23 移動四日目
二日目、三日目も同じように馬車は順調に進んだ。
馬車で揺られるたっぷりの時間を使って、エルマーとフローラはたくさん会話をした。エルマーは聞きたいことや話題を考えてきていたので、話に困ることはなかった。
ずっと話しているのも疲れるだろうと思って、話したり休んだりを繰り返しながら、馬車は進む。エルマーはそれを楽しんでいたし、フローラも話しかければいろいろ返してくれて、会話を広げてくれる。全く気を使わないということはないのだろうけれど、少なくとも嫌そうではなかった。
途中で休憩が入るたびにフローラは騎士たちの様子を見に行き、馬にも気を配った。夜にはまたその日の宿のある町の教会で人々を癒した。
道中はただ暇なだけだろうと思っていたエルマーは、フローラが意外と忙しく職務をこなしていることに驚いた。
四日目。
この日は馬車酔いする騎士が多かった。少し長めにとった休憩で、フローラは甲斐甲斐しく彼らに癒しをかけている。その間にエルマーが隊長に確認すると、彼は気まずそうな顔で頭を下げた。
「申し訳ありません、昨夜は少しはめを外してしまったようでして……。言い聞かせておきます」
「もしやとは思うが」
フローラが近くにいないことを確認して、エルマーは小声で聞く。
「そういったお店に行ったのか?」
そういった店とは、おねえさま方がいる夜の店のことだ。フローラが必死に教会で人を救っていたときにそうしていたのならば、エルマーはさすがに怒りを覚える。
エルマーの顔が怖かったのか、隊長は焦ったように首を横に振った。
「それはありません。ただの飲みすぎです」
「本当か?」
「本当です。任務を終えるまでは禁止されています。任務をこなしたあとの帰りならともかく、行きに破れば厳しく処罰されますから、さすがにありません」
エルマーは隊長を睨んだが、彼ははめを外したわけではない。業務に差し障りがなければお酒自体は禁止されていない。今日も移動だけの予定なので、飲みすぎでの馬車酔いは自業自得なだけである。エルマーはハァと溜息をついた。
「フローラに余計な力を使わせるなと、よく言っておけ」
休憩を終えて馬車が進み、そしてまたしばらくして休憩に入った。
昼食をとって馬車に戻ると、フローラがエルマーに向かって苦笑した。
「癒しをかけようとしたら固辞されてしまいました。エルマー様、騎士様たちに何を言ったのですか」
「彼らはただの飲みすぎですよ」
「わかっていますよ。でも許してあげてください。騎士様たちだって、三日も馬車にただ揺られてたのですから。三日目を越えると精神的にも疲れてくるんですよ」
エルマーは、わかっていたのに癒していたのか、と思った。
女神ではないのだと気が付いていたけれど、やっぱり女神だと思った。
馬車の中の話題は、修道院の女性たちについてになっていた。たびたび聞いてはいるが、この話題が尽きないのが頭が痛く、情けない。
「その修道女さんは罪を擦り付けられた上で婚約を破棄されてしまったそうで、それで修道院に送られてきたそうです」
「その話は聞いたことがあるな。侯爵家のご令嬢の話でしょう? 兄上の学友の一人だったとかで、王家でも問題になっていたな。たしかそれで公爵家を継ぐ者が替わったとか」
「外のことはよくわかりませんが、王家でまで問題になっていたのですね」
「当時はかなり騒がれていたはずですよ。優秀なご令嬢だったのに修道院に籠ってしまって、説得にも応じてもらえないとか。無理やり修道院から出そうとしてさらに問題になっていましたね」
「彼女は二度と出ないと言っていましたよ。もう婚約も結婚もしたくないと」
フローラはやるせなさそうに目を伏せる。
そしてその目を上げた時だった。
急にフローラがハッとしたような表情をして、空気が張り詰めたものに変わった。
フローラは窓を開けると三秒ほど何かを感じ取るように風を浴び、エルマーに向き直った。
「馬車を止めてください」
よくわからないまま、エルマーは馬車を止めるように合図を出す。ほどなくして馬車は止まり、フローラは外に飛び出した。そして何かを探るように気を張り詰めて佇む。
なにが……と話しかけそうになった護衛をエルマーは手で制した。話しかけていい雰囲気ではなかったのだ。
エルマーたちの馬車が止まったことに気が付いた騎士たちを乗せた馬車も、少し離れたところで停車した。
少しの間そうしていたフローラが、ふっと肩の力を抜いた。
「この辺りの瘴気が濃いようです。できれば浄化したいのですが、いいでしょうか?」
許可を求めているようでいて、行くことは決定しているかのような目をしている。だけどこの場の責任者はエルマーである。まずは状況を把握しないと、許可の出しようもない。
「詳しく説明してもらえますか」
瘴気とはあらゆるところに存在はするものの、濃度が薄ければ問題にはならない。それがこの場所は異常に濃く感じられる。おそらく発生源が近くにあり、放置すれば魔獣が発生したり、人に害を及ぼすことも考えられるから、浄化したほうがいい、とフローラは説明した。
「場所はわかりますか?」
「瘴気をたどれば着くはずです。そんなに離れていないと思います」
「魔獣がすでにいる可能性や、危険は?」
「それは行ってみないとなんとも言えません。今の感じでは、いたとしてもそんなに強力なものにはなっていないと思います。ですが念のため、騎士様に同行いただけると助かります」
「わかった」
エルマーはすぐに号令を出した。馬車を守る騎士を残し、一行はフローラの示す方に歩いていく。歩き始めてみると、フローラは先程までのピリッとした空気を置いてきてしまったかのように軽やかになった。まるでただ散歩をしているかのようにさえ感じられる足取りだ。
フローラはうっそうとした森のような場所に入っていった。晴天なのに足元が少しねちゃっとする。
「なんだか気味が悪いな」
「エルマー様も瘴気を感じますか?」
「これが瘴気なのか分からないけれど、なんか嫌な感じはする。少し息苦しい」
「もう近いはずです……あ、あそこかな」
エルマーは怖いとさえ感じているのに、フローラはどこか楽しそうだ。
「ありました、ここです」
フローラが止まった先にくぼみがあり、中に濃い緑色の液体のようなものが溜まっていた。どろっとしているように見え、まがまがしい。そして臭い。エルマーは思わず「うっ」と声が出てしまったが、フローラは平然としながら振り返った。
「騎士様、魔獣の気配がします。二体います。あちらとあちらです」
フローラが指で方角を示す。神経を研ぎ澄ませると、示された方向からかすかに音が聞こえた。
「そんなに強くないとは思いますが、お願いできますか? 私は浄化に集中します」
隊長が「任せておけ」と言って指示を出すと、フローラは目を閉じて祈りの姿勢を取った。そしてよどみに向かって手をかざす。
フローラから淡い光が出ては、吸い込まれていく。
何かが逃げる音と、騎士の足音が響く。耳を塞ぎたくなるような悲鳴が聞こえた。それにも関わらず、まるで何も聞こえていないかのようにフローラは続けている。
どうやら騎士が魔獣を倒したらしい。こちらに戻ってくる足音がした。
ずっとよどみに吸い込まれていた光が辺りを彷徨いだした。そして一瞬パッと明るく光る。
フローラはかざしていた手を降ろし、ふぅと息を吐いた。
「終わりました。やはりここが発生源だったようです。もう大丈夫でしょう」
フローラの額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「フローラ、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。放置していてもしばらく消えなさそうなところだったので、見つけられてよかったです。あ、魔獣は大丈夫でしたか?」
隊長が「おう!」と応えた。二体とも倒されて、転がされている。
「言われた通り、今はまだこのサイズだ。だけどこのまま大きくなれば危なかったな」
フローラはその二体に手をかざして浄化する。浄化した魔獣の肉は食用になり、毛皮も使われる。騎士がそれを担いで馬車に戻った。
少しだけ休んでまた馬車が走り出す。初めて浄化を見たエルマーは少し興奮気味だ。
「よく気が付きましたね」
「私、瘴気を見つけるのは得意なんです。聖女仲間からもまるで犬みたいに嗅ぎ分けるわねって言われるくらいなんですよ」
「そうなのか」
「実は癒しよりも浄化のほうが得意なのです」
フローラはふふと笑う。それからエルマーを伺うように見た。どうしようか、と考えているようにも見えて、エルマーはフローラを覗き込む。
「やはり疲れたのではありませんか?」
「すみません、思ったよりも力を使いました。申し訳ないのですが、少し休んでもいいですか?」
「もちろん!」
「ありがとうございます」
フローラはホッとしたように微笑むと、コテンと壁に寄りかかった。そのまま目を閉じる。
ほどなくして、すぅと寝息が聞こえてきた。
初めて見るフローラの寝顔はあどけない。
やはり無理していたんじゃないか、とエルマーは心配になった。それと同時に勝手に喜びもしている。きっとフローラは警戒している相手の前で寝るなんてことはしないだろう。
少しは心を許してくれているということでいいかな。……いいよな。
いつか壁ではなくエルマーに寄りかかって寝てくれるようになるまで、エルマーはフローラを守ろうと誓った。




