1 平民の大聖女
洗濯する衣服の入った籠を両手で持ちながら、フローラは空を見上げた。
教会の敷地内から見る空は青く、その半分ほどに白い雲が浮いている。朝の空気は湿気を含んでいるけれど、じきに洗濯物がよく乾くようになるだろう。
まだ地面が少し濡れている。昨日まで二日連続で雨だったので、自分の物だけとはいっても、籠はいっぱいだ。
「いい天気になりそう」
フローラはそう呟いて、溜息をこぼした。天気とは裏腹にフローラの気分は晴れない。
フローラは先日、女神様に認められ、大聖女になった。
大聖女はこの国の聖女界の頂点に立つ存在で、フローラを合わせて五人しかいない。その稀有な存在に自分がなったというのは信じられない。だけどたしかに女神様は大聖女の証しである能力を授けてくれたし、祝福するかのような白い光は儀式に参加していた全員が見たのだ。
大聖女になったことについては、フローラはものすごく嬉しく思っている。嬉しいに決まっている。血のにじむ努力をして聖女になって、それにも関わらず「平民のくせに」と罵られながら、必死に聖女の役割を果たしてきた。女神様はちゃんと見ていてくれたらしい。
ずっと目標にはしてきたけれど、届くことがないと思っていた大聖女の地位。
ちょっと浮かれてしまう程度にはフローラは嬉しくて、大聖女になってしばらくは鼻歌が途切れなくて笑われたほどだ。
大聖女になって一番嬉しいのが、平民だと侮られず、さらに聖女の仕事にまい進できることだ。そもそも聖女も貴重な存在のはずなのに、身分を振りかざして言う事を聞かせようとしてくる横柄な奴はいるものだ。これからは「平民のくせに」と言われても「大聖女ですが?」と言い返してやることができる。
大聖女の称号を得たことは、今までのフローラの人生の中で一番嬉しいことだった、といってもいい。
だけど一つだけ問題があった。
「結婚かぁ」
そう呟きながら、フローラは籠を置いた。衣服を一枚取り出して水につける。
聖女の結婚は基本的に自由だ。二十歳を越えていれば、いつでも結婚はできる。
結婚相手に関しても国内であれば問題はなく、聖女の意志が尊重される。いまだ決定権は親や親族にあるこの国において、女性側の意見で結婚を決めることができるのは珍しい。
聖女を娶りたいという家や男性は多い。社会的なステータスになるからだ。聖女になる前の身分であれば到底届くはずのなかった家柄から縁談があることも珍しくない。
あとは、なぜか聖女は質素倹約で心まで美しいと思われがちなところもあるかもしれない。実際はそうでないとしても、聖女は人気がある。
そして聖女側も、良家に嫁ぐことを狙っている人も少なくない。
だから聖女の結婚率はそれなりに高かったりするが、別に強制なわけでもない。
フローラは生涯結婚せず、聖女の職務を全うしようと思っていた。聖女は貴重な存在なので国に保護されており、それなりに給料は出るし衣食住は保証されている。貴族や富豪のような暮らしができるわけではないが、女性が一人で生活していくのは難しい世の中ながら、聖女ならば結婚しなくても生きていける。
なによりフローラは聖女という仕事が好きだし、誇りをもっていた。結婚している暇があるなら仕事をしたかった。
だけど大聖女となると話は変わってくる。
王家もしくはそれに準ずる者との結婚が決められているのだ。
フローラは平民である。
フローラの家は農家で、一家で作物を育ててそれを売ったり、加工して売ったりしながら生計を立てていた。食うのに困るほどの極貧生活ではないが、余裕があるかといえばそうでもない。だけど父母は明るく、兄弟も多くて家庭は賑やか。それがフローラの生まれた家だ。
十歳でフローラに聖魔力があるとわかったとき、両親は喜んだ。農村にいては教育の機会も多くはない。聖女を輩出できればもちろん名誉だが、聖女になれなくとも教会に入れば学ぶことができる。
「帰ってきたら、皆に学んできたことを教えてちょうだい」
「ちょっと母さん、聖女になるために行くのに、なんで戻ってくる前提なのよ」
「そりゃ聖女になったらすごいけど、相当難しいんでしょ?」
駄目で元々という軽い気持ちで家族はフローラを送り出し、フローラもまた深く考えることなく教会に入った。
それが思いのほかフローラに合っていて、努力の末に聖女になり、フローラの家族は仰天した。
「私ってばすごくない?」
「すごい」
「まじすごい」
「そうでしょう、そうでしょう、ふふふん」
久しぶりに戻った実家では、当たり前に畑仕事を手伝う。聖女になったところでフローラの本質は変わらないし、家族もまた変わらなかった。
「聖女になったんだから、もしかしたらどこぞのお貴族様と結婚しちゃったりするの?」
「あら、それはいい生活ができるかもよ。ドレス着て踊るんでしょう?」
「えー、そしたらフローラと会えなくなっちゃうの?」
「フローラは貴族夫人って感じじゃ全然ないんだけど。無理じゃない?」
口々に勝手なことをいう家族に「生涯結婚しません」と宣言しても、そうかそうかと笑ってくれた。
悪く言うならば庶民丸出しというか、芋臭いというか。そんな家族が、フローラは大好きだ。
大聖女になってほぼ強制的に結婚が決まったとき、フローラは家族に言われたことを自分でも思った。
「ほんと、貴族夫人って感じじゃないよ、私」
聖女としての礼節は身に着けたけれど、貴族のふるまいなんて知らない。
それが貴族どころか王族の夫人になるらしい。
(無理じゃないかな?)
フローラは大聖女とはいえ平民である自分が王子と結婚して、上手くいくとは全く思えなかった。