4 修道女はまだ愚痴る
ケース3:元侯爵令嬢クラウディアの場合
「婚約破棄されましたの。学園の卒業パーティで、婚約者だった相手からひどく罵られて、あることないことでっち上げられて、全部わたくしのせいにされましたのよ」
かつての婚約者は家の都合で決められていた公爵家の令息。どうやら別に好きな人ができたらしく、その女性がクラウディアに虐められただとか危害を加えられただとかなんだとか、言いがかりをつけられたらしい。
「やったのですか?」
「やっていませんわよ。せいぜい相手の女性に『婚約者がいる男性にむやみに近づくな』って忠告した程度ですわ。でも結局その場ではわたくしが悪いことになって、修道院へ行け、二度と出てくるなと言われ、送られてきましたの」
ほどなくしてクラウディアの冤罪は証明され、元婚約者は廃嫡されて辺境に送られたのだとか。
「お父様からは戻ってくるように言われましたけれど、戻ったところでまた駒のようにどこかに嫁がされるだけですもの。それに一度婚約に失敗していると、いい条件のところには嫁げないものよ」
「クラウディアさんは悪くないのに……」
「理不尽よね。でもそういうものなの。それにここでの話をいろいろ聞いていると、ね」
クラウディアは苦笑しながらフローラを見る。フローラも同意するというように苦笑し返した。
クラウディアはまだ若く、二十歳を少し過ぎたところだ。修道院に入って約三年。まだ短い期間ながら、見習いではなく正式な修道女である黒の服を着ている。
貴族の生活をしていた女性が修道院の規律の中で過ごすのは、とても大変なことらしい。それでも戻ることを選ばず修道女になっているのだから、彼女の覚悟が伺える。
「結婚してひどい目に遭う前で幸せだった、と思うようにしているの。もう婚約も結婚もしたくないわ。言われたとおり二度と出てやるもんですか」
勢いよく言い切ると、アマーリアとヨハンナがその通りというように深く頷いた。
「聖女は結婚を自分で選べると聞いたわ。するのもしないのも自由だとか」
クラウディアがそう言うと、ヨハンナとアマーリアもフローラをじっと見つめた。
「相手の都合もありますから、好き勝手できるというわけではありませんけれど、でも、そうですね。ある程度は選べます」
「そう……。結婚が必ずしも不幸とは言わないけれど、もしするのならば、よくよく、よーっく、考えるのよ」
「結婚しないのが不幸だってこともないのだから、しーっかり見極めたほうがいいわ」
三人の目に力がこもりすぎていて、フローラは思わず足を一歩後ろに引いた。
そんな話をしている時だった。聖女見習いが焦った様子で駆けてきた。
「フローラさん、すぐ来てください!」
「どうしたの?」
「妊婦さん、駆け込んできて、危険な状況」
走って探しにきたのだろう、彼女の息が切れていて、説明が途切れている。だけどそれだけでなんとなく状況がわかった。何度か同じ状況に出くわしているからだ。
以前に出会ったのは、夫の子なのに誰の子なんだと疑われて腹を蹴られて駆け込んできた女性。それから雇い主に手をつけられて子ができたのを奥方に見つかり毒を飲まされた元使用人。どちらも臨月だった。
「どこ?」
「本館の、救護室です」
「わかった、すぐに行く。あなたは少し休んでから戻って」
駆けつけた救護室には、大きなお腹を抱えて横たわっている女性がいた。苦しそうな顔には脂汗が浮き、床の所々に血が垂れている。
残念ながら予想通りだった。女性は至る所に傷や痣があり、暴行を受けて命からがら逃げてきたらしい。ひどい状態だった。
フローラは彼女のお腹に手を当てて状況を探る。幸い今のところ胎児は無事なようだ。
「赤ちゃんは元気ですよ。私が力を送りますから、一緒に頑張りましょう」
しばらくして、数人の修道女とフローラが懸命に支えるなか、女性は赤子を産んだ。元気な女の子だった。
救護室が喜びに沸く中、フローラは赤子を修道女に任せると、女性にできる限りの治癒を施した。疲れ切ってはいるけれど、意識はしっかりしている。
(大丈夫。絶対に、大丈夫)
フローラは自分に言い聞かせながら、女性の状態を確認していく。安定していた。だけどフローラは安心できなかった。
以前駆け込んできた妊婦のうち、一人は助からなかった。どんなに手をつくしても、どうにもならない時はある。聖女は万能ではない。わかってはいたけれど、その時フローラは無力感に苛まれた。
母は強し、とよく言うらしい。
この女性はおそらくお腹を必死に守ったのだろう。傷ついている中で、無事に子を産んだ。確かにそれは強かったのだろう。
だけど、母だから強いなんてことはない。
強くなんてないのだ。
数日後。フローラが修道院を訪れると、赤子を抱いてふんわりと笑う彼女がいた。まだ傷が完全に癒えたわけではないが、危険な状態からは脱していた。
状態を診て軽く癒しをかける。
「フローラ、彼女の状態はどう?」
心配そうに二人のおばさん修道女が覗き込んでくる。
「安定していますよ。このままここでゆっくり過ごせれば問題ないと思いますけど……」
フローラが意味ありげな視線をおばさんに送る。彼女は高位の修道女で、ある程度の決定権がある。目が合うと、彼女は軽くその目を釣り上げた。
「当たり前でしょう。この状態で追い出すなんてこと、できるはずがないよ」
修道院は常に満員御礼だ。希望する全ての人を受け入れたくても、そうはいかない。そして隣接していて助け合っているとは言っても、修道院のことにフローラが口出しする権利はない。
「まったく、ひどいもんだね。結婚は墓場だという人もいるけど、ここにいると本当にそうなんだろうなと思えてしまうよ」
高位の修道女がやるせなさそうに溜息を吐く。彼女は若い頃から修道女になりたくて修道女を目指し修道女になったという、修道女界のエリートだ。
フローラが女性を診る間、赤子をあやしていたもう一人のおばさん修道女が肩を落とす。
「あなたは結婚を経験していないからわからないでしょうけどね、墓場なんかじゃないわよ。静かにゆっくり眠ることさえできないんだから。地獄よ、地獄」
彼女は悲惨な結婚経験者らしく、赤子を女性に渡しながら「ねぇ」と同意を求めるよう首を傾げた。女性は悲しい顔をしながらもしっかりと頷いた。
「このまま元にいた場所に戻せば、本当に墓場行きになるわよ。神はそんなことは望まないでしょう。私としてもそうはさせないから、安心しなさい」
今後のことはわからないにしても、とりあえずしばらくは修道院で保護されるとのことだ。赤子を抱いた女性と一緒に、フローラも安堵の息をもらしたのだった。