5 宝石の伝説
「あまり本気にしないで下され。ただの言い伝えですから」
オルド村長の言葉に、ダークが首を振る。
「言い伝えには、往々にして真実が隠されている。少なくともその一端が」
「面白そうな話じゃありませんか」
ヴィンセントも興味津々で、オルドはしぶしぶ口を開いた。
「そのためにはこの村の歴史から語らねばなりますまい」
ザッシュが大きなあくびをする。ヴィンセントは村長に笑顔を向けたまま、隣の脇腹を小突いた。
オルドは気にせず先を続ける。
「実のところ、この村は一度、放棄されているのです。というのも、わしが生まれるずっと前、この地で大きな戦争があったからで」
「ああ、ありましたねぇ」
「パランシアの悲劇のこと?」
ヴィンセントとダークが歴史を思い出し、立て続けに声を上げた。
王太子が鹿狩り中の事故で亡くなったことに端を発する、一連の内乱だ。彼の死が本当に事故だったのか、或いは何らかの陰謀だったのか、真相は未だ闇の中だが、この地方は一時荒廃した。
村長は頷く。
「ええ。戦禍を避けて村人は他所へ避難しました。戦乱が収まり、再び街道の往来が盛んになると、住民の何割かが戻ってきて、村を今の形に再建したのです。その頃には、以前の村の風習などはかなり曖昧になっておったようでしてな……」
オルドは難しい顔をして、頭をひと撫でした。
「避難にあたって、当時の村人があの遺跡に宝石を隠したという噂があります。それが宝石を生み出す魔法などというおとぎ話として、歪んで伝わっているのでしょうな」
隣のテーブルの男たちは、「いや、俺は確かにそう聞いた」「お前んとこのジジイはほら吹きで有名だったろ?」などとやり合っている。
オルドは聞こえないふりをして続けた。
「今と違って、当時は街道沿いの宿場として村も栄えていたので、ある程度の富はあったのやもしれません。しかし宝石ならば避難先に持っていくでしょう?」
「たしかに」
ルークが同意し、ヴィンセントとダークも無言で頷いた。ザッシュは両目を瞑っている。
「とはいえ、村人の中にもその噂を信じて、遺跡を探索する者が幾度となく現れました。主に若い男たちですがね……」
村長は両手を持ち上げ、肩をすくめた。
「結果は、何もなし。そもそもそれほど大きな遺跡でもありません。先ほど申し上げた広間の奥に、部屋がもう一つあるだけで」
「そうか……」
ルークが眉尻を下げ、残念そうに呟く。ダークは親指の爪を噛み、瞳を右に向けていた。
ヴィンセントは何かを言いかけ、考え直して唇を閉じる。その肩に、隣から重さがのしかかってきた。
ザッシュはいつの間にか眠っている。
テーブルに沈黙が降りていたため、遠慮がちに近づく足音に皆が気づいた。視線がそちらへと集まる。
「あ、あれ……? お邪魔、でした?」
先ほどの給仕かと思ったが違った。彼女よりもう少し年上らしきふくよかな女が、トレーを掲げている。
「えっと?」
ルークが首を傾げるのとほぼ同時に、彼女はテーブルにトレーを置いた。
「こちら、ご注文いただいたリンゴのパイと、クッキーの盛り合わせ、です」
「ああ!」
「ごめんなさい、お出しするタイミングがわからなくて……っ!」
何故か申し訳なさそうに顔の前で手を合わせる給仕。ヴィンセントが肩の重みを押しやって、笑顔を向けた。ザッシュはテーブルに額をぶつけて突っ伏すが、起きる気配がない。
「いえ、たいへん待ちわびていました」
「そ、そうですか!」
女はほっととした様子で眉間を開く。
「いま、お茶もお持ちしますね。村長も……?」
「いや、アルミナ。わしはもう帰るよ。それじゃあ、冒険者の皆さん。ゴブリン退治の方、どうぞよろしくお願いします」
「任せて下さい」
ルークが胸を叩いて請け負った。
リンゴパイは小ぶりだったが、ヴィンセントはそれを四つにカットした。クッキーには赤や黄や黒のジャムが塗られている。ベリーや柑橘から作ったもののようだ。
神殿に付属する孤児院および修道院で育ったルークとダークは、余った菓子をたまに口にすることがあった。けれどもそういう菓子はもっと素朴で、例えば硬く薄く焼いた少し甘いパンのようなものだった。
「美味しい……」
分けられたパイを飲み込んだダークの口から、珍しく素直な感想が零れた。ルークとヴィンセントは目を合わせたあと、にこにこと彼を見守る。二人の視線に気づいたダークは、唇をへの字にして俯いた。それでも、リンゴパイを食べる手は止まらない。
先ほどの女がお茶を差し出し、一行は菓子を食べながらそれを飲んだ。
ほろ苦く、やや酸味もある不思議な味の茶だ。液体はとろみのある黒。しかし菓子の甘さには合っていて、お互いの美味しさを引き立てる気がした。
「変わったお茶ですね」
ヴィンセントが、カップを傾けて匂いを嗅ぎながら店員に問う。眼鏡が湯気で曇った。
彼女は空になったポットを両手で抱えて、にこやかに頷く。
「村の周りに自生している豆の莢を煎って、挽いてみたのです」
「あのゲマみたいなやつを?」
「はい」
「私が以前に飲んだゲマ茶は、もっと甘い味がしましたが、これはまあこれで」
ダークは本の知識だけで、ゲマを口にしたことはない。ヴィンセントは違うようだ。カップをしげしげと眺めている。
「沢山生えているので、ゲマ豆のように食材にならないかなぁと以前から考えているのですが、難しいですね。変種なのか亜種なのか、えぐみが強くて。このお茶も、菓子には合うのですが、これだけで飲むと苦いですから」
なかなか、と、彼女は眉尻を下げて笑った。それから急に驚いた顔になり、口元に手を当てる。
「あ、申し遅れました。私はアルミナ。この酒場の責任者です」
「おお、貴女が噂の!」
ルークが大げさな声を上げ、俯せたザッシュの背中がびくっとした。一行の視線がザッシュに集まる間があき、それからアルミナへと戻る。
「たいへん腕の良い料理人だと行商人から聞きました。お若いのにご立派なことです」
「まあ、それはそれは」
アルミナは右手をほてった頬にあてた。
「もうそれほど、若くはないのですよ。親から受け継いだ店をきりもりするので精一杯で、何も出来ぬまま歳ばかりくってしまって」
彼女は眉尻を下げ、やや悲しげな笑みを浮かべた。ルークは黙り込んでしまう。色々察せられ、それ以上踏み込めなくなったのだ。
ダークは小さく鼻を鳴らして「馬鹿」とごく小さく呟いた。ごまかすようにカップを傾ける。眉間に皺が寄り、カップをテーブルに下ろした。
急にしんみりしてしまった一行を見て、アルミナは小首を傾げる。数瞬の沈黙が流れた。それから彼女は不意に息を飲み込んだ。
「あっ! そのっ、両親は今、王都に住んでます! 生きてます、元気です! 仕事でです! 二人とも料理人で……貴族様の館で料理を」
「あ、そうですか」
ルークは一段、トーンを上げる。
「はい。私もたまには顔を見せに行きたいと、考えてはいるのですが」
「行きたいなら行けばいいんじゃない? 行けない距離でもないでしょ」
ダークが不思議そうに口を挟む。視線は下を向いたままだ。ルークが小声で「ダーク! 言い方!」と窘める。
「俺らもそう言ってるんだよ!」
と、先ほどとは別のテーブルから、酔っ払いが絡んでくる。中年の男は顔が真っ赤で、突き出した指もアルミナから少しずれて揺れている。
「だけどこの姉ちゃんは意外と頑固でなぁ。奨励金を得るめどが立つまではって、聞かねえんだ」
「奨励金?」
「何それ?」
ルークとダークが相次いで問う。アルミナが彼らの方を向いた。
「ビュセル王の経済改革の一環で、特産品を算出する村には、国から奨励金が出ることになったんです」
「この村はほら……、北の街道が開通してからというもの、寂れる一方だろ? 生活が立ちゆかなくなって、王都に出稼ぎに行く奴も多い。そのままあっちに移住しちまう奴も」
ヴィンセントが無言で頷く。宿場として栄えていた村なのだから、その役割を終えた今、別のめぼしい産業でもない限りはゆるやかに消滅していく定めだろう。
ましてゴブリンが出没するなど、人の往来が減ったことで物騒になってきているのなら尚更だ。
ため息と共に、やや重い間があく。
その雰囲気を払拭するように、アルミナが顔を上げて明るい声を出した。
「お友達もお疲れのご様子ですし、今夜はここに泊まっていって下さい、冒険者さん方。いま、ベッドを用意してきますから」
彼女は一礼して、トレーを持ったまま引き下がった。
テーブルを拭いていた給仕の娘に、一言二言指示をして、奥へと消えていく。
「まあ、ともかく」
と、仲間だけになったテーブルでヴィンセントが口を開く。言葉の合間に、クッキーを美味しそうに囓っている。
「私たちに出来るのは、ゴブリンを退治することくらいですからねぇ。明日に備えて、ゆっくり休ませて貰いましょう」
「そうだな」
ルークが同意した。
「でも」とダークが口を挟む。彼は顎を前に突き出した。「誰が運ぶの? アレ」
その先ではザッシュが、うつぶせのまま寝息を立てている。
ヴィンセントとルークは顔を見合わせ、苦笑した。