6 顔合わせ
婚約の一連の流れを終えると、場所を移動して貴賓室に入った。
教会の貴賓室は高貴な人が訪れたときに使用する部屋で、豪華な調度品が飾られている。フローラは掃除したり部屋を整えるためにならば入ったことがあったが、まさか自分が使う側になるとは思わなかった。
一人掛けのソファに王子とフローラがそれぞれ腰を降ろす。フワッとする感じがなんとも慣れずに落ち着かない。
テーブルにお茶と茶菓子が出された。普段は自分でなんでもやるのが基本のフローラからすると、お貴族様待遇である。しかも王子に合わせたのか、フローラがお目にかかることなど滅多にない黄金色のフィナンシェだ。思わず手が伸びそうになって、グッと堪える。
ここまで一緒に来た人たちがさっと部屋を出ていった。扉は開いているが、婚約者同士の顔合わせといったところだろうか。二人で話す時間のようだ。
フローラが顔を上げると、第四王子と目があった。青い瞳は冷ややかで、口はきゅっと結ばれている。表情を読ませない顔つきながら、不機嫌さが伝わってくるようだった。
フローラは慌てて目線を下げた。同時に少しだけ落胆した。期待していたわけではないはずなのに、それでもどこかでいい関係を築ければいいと、そう思っていたのかもしれない。
「……」
どちらも言葉を発さない。
フローラは何を話したらいいのかそもそもわからなかった。なにせ相手は王子。平民からすれば雲の上の存在だ。一生のうちにその姿を見ることも叶わないはずの方と、まさか二人で話す機会があるなんて思うまい。
「……」
(何か話したほうがいいのかな)
沈黙が続き、不安になった。
貴族の社会では身分の高い者から話しかけられるのを待つものだと聞いたけれど、こういう場では違うのだろうか。もしかしたら王子に話題を提供させようと思うほうが間違っているのかもしれない。
粗相のないように、と言われたものの、何が正解なのか、いまいちよくわからない。
「「あの」」
ようやく声を出すと、今度はちょうど被ってしまった。あちゃあ、と思いながら頭を下げる。
「すみません」
「いえ、こちらこそ申し訳なく、思っております。えっと、まずは自己紹介をさせていただいてもよろしいか?」
「……はい」
「知っているとは思いますが、私の名はエルマー。第四王子で歳は十八」
王子の顔は強張っているし、むすっとしているようにも見える。それなのに話し方はゆっくり丁寧だ。セリフが最初から決められていて、言いたくはないけれどとりあえずこの場はその通りにしているのかな、王子も大変だ。
そう思いながら静かに耳を傾けていると、王子がすぅと大きく息を吸った。
「身長は175センチ、体重は67キロ。好きなものはブドウ、苦手なものは黒い虫。利き腕は右。犬か猫なら犬派、です。大聖女様との婚約を光栄に思っています」
言い切った、というように王子は残った息を吐き出した。
声が大きかったわけではないが、思ってもみなかった自己紹介がなされ、驚いて心臓がドクドクと鳴った。
(貴族の自己紹介って、これが普通なの?)
「ご、ご丁寧に、ありがとうございます」
「いえ」
戸惑いながらも、次は自分が自己紹介をする時間なのだと思い至る。
「フローラと申します。歳は殿下と同じく十八。えっと身長はたぶん155センチくらい。体重は……最近測っておりません。必要でしたでしょうか?」
高貴な人は体調の管理として頻繁に計測するのかもしれないが、一般的には身長も体重も測る機会などほとんどない。まさかこの場でそんな話が出るとは思わず、フローラも自分の体重を把握していなかった。
「いえ、お気になさらず」
「そうですか、それは助かります。それで、えっと、甘いものは好きです。利き腕は右で、あとは、すみません、何でしたっけ?」
「あ、いえ、お気になさらず」
いきなりのことに思考が飛ぶと、王子は二度同じことを言った。
王子がお茶に口をつけたので、フローラも一度お茶を飲む。いつもよりもしっかり味がついているお茶に目が覚めた気がした。一度息を整え直して、落ち着いて口を開く。
「先日大聖女の称号を女神様よりいただきました。私にとって大聖女の称号は嬉しいものではございますが、殿下にはご迷惑をお掛けすることになり申し訳ございません」
謝ったところでどうにもしようがないが、どうにも王子の、どうしたらいいものか、というような顔を見ていると罪悪感がわいた。エルマーは婚約はしていなかったそうだけれど、もしかしたら想う相手がいたのかもしれない。
「申し訳ないなどと……。大聖女になったのは素晴らしいですし、国にとっても喜ばしいことです」
王子の目がまっすぐにフローラを見ていた。初めてしっかりと目が合ったかもしれない。本当にそう思ってくれているのだと分かって嬉しくなった。
「そう言ってくださり、ありがとうございます」
優しい人らしい、とフローラは思った。もちろんこの短い時間で性格までわかるわけではない。だけど、二人になった瞬間に罵倒されることも視野に入れていた。そうしないばかりか、気を使ったような言葉をかけてくれる。本来ならば天上の人であるにもかかわらず、フローラを尊重する姿勢さえ見せてくれている。
できる限り迷惑をかけないようにしよう。フローラはそう決意した。
フローラとの婚姻はやむを得ないとしても、王子の行く末を邪魔するのはいけない。
「あの、殿下。発言をお許し願えますか」
「もちろんです。なんでしょうか」
「この婚姻は国の定めのため、私にはどうすることもできません。ですが私は殿下を煩わせるつもりはありません。殿下がよろしければ、婚姻後も私は今まで通り教会で、大聖女としての役目を全うしようと思っております」
王子との婚姻はそもそも、大聖女を王家の一員にしてあげるし良い待遇にするから今後も国のためにちゃんと働いてね、というものだ。王弟とイゾルデの話を聞くと、良い待遇とは? と思わずにはいられないが、本来の趣旨の一つはそうであったはずだ。
だけどフローラはそんな良い待遇を用意してくれなくても今後も大聖女として働くし、王子に何かを求めたり王子の生活に干渉する気はない。だから心配いりませんよ。
そう言ったつもりだけれど、伝わっただろうか。
フローラから目を逸らしていた王子は少し驚いた顔をして、フローラを見た。
「もちろん貴女の職務を奪うつもりはありませんが、婚姻後も教会で、というのは、このままこちらにいるつもりだということでしょうか? 私の住まいの離宮に移動するつもりはないと?」
「殿下がよろしければ、それでいいと私は思っています」
フローラが女主人顔をしていたら、王子は想い人を呼びにくいだろう。そもそもフローラは女主人の仕事というものがわからないのだ。もし勉強したとしても、大聖女としての役目と貴族夫人の役割を同時にこなすことはおそらく難しい。とすれば、フローラはきっと迷惑にしかならない。
だからその方がいいだろうと思っての提案だったけれど、なぜか王子は焦ったような顔をした。
「私の離宮は嫌ですか? 何か問題があるのでしょうか?」
「いえ、そういうわけではありません。ただ身分が違いますので、分不相応かと」
「分不相応……」
フローラは大聖女ではあるが、もとは平民だ。平民が王族の宮の女主人だなんて、身に余りすぎる。豪華な宮に住み、使用人にお世話してもらいたいなんて思っちゃいない。
(身の程はちゃんと弁えていますから!)
王子にはなるべく迷惑をかけないようにするし、困らせるつもりもない。そうアピールしたけれど、王子は困ったような顔をするばかりだった。
次回はエルマーのターンです。




