった。
集めた米ぬかは米油という油の抽出を試してみる。
松寿丸様が本で見つけたらしく、米ぬかから菜種の様に油分を抽出することができれば高い油を使わなくても済むと思い、ホームセンターの道具と戦国の世にある道具を使って圧搾機を作り出す。
秋は米ぬかを、春には菜種を絞る圧搾機を水車に連結し、試運転段階でも結構な米油の原液を抽出することができ、これをどんどん濾過していくと副産物として石鹸の原料となる天然油脂とろうそくの原料となる蝋を抽出することができ、松寿丸様はこれを工業化できれば多治比の大きな特産物……収入源になるのではないかと思い、流民や孤児を集めて米油を作る作業と天然油脂、蝋を抽出する作業を行わせ、油脂は武具等の潤滑剤や雨を弾く為の加工に使い、蝋はろうそくに加工させて場内で使ったり、売ったりすることにした。
「本当は石鹸を作りたいんじゃが……多治比には海が無いのでのぉ……」
「仕方がありませんよ。でもこれで多治比でも永続的な特産品ができたじゃないですか!」
「それもそうじゃな! 米油の絞り粕は家畜の餌にもなるから米は本当に使わない部分が無いのぉ!」
「あとは稲藁ですか……なにに使います?」
「ふふ、稲藁は紙作りに使うのじゃ」
「でもコンニャク粉が今の時代には無いですよ……コンニャクをまず流行らせる必要があるのでは?」
「う、うぐ……それもそうじゃ……来年はコンニャク作りを流行らせるのじゃ!」
毛利家金持ち計画はまだまだ続く。




