3 衰退する村
地図を頼りに、暗くなりゆく森を行く。ダークが杖の先に魔法で明かりを灯しており、白々とした光が木々の間を流れる道を浮かび上がらせた。
ルークが顔を上げ、地図を丸める。
「うん。この道で間違いない。村は多分もうすぐ――」
仲間を振り返りながらのセリフを、彼は最後まで言えなかった。
突如、後方から矢が飛来して、顔の脇をかすめたのだ。
「ゴブリンか!?」
ザッシュが腰の剣に手を掛け、獣並みの反応速度で振り返る。だが後ろにはキルリーフがいるだけだ。
森エルフは左手にロングボウを構えていた。右手は空だ。
「キルくん……?」
ザッシュの隣から、ヴィンセントが怪訝な表情で問いかける。
「蛇」
キルリーフはぼそりと口にした。
それを聞いて、ルークが矢の行き先に目をやる。木の枝からぶら下がっていた黒い蛇を、森エルフの放った矢が見事に射貫いて幹に磔にしていた。
「あっ、確かに黒い蛇が」
すかさず、ダークが杖を翳す。
「違うよ、兄さん。良く見て」
隣から弟の言葉を受け、ルークは見直した。そして瞬く。
「ほんとだ! そっくりだが、これは蛇じゃない」
彼は近づき、幹に貼り付けにされた黒い物体に触った。ひび割れた中から、丸くて黒い粒がこぼれ落ちる。
ダークがそれを拾った。
「豆だ」
「こっちは莢だったよ」
「豆? 食えそうか?」
「食べたら分かるんじゃない?」
ザッシュの声が弾む。ダークは彼に向けて、拾った豆を放った。ザッシュは飛んでくる豆を、口を大きく開いて直接迎え入れた。隣にいたヴィンセントが「あ」と言って制止の手を伸ばしたが、全く遅い。
ザッシュは瞳を上に向けて、考えるように咀嚼した後。
「まっず!!」
と砕かれた種を吐き出す。彼は口を歪め、眉間に皺を寄せてぺっぺとツバを吐いた。手の甲で、口元を拭う。
「すげー苦いし、鉄っぽいし、ぜんぜんダメだ……」
ヴィンセントが呆れ顔で笑う。
「まったく。毒だったらどうするんですか」
「ハッ。オレにそんなもん効くか」
ザッシュは胸を張った。ヴィンセントは肩をすくめたが、それ以上は何も言わない。
「すまない」
背後でキルリーフが謝罪した。彼は既に、ロングボウを背負っている。
「遠目には蛇に見えた」
「近くで見ても、蛇に見えるよ。これは」
ルークがフォローする。彼は矢を引っこ抜き、植物の莢を手にしていた。莢は艶々と光沢のある黒っぽい色で、太さも蛇のよう。真っ直ぐではなく、不規則にカーブを描いている。良く見れば、同じ莢が周り中に見られた。枝についている莢は、黒もあれば緑のものもあり、特に黒いものは枝にとぐろを巻いているように見えるのだ。
「この辺りの木は、みんなこの豆科植物の木のようだ」
「ダークは知ってるのか、この木」
「見た目はゲマ豆に似ている。けれどザッシュがマズイと言っていたから、形が似ているだけで違う種かも」
「食えねえものの話はもういいよ。早く行こうぜ」
ザッシュの声で、一同は再び道をたどり始めた。
間もなく木々が開け、村が姿を現す。思ったよりも軒数が多かったが、近づいていくと人の気配がない家も多かった。
既に日は没し、幾つかの家からは明かりが漏れ、煮炊きの煙が上がっている。
一行は道なりに、家々の間を縫って進んだ。柵に囲われた畑もちらほらとあるが、どれも小規模だ。村の生活は、森での狩猟や採集に多くを負っているのかもしれない。牛や豚、羊に馬、家禽の姿もみかけるが、同様に数は多くない。典型的な寒村だ。
「どこから来なすった」
途中、右手の方からしわがれた声がかかった。
見れば民家の庭先に、パイプをふかしている老人の姿がある。ルークがまず足を止め、後続が順に足を止めた。生真面目な青年は、村人に向き直って一礼する。
「俺はルラールの神殿騎士、ルークです。ギルドからの依頼を受け、ゴブリンを退治しに参りました」
「おお……。お前さんたちが」
ルークの丁寧な態度と、神殿騎士という名乗りに、老人は一気に警戒を解いたようだ。安楽椅子の上で二度三度頷く。
「村長の家は、広場の方じゃよ。でも今の時間はアルミナのとこじゃろうな」
老人がパイプを持った右手を、道の先へ向ける。
「アルミナ?」
「”木漏れ日亭”っちゅーこの村に一件しかない酒場じゃ。そこの料理人なんじゃよ。アルミナは」
「聞いていた通りだね」
ダークが呟く。ルークは頷き、老人に一礼して踵を返した。
広場まで来ると、酒場という建物はすぐに分かった。ひときわ大きい。それに入口扉の隙間から、明かりと喧噪が漏れている。
小さな村だが、ここが仕事終わりの村人たちの共通の憩いの場であることは想像に難くない。広場の中央には共用の井戸があり、そこを通過して酒場の戸口を潜った。
急に現れた新参者に、振り返った村人の表情から順に笑いが消える。何者かと窺う視線。ひそひそと囁き合う声。
体格の大きいザッシュには、特に視線が集まった。とりわけ、彼の頭から生えている角に。
ルークが見渡す視界に、若い娘が割り込んできた。
「いらっしゃいませー! 冒険者さんですか?」
明るく声を掛けてきたのは、給仕のようだ。三角巾を頭に巻き、肩までの髪を二本のお下げに結んでいる。
「あ、はい。冒険者ギルドからの依頼で来ました」
ルークの顔が笑み崩れるのを、ダークは冷ややかな視線で見つめる。品行方正で非の打ち所のないと言われる兄だが、女性にとても弱い。
給仕娘ははにかんだ笑みを浮かべ、彼の後ろに視線を送った。
「四名様、ですね! お席へどうぞ~!」
この言葉に、ヴィンセントが背後を振り返った。いつの間にか、キルリーフの姿がない。
だが彼は、軽く眉を持ち上げただけですぐに先に席に向かう三人に追いつく。
「とりあえずエールでよろしいですか?」
「あ、僕はジュース」
ダークが顔をうつむけたまま、ぼそりと言った。
「オレは肉な!!」
「ザッシュ。まずは空気を読んで、飲み物を選びましょうね?」
「肉も飲めるだろ……?」
ヴィンセントのツッコミに、混じり者は不思議そうに答えた。何度も唇をなめている。もう空腹が限界なのだろう。
治療師は「ちゃんと噛みましょう」と噛んで含めるように言った。
「エールを三つとジュースを一つで」
ルークがまとめた。給仕は頷き「それとハムの盛り合わせを一緒に持ってきますね」とザッシュを見ながら続ける。
踵を返そうとした彼女を、ルークがもう一度呼び止めた。「まだ他にも?」と足を止めた相手に、「村長はこちらに来ておられるか?」と尋ねる。
給仕はカウンターで食事をしている老人を目線で示した。
「声を掛けますか?」
「いや、食事中ならあとにしよう。実は我々も空腹なんだ」
「わかりました」
給仕は感じの良い笑みを浮かべた。
彼女が立ち去ると、ダークはほっとしたように息を吐く。兄と対照的に、弟は女性が苦手だ。過去に起きた事件がトラウマになっている。
「キルリーフはまたどこかに行ってしまったのか?」
ルークが対面に座るヴィンセントに尋ねた。白衣の青年は頷く。
「キルくん、賑やかなところが苦手ですからね」
「いついなくなったのか、オレにもわからなかったぜ」
ザッシュが朗らかに言う。ザッシュは知覚に優れるが、キルリーフの隠密能力はそれを上回っていた。
彼らが会話している間に、ダークはメニューを黙々と読んでいる。彼は重度の活字中毒で、文字が書いてあるものを目で追わずにいられない。
「ここのメニュー、ちょっと変わってる。見て」
やがて魔術師は顔を上げ、皆の方にメニューを広げて差し出した。