2 遭遇戦
真っ先に立ち上がったのは、神殿騎士のルークだ。
「誰かが襲われているんだな!?」
キルリーフに問いかけ、答えを待つ間もなく走り出していた。
「待って兄さん、盾! ……ったく!」
双子の弟も立ち上がったが、兄を制止しようとしてだ。ルークは休憩中、盾を外していたのだが、急ぐあまり荷物と共に置いて行ってしまった。こういうときばかりは、大事な弟の言葉も耳に入らないらしい。小さくなる兄の背中に舌打ちし、ダークは仲間を振り返った。
「敵は何?」
「……ゴブリンだ」
キルリーフが、口元を隠すマフラーの下から低い、平坦な声で答える。
「ただ、数が多い」
「ならば尚更、君の魔法の出番ですね、ダーク」
白衣のヴィンセントが、いつの間にか隣に並んで魔術師の背を軽く叩いた。
「行きましょう。ルークが心配です」
彼は左手の中指で、眼鏡のブリッジを押し上げた。道の向こう側を肩越しに振り返る。
「ザッシュ、行きますよ」
「オレ、まだ飯食ってる途中……」
「襲われているのが村人か隊商なら、お礼に美味しいご飯を貰えるかも知れませんね」
「行くか!!」
ザッシュは目を輝かせ、岩から跳ね起きた。唇を舌でなめ、不敵な笑みを浮かべて走り出す。
ヴィンセントとダークが続き、その背中を見送ったあとで、エルフは木の梢へと飛び乗った。
道の先では、襲撃を受けた馬車が横倒しになっている。
御者らしき男は馬から投げ出され、背中から矢羽根を生やしていた。崩れた荷物を背にし、悲鳴を上げて抱き合う二人の女性、それを庇って戦うがっしりとした髭面の男。馬車を挟んだ反対側でも、男が二人、ゴブリンの群れと渡り合っていた。敵は見えるだけでも二十匹ほどはいる。多勢に無勢だ。
「助太刀いたす!」
真っ先に戦場に辿りついたルークが、腰から長剣を引き抜いて手近のゴブリンに斬りつけた。一息に首を飛ばし、周囲のゴブリンをたじろがせる。
髭面の男が表情を明るくした。
「これは神殿騎士殿! 助かる」
ルークは笑顔を返したあと、さらに別のゴブリンに深手を負わせた。そこに、風切り音が走る。
「!」
飛来した矢は幸い、彼の鎧の肩当てに弾かれた。木の陰から、狙撃してくる者がいるようだ。
ゴブリンの使う矢尻は、汚物などで汚染されている。威力そのものよりも、あとが恐ろしい。
ルークが気を取られた隙に、彼の傍にいたゴブリンが二体、挟撃を試みてきた。
錆びた剣を、一つは長剣でいなす。だが逆側から襲うもう一本を、盾を構えていない今は籠手で受けるしかない。
衝撃は訪れなかった。彼と敵の間に大柄な影が滑り込んだと思ったら、黒風が吹き、ゴブリンの胴を真っ二つに薙いでいた。
「ザッシュ!」
「オレのめしィ!!」
大剣を軽々と振り抜いたザッシュは、さらに二人の男が戦っていたゴブリンの一団に突っ込んでいく。ルークは目の前に残った敵を、堅実な剣技で倒した。
その頃には、ダークが戦場に到達している。
ダークは仁王立ちし、両手を胸の前に翳して呪文を詠唱していた。ヴィンセントが彼の傍で、槍を振り回して近づこうとする敵を牽制している。
森の方から、ゴブリンの悲鳴が聞こえた。黒い影が、目にもとまらぬ速さで走り抜け、弓をつがえた敵の急所を次々に突いて倒している。キルリーフだろう。
「氷陣!」
力ある言葉が完成し、紡がれた魔法の織物が現実世界に被せられる。魔杖を掲げたダークを中心に、地の上を幾本もの氷の筋が走り、次々と敵を捉えた。ゴブリン達は凍り、或いは氷の槍に貫かれ、弾けた氷飛礫を食らってバタバタと倒れていく。
これが決め手だった。残った僅かな敵が算を乱して撤退していく。それを、キルリーフの矢が追いすがって仕留めた。
「怪我はありませんか?」
ルークはリーダーと目した髭面の壮年男性に近づき、手を差し出した。相手は疲労で膝を折りながらも、笑顔を浮かべた。右手で左腕を押さえている。そこを斬られたようだ。
「私よりも、御者を」
そういって倒れた御者に目を向けた彼は、言葉を止めた。白衣の青年が傍に屈み、御者は既に意識を取り戻している。
同じようにそちらを見ていたルークが、視線を男に戻して微笑んだ。
「心配いりません。彼は腕の良い治療師です。あなたの傷も、俺が癒やします」
男はほっとして、左腕を差し出した。
ザッシュは右手側で戦っていた男たちを手伝い、倒れた馬車を起こす作業をしている。
ダークが魔杖の石突きで、倒れたゴブリンの死体をひっくり返したとき、離れた場所から「ギャーー!」という苦鳴が聞こえてきた。彼は姿勢を戻し、声の方を見遣る。
右手で顔を覆った。
「兄さんのやつ、また失敗したのか」
ため息をついてそちらにむかう。左腕を押さえて脂汗を浮かべる髭面の傍で、兄が両膝をついてわたわたとしていた。
「申し訳ない! も、もう一度……」
「また回復魔法を失敗したの? 兄さん」
盛大なため息が追う。ルークは弟を振り返った。眉尻が下がっている。
「い、いやこれはその、ほんの手違いで……」
弟は兄の肩当てに手を添えた。にっこりと微笑む。
「やめておきなよ。ヴィンスに任せた方が良い」
表情と裏腹に、声は先ほどの氷結魔法のように冷たかった。兄は傷ついた顔をした。ダークは兄から手を離して姿勢を戻す。ルークは申し訳なさそうにもう一度相手に頭を下げ、立ち上がった。怪我人から少し離れ、弟に向き直る。
「お前、怪我は」
「ないよ。あっても兄さんには頼らない。とどめを刺されたくはないからね。ヴィンスに頼む」
「そ、そうだよな」
ルークはこめかみを掻いた。恥じ入っているのか、頬が赤い。
「あのっ」
背後から女性の声がした。双子は向かい合うようにして振り返る。中年の女性とその娘らしき少女が立っていた。
「助けて下さって、ありがとうございました!」
ダークは視線を泳がせて一歩下がり、ルークは一歩前に出て華やかな笑みを浮かべた。
双子の兄は白銀の鎧の胸に手を当て、恭しく一礼する。
「神殿騎士として、当然の行いです」
爽やかなルークの笑みに、母娘は頬を赤らめた。そのやや後ろで、苦痛に呻いていた父親をヴィンセントが手当し始めた。怪我人は座ったまま顔を上げてルークを見た。
「ご寄進を差し上げませんとね、神殿騎士殿。私はご覧の通り、しがない行商人です。こんな状況なので、多くを提供できず、心苦しくはありますが」
「気にしないで下さい。お金なんてぐっ!」
「ぐ?」
いらないと言いかけたルークの背中を、ダークが小突いた。ルークは一旦言葉を飲み込み、怪訝な顔をする相手に「お志で結構です」と言い換える。
「それより美味い飯は?」
馬車を起こし終わったザッシュが、腹をさすりながらやってきて口を挟んだ。目を糸のように細め、眉尻が垂れている。本格的に腹が減っているらしい。
母親は彼の体躯と、頭から生えた角を見て、娘を守るように腕を回した。ザッシュは知ってか知らずか、特に変わらぬ様子だ。
「でしたらこの先に、村がありますよ」
「そうだ。もう日も暮れますし、急がれた方が良いでしょう。ゴブリンどもが再びやってこぬとも限りませんから」
夫婦が次々に道の先を示した。
「村にいたときに、近くの遺跡からゴブリンが湧くようになったとは聞いていたのですが、まさかこれほどの数とは……。冒険者ギルドに討伐を依頼しているとかで」
「それ、オレらのことだな! ルーク」
嬉しそうなザッシュの言葉に、ルークが頷いた。
「我々はその村を目指していたところです。この道であっていたのですね」
「ええ。途中、北に向かって、さらに細い道を入っていく必要があります。少し分かりづらいので、よろしければ地図を書きましょうか?」
「助かります」
髭面の男は包帯を巻き終わった腕を確かめ、礼を言って立ち上がった。ヴィンセントは片膝をついて治療道具を大きな鞄にしまいながら、会話を聞いている。
行商人はルークの差し出した雑な地図に一度瞬くと、苦笑しながら詳細を描き加えていった。そうしつつ、彼は口を開く。
「山間を抜ける街道が整備されるまでは、山を南から迂回するこの旧街道も賑わっていたものでしたがね。今ではすっかり寂れてしまって。だからゴブリンなんて湧いてくるんですよ」
「なるほど」
ルークが男の手元を見つめながら相づちを打つ。出来上がった地図を受け取り、分岐地点となる場所についてさらに詳細な情報を得た。
最後に、男はため息をつく。
「私は商人ですから、来て欲しいと頼まれればそりゃどこだって行きますがね。こんなに危ないんじゃあ、今後は考え直さないといけないかもしれない。冒険者さんたち、ゴブリン退治、しっかり頼みますよ」
ルークは頷いた。
「俺たちにとっては、それが仕事ですから」
「そこに美味い飯があるのか?」
会話の流れを豪快にぶった切って、ザッシュが口を挟む。男が大柄な彼の方に向き直った。
「ええ。以前は大きな隊商宿だった村の酒場に、田舎にしては腕の良い料理人が一人、いるんですよ。彼女の料理はどれも美味い! 保証しますよ。まあ、あの村にいても才能の使いつぶしですし、いずれは王都に上るのだろうなぁ」
「なら早く行こうぜ、ルーク!」
「そうだな、ザッシュ。俺もいまので流石に腹が減ったよ」