24 レストランにて
四日目の宿のある町についたのは、もう日も暮れる頃だった。
「さっき力を使ったばかりなのに、今日も教会に行くのか?」
「行くと言ってありますから。馬車で休んだので大丈夫ですよ。エルマー様は休んでください」
フローラの方が明らかに疲れているのに、エルマーだけ休む気になれるはずがない。
フローラは当たり前のように教会に向かう。エルマーも当然のように同行した。休めと言ったところでフローラは聞かないのだから、エルマーだって聞かない。
フローラは普段と変わらない顔をして人々を癒し、最後に光を降らせた。
聖女らしく姿勢を保ったまま笑顔で教会を出ると、ふらっと糸が切れたように壁に寄りかかった。慌ててエルマーがフローラを支える。
「大丈夫か?」
「すみません、魔力切れです。少しだけ休ませてください」
「馬車を呼ぼう」
「エルマー様、この時間に馬を動かすのは可哀想です。宿はすぐですから、本当に大丈夫です」
「じゃあ、俺がおぶっていく」
ほら、と屈んで背を見せると、フローラは目を丸くした。
少し待ってみてもフローラが動く気配はない。
「乗って」
「そんなの無理ですよ。ほら、今の間に元気になりました。歩けます」
フローラは焦ったように立ち上がって歩き始める。
エルマーは仕方なく倒れたときにすぐに支えられるように、フローラのすぐ横についた。フローラが頼ってくれないのがもどかしい。いつか背を出したら乗ってくれるようになるだろうか。
翌朝、フローラはケロッと普段通りの顔で現れた。
いつものように騎士たちとも軽く挨拶を交わし、馬車に乗り込む。
「昨日はすみません。さすがにちょっとやりすぎました」
「体調はどうですか?」
「魔力は完全に回復したわけではありませんが、問題ないです」
「それは問題あるんじゃない?」
「大丈夫ですよ。今日泊まる予定のところには聖女がいるので、教会での癒し業務はお休みなんです」
「そうなの? じゃあ、体調が大丈夫だったらゆっくり食事に行きましょう」
馬車の中では軽く会話をしたり、休んだりしながら過ごした。
フローラは疲れているはずなのに、休憩ごとに騎士を気遣い、馬に癒しをかける。エルマーはやめろと言いたくなるのをグッと堪えた。フローラは頑張りすぎだ。
そして夕方。
予定より少しだけ早く着いたその街は男爵領の領都で、今までと違って大きかった。道も整備されているし賑やかだ。この街になら聖女が常駐しているというのも頷ける。
フローラは癒しは行わないもののその聖女と話をするということで一度教会に行き、エルマーはこの地を治めている男爵のところを訪れた。帰りにもここを通る予定なので、今は軽く挨拶をする程度だ。
お互いにそれを終えると、共にレストランを訪れた。ヴォルフが「気に入っているレストラン」と言っていたところなので心配だったけれど、平民の富豪向けくらいのランクの普通の店だった。エルマーはひそかにホッと息をつく。料理が美味しいからフローラと一緒に行け、とヴォルフに言われたものの、変な店だったらどうしようと思っていたのだ。
エルマーとフローラは、質はいいが豪華すぎない、そんな個室に通された。
「店員と護衛しかいないから、今日はマナーを気にせず食べましょう」
「それはとても助かります」
料理と共に葡萄酒も運ばれてきた。フローラがそれをじっと見ている。飲みたいんだな、と思った。分かりやすくて笑ってしまう。
「フローラはお酒好きなんだよね?」
「……知られていましたか」
「一緒に飲みませんか?」
「では少しだけ、いただきます」
フローラは一気に飲んだりはしなかった。一杯で終わりにするつもりなのか、大事そうにチビチビと飲みながら食事を進めている。
エルマーも同じように少しだけ、と思いながら口に運んだ。先日はめを外して飲んでその翌日に馬車酔いしていた騎士たちにいろいろ言ってしまった手前、エルマーがそうなるわけにはいかない。
ヴォルフに言われたとおり、料理は美味しかった。フローラも食が進んでいるのを見て、エルマーはヴォルフに感謝した。いろいろまあなんていうかあれな叔父だが、店や物を見る目は鋭い。
いろいろ話すうちに、話題はまた修道院のことになった。修道院に逃げてきた、どこかの貴族夫人の話だ。
「その方はことあるごとに彼女の夫に『修道院へ送ってやる』って脅されてたんですって。それである日彼女の限界がきたらしくて、そんなに言うなら修道院に行ってやる、って本当に出てきてしまったそうなんです。彼女のすごいところは、修道院に来る前に彼女の夫の所業を周りに全てぶちまけてきたことで、おかげでしばらく彼女の夫は大変だったそうです。その顔が見られなくて残念だわって言ってました」
フローラは饒舌にしゃべりながらクスクスと笑う。
そんな顔を見たことがなくて、エルマーは可愛いなと思いながらも戸惑う。よく見れば顔が赤い。まだ一杯目の葡萄酒が一口分残っているのに、もう酔っているようだ。
「修道院に送ると言われ続けたので、修道院とはどんな恐ろしいところなのかと思っていたそうなんですけど、夫になんやかんや言われなくてすむし全然いいって、結局戻らずに修道女になってしまいました。そうそう、結婚は墓場よ、とか言ってましたね」
「墓場……」
フローラは話しながらナイフで肉を切り分けて口に運び、ハッとした顔をする。
「すみません、食事にふさわしくない話題でした」
「いや、そんなことはない」
ちょうど結婚の話題が出たので、エルマーは意を決して聞きたかったことを聞いてみる。
「フローラは……、その、結婚が決まったのは、嫌でしたか?」
フローラは目を丸くしてエルマーを探るように見て、それから目を瞬かせた。
「嫌だと思うのは、エルマー様のほうではありませんか?」
「俺?」
「そうですよ。だって王子殿下という地位に生まれながら、いきなり大聖女が現れたからって平民と婚約させられたのですよ。本来だったらどこかのお姫さまとかご令嬢と結婚していたはずでしょう。それなのに、その相手が私ですよ?」
フローラは自分を指差す。目はエルマーに向いているが、どこか視線が合っていない。
「私は、嫌かどうかというより、ただ申し訳ないと思いましたね。私は大聖女を目指してなりましたし、その先に婚姻があることも知ってはいましたが、エルマー様はいきなりでしょう。しかも王命だから変えようがない。私にもどうしようもない。だからせめて邪魔しないようにって思いました」
「邪魔?」
「そうです、邪魔です。邪魔者はいないほうがいいのです。エルマー様にだって好きな人の一人や二人、いや三人四人? いるでしょう?」
「いや、いないし。そんなにいたら問題だし」
「エルマー様を好きな人だっていっぱいいると思うんですよ。だってこんなに優しいんですもの。それで、その人、人たち? と今後一緒に暮らすのに、私は邪魔じゃないですか」
「いや、人たちって、叔父上じゃないんだから……って優しい?」
エルマーの合いの手は聞こえていないのか、それからエルマーが「んむっ?」とした顔になったことにも気が付いていないのか、フローラは残った一口分のお酒を口にしながら話し続ける。
「だから私は今まで通り教会で変わらずに聖女をやり、王弟殿下とイゾルデ様みたいにどうしても必要な時だけ隣に立たせていただくのがいいのかなって思ってたんですけど……」
「それは俺が嫌だ」
「え?」
エルマーの言葉がわからなかったのか、フローラは聞き返しながらデザートのムースを口に運ぶ。そのあとで盛り合わせで出されていたフルーツの柑橘を口に入れて驚いた顔をした。その順番は良くないと思う。
「すっぱ! 目が覚めますね」
「眠そうだけど?」
一瞬だけ目を見開いたけれど、すぐにトロンとなった。なんだかんだいいながら、疲れているのだろう。フローラが普段どの程度お酒が飲めるのかは知らないが、酔いが回るのが早いみたいだ。
「俺は……嫌じゃないから」
「何がですか?」
「結婚っ! 結婚の話してたでしょ、今。それでフローラが俺が嫌だろうっていうから、嫌じゃないって言ったんだ。むしろフローラと結婚って聞いて嬉しかったし、今も嬉しい」
エルマーはそんなにお酒に弱いほうではない。だけどなぜか顔が熱くなる感じがした。
フローラはきょとんとした顔をして、それからふにゃりと笑った。
「エルマー様は優しいですね……」
それからフローラは何かを言おうとしたのか言ったのか、声は聞こえたけれど言葉になっていなかった。そしてカクンと首が垂れた。
「フローラ!?」
エルマーが慌てて近寄ると、すぅ、と息が聞こえた。
「寝たのか……?」
器用にも座った体勢のまま、フローラは目を閉じていた。ただ寝ているだけの様子にエルマーはホッとして肩を落とす。
それから、あまりにも無防備な姿にドキッとした。
きっと話したことは覚えていないんだろうな、と思いながら、もう一度呟く。
「嫌じゃないから。フローラも……」
いつの間にか、フローラのグラスは空になっていた。




