20 出発
フローラに瘴気払いの仕事依頼がきた。
国境の近くで瘴気濃度が上がり、魔獣が狂暴化して被害が出ているそうだ。
この世界では、いろんな場所で瘴気と呼ばれるものが発生している。瘴気とは人にとって毒のようなものだ。この瘴気を吸い続けると病気になったり、瘴気の濃い場所では作物が育ちにくかったりする。
基本的には瘴気が発生しやすい場所には街や人里は作られないが、それでも人の住む近くで発生することもある。そして普段は害のない魔獣が強大になるという作用もある。
この瘴気を浄化するのも聖女の大切な役割だ。
聖女の服と私服を少し、それから本を一冊、大きめの鞄に詰めていく。石鹸も入れた。旅先でも自分のものは自分で洗う事になる場合が多いからだ。それを知っているのは、一年に一度くらいこういった仕事があるためだ。
迷いなく荷物を用意すると部屋を出て、イゾルデに挨拶をする。
「行ってきます」
「顔が緩んでるわよ。楽しみなのはわかるけど、危険がないわけではないのだから気を付けてね」
フローラはこの仕事が好きだ。王都からほとんど離れることのないフローラにとって、ちょっとした旅行のようなものだからだ。
だけど瘴気が蔓延して被害を受けている人がいるわけだし、魔獣を倒す討伐隊だって命をかけている。浮かれた気持ちでいては不謹慎だということは分かってはいる。フローラがキュッと顔を引き締めると、イゾルデがクッと笑った。
「エルマー殿下によろしく」
「エルマー様ですか? もう連絡はしましたよ」
「あれ、聞いてないの?」
今回の場所は遠方で、馬車で七日ほどかかる。そこから魔獣討伐と浄化をして、帰りには通り道に近い場所を巡って状況を見てこようと思っているので、合計で一月近く王都の教会を離れる予定だ。
エルマーとは今までなんだかんだと十日に一度くらい会っていたので、仕事のためにしばらく留守にすることはすでに伝えている。
フローラが首を傾げると、イゾルデも同じように首を傾げた。
「まぁいいか。充分気を付けて、任務を果たしてきて」
「はい」
「それから」
イゾルデは小さい声で、楽しんできて、と言った。
教会の馬車で騎士団に向かう。そこから魔獣討伐に向かう騎士たちと一緒に行くのだ。
集合場所の広場に着くと、すでに騎士達は集まっていた。今回王都から行く騎士は七人。そのうち一人だけいる女性騎士ともう一人の騎士は主にフローラの護衛をしてくれるそうで、彼らを含めて四人は前回も一緒に参加した顔見知りだった。そのうちの一人、一番年長だと思われる騎士がフローラに挨拶をしてくれる。
「聖女様、お久しぶりです。今回もフローラ様と聞いて喜んでいたんですよ。私が今回の隊長です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。初めましての方もいらっしゃいますね」
「そうですね」
彼はフローラの知らない三人を紹介してくれ、フローラも自己紹介をする。お互い挨拶が終わったところで、簡単に業務確認をしていく。
「今回王都から参加する聖女は私一人ですが、現地にてもう一人と合流します」
瘴気や魔獣の状況によるけれど、多くの場合聖女は二人か三人で参加している。今回は現地に近い場所で活動している聖女が後から参加するので、王都からはフローラだけが行くことになっている。
騎士も同じで、王都からは七人だが、現地でその領の騎士たちと合流する予定だそうだ。
「討伐はお任せすることになりますが、聖女の力が必要になりましたら道中でも遠慮なくおっしゃってください」
「心強いですな。こちらこそ、何か困ったことがあれば言ってください。細かいことはできないでしょうが、力だけはありますから」
乗ってきた馬車を教会に戻し、騎士たちの乗る馬車に荷物を乗せようとしたとき、入れ替わるようにもう一台馬車が入ってきた。なんだか見覚えがある馬車だ。
「隊長さん、あちらは?」
「殿下の馬車でしょう」
「殿下?」
聞いた答えが返ってくる前に、馬車が止まった。降りてきたのはエルマーだった。騎士たちが一斉に膝を折る。つられてフローラも頭を下げた。
「すまない、遅くなった。皆そろっているか?」
「そろっております。聖女様もいらしています」
「今回同行することになったエルマーだ。よろしく頼む。では早速だが出発しよう。フローラはこちらへ」
「……はい?」
ゆっくりと馬車が動き出す。騎士たちと同じ馬車だと思っていたはずが、当然のようにエルマーの馬車に乗せられ、正面にはエルマーが座っている。なぜ。
「あの、エルマー様。どうしてこちらに?」
「今回の責任者になりました」
全く意味がわからない。
それが顔に出ていたらしい。エルマーは少ししてやったり、といった顔で口角を上げた。
「魔獣討伐と瘴気の浄化が確実に完了した、という確認をする業務を任されました」
「エルマー様がですか?」
「そうです」
討伐と浄化が終わると、依頼してきた側にちゃんと終了していることを確認してもらうという作業が入る。撤退した後になって、全然できていなかったと言われても困るからだ。お互いに確認し合って業務終了となる。
だけどその確認を行うのは通常、その領の領主一族の誰かとか、領の偉い人とか、その場で責任ある立場の人が行うことがほとんどだ。王族が来るなんて聞いたことがない。
「今回は場所が悪いのですよ。隣国と接している地域なので、そちらにも影響が出始めてしまっているんです。こちら側から出た瘴気であちらに大きな被害が出てしまえば、国際問題になりかねないでしょう」
「国際問題」
「といっても、お互い様なので、大事になることはないはずですけどね」
今回瘴気が蔓延してしているのは国境付近で、隣国と陸続きの場所だ。どうしても隣国にも影響が出る。
現在隣国とは友好関係を築いているし、たまたま今回はこちら側で瘴気が発生したが、隣国で発生したものがこちらに来る場合もある。瘴気の発生はお互いどうしようもないことなので、ちゃんと対処さえすれば問題はないらしい。
「だけど一応は国と国の問題なので、王族が確認しましたと伝えなきゃいけないんです」
「なるほど。エルマー様も大変ですね」
「いいえ?」
王族ってそんなこともしなければならないんだなと思っていると、エルマーはなんてことはないというように軽く首を傾げた。
「元々は叔父上の仕事だったんです。でも代わってもらいました」
「王弟殿下のお仕事を?」
「参加する聖女がフローラだと聞いたので」
「えっ」
「こう言ったら怒られてしまうのですが、フローラと出かけられるのは楽しみでした。だから大変だとは思っていません。あ、ちゃんと仕事はしますよ! 邪魔にならない程度には動けるつもりです」
ニコッと笑ったエルマーに、フローラは目を丸くした。




