4 酒場にて
三人が覗き込む。
「ほら。貴族の館でも修道院でもないのに、菓子がある」
菓子作りに欠かせない砂糖やハチミツやバター、卵は貴重品だ。貴族は日常的に甘味を摂っているらしいが、庶民は祭りの時くらいしか口にする機会はない。また、修道院は神への供物として菓子を生産しており、多額の寄進をした者や重病の者に薬として授けた。その材料は所領からの物納でまかなわれる。
メニューに示された菓子類は、当然ながら値段も高い。需要が多いとは思えないが、種類は少ないながらもメニュー下段には菓子のカテゴリがあった。
「本当ですね」
ヴィンセントが眼鏡を持ち上げた。その奥で、琥珀色の瞳がきらりと輝く。ダークは瞬いてメニューから手を離した。
「まさか、頼むつもりなのヴィンス?」
「お菓子は薬ですからねぇ。私の守備範囲ですよ。それにほら、こういうときのために貯金しているのですし」
白衣の青年は懐を叩く。
逆にザッシュは拍子抜けした表情だ。
「オレなら、菓子も肉がいいがな。生肉ケーキとか、冷凍肉ロールとか」
なんだそれは、とダークが小さな声でツッコミを入れた。ヴィンセントが笑う。
「君はそうでしょう、ザッシュ。ああ、キルくんにも食べさせてあげたかったですねぇ」
「キルリーフも甘いものが好きなのか?」
ルークが疑問を投げる。ヴィンセントは肩をすくめた。
「さあ? 反応を見てみたかっただけです」
「反応するかな?」
ダークはキルリーフの死滅した表情筋を思った。彼のことを時々、自動人形かなにかのように思うことがある。感情のブレが少なく、その分、仕事は正確無比だ。
「お待たせしましたー! エール三つと、キイチゴジュース。それにハムとチーズの盛り合わせです~」
給仕が両手いっぱいの注文を運んできて、テーブルの上に威勢良く並べていく。彼女が立ち去る前に、ルークは追加の注文を伝えた。シチューやパン、幾つかの肉料理、それにヴィンセントが選んだ菓子もだ。
給仕は掌に人差し指でメモをする仕草をした。彼女流の記憶術なのだろう。間もなく、料理が次々に届けられた。
デザートの到着はまだだったが、それ以外のあらかたの皿から料理が消えた頃、老人が近づいて来た。先ほど、給仕から示された村長だ。
ルークが立ち上がろうとしたのを、「あ、いやそのまま。そのまま」と片手で留める。
腰は曲がっているものの、血色が良くて元気そうな老人だ。
「わしはこの村の代表をさせてもらっておるオルドと申す者。お前さんたちか。ギルドから派遣されてきた冒険者というのは」
「そうです。俺はルーク。こっちが弟のダークで、ヴィンセント、ザッシュです」
オルドは一人ずつに視線を送った。
「四人か」
「いえ、あと一人。今はいないのですが」
ルークは困ったようにこめかみを掻く。キルリーフがどこに行ったか、彼にも把握できてない。問われたら何と答えようと悩む。
しかし村長は別段気にした様子もない。隣のテーブルから丸椅子を移動して、一行のテーブルの脇に腰掛けた。
「何でもゴブリンが急に溢れてきたとかで」
「そうなのだ」
ヴィンセントが水を向けると、オルドは眉根を寄せて頷いた。
そして酒場の一角を示す。
「この村から少し行った場所に、古い遺跡があるのだが、そこから急に湧き出してきおってな」
一行は顔を見合わせた。
「地下域と繋がったかな」
「かもね」
大陸の地下には太古の昔から、日光を苦手とする魔物たちが住みついており、巨大な巣穴を形成していると言われる。通常は互いに関わらぬため、地上の者たちはこの”地下域”についてほとんど知らない。
しかし、地下の環境が変わったり、強力な魔物が移動しくてると、追いやられた魔物が地上に出てくることがあった。
特にヒエラルキーの最下層に位置するゴブリンやコボルドたちは、こういった事情で地上に出てくることが多い。そうすると、彼らは食べ物を求めて近くの村落を襲い、被害が出るのだ。
古代の遺跡などは地下に埋もれていることが多いため、地下域と繋がりやすい。そうでなくとも、魔物の住み処と化してしまうことがよくあった。
「私たちも、来る途中でゴブリンの群れに遭遇しました。あらかた倒しましたけれど、それでも何匹かは逃げたことでしょう」
ヴィンセントが片手を動かしながら伝える。老人はため息をついて、ゆっくりと首を振った。
「夜は男衆が交代で見張りに立っておりましてな。幸い、まだ村の中までは入ってきておらんが、二度ほど、すぐ近くで姿を目撃されておる。その時は犬をけしかけたら逃げていったようだが」
「おそらく偵察だ」ルークが頷く。「自分たちの人数で襲うことが出来るかどうか、”群れの規模”を観察していたのだと思います」
「この村、建物が多いから……。それが功を奏しているんだろうね。空き家とバレるのは時間の問題だろうけれど」
ダークの補足に、村長も同意見のようだ。深刻な表情で頷いている。
「まぁ、オレらに任せとけ。綺麗に掃除してやんよ」ザッシュが胸を拳骨で叩く。「その代わり、報酬は頼むぞ! 金と美味い飯だ」
「ええ、勿論です。どうかよろしくお願いします、冒険者のみなさん」
オルドは深々と頭を下げた。彼が頭を上げたあと、一瞬の間があいた。「では」と腰を浮かせた老人を、ダークが「まって、もう一つだけ」と呼び止める。
「その遺跡について、知っていることを教えて欲しい」
「あ、ああ。そうですな。これは気が回りませんで」
村長は薄い頭髪を撫で、腰を落とす。
「規模はそれほど大きくありません。入口から階段を下ると、大きめの広間になっておりましてな。そこで年に一度、祭りを行っていました」
「祭り?」
「宗教施設ですか?」
ダークの疑問符に、ヴィンセントの質問が重なる。オルドが頷いた。
「年の初めに、地母神ガイアナに豊作を祈る儀式をそこで行うのです」
「それじゃあ、ゴブリンが湧き出したのって最近なんだね?」
「はい。今年の儀式の時には影も形もありませんでした」
「なんでも、神殿のどこかに山のようなお宝が隠されているらしいぜぇ?」
突如、隣のテーブルから声が掛かる。一行が振り返ると、鼻を赤らめてすっかり出来上がった男が、片手でジョッキを掲げていた。
その向かいから、ネズミのように前歯の尖った男も口を挟んでくる。
「俺が死んだじいさんから昔聞いた話じゃ、宝石を生み出す魔法が掛かった部屋があるらしいぜ?」
「宝石?」
「魔法?」
ルークとダークが同時に、別の言葉を拾い上げた。
「これ、よさんか。外の人たちにそのような戯れ言を」
オルドが酔っぱらいたちを窘める。
「詳しく聞きたいですね」
とヴィンセントが眼鏡を中指で持ち上げる。村長は眉尻を下げた。