21 ギスギス
「ごほっ、……ごほ。ぅぅ……」
飲みにくい薬草茶をなんとか飲み干し、ダークは咽せた。キルリーフは器を置き、彼の背を撫でる。
ダークは片手を立てた。
「もう平気」
その言葉にエルフは頷き、彼の背からそっと手を浮かせた。身体がぐらつかないか、倒れないか、しばしそうしていてから、ようやく姿勢を戻す。
「兄さんは?」
そこで初めて、ダークは周囲を見回す余裕が出来た。
「怪我をして寝ている」
キルリーフが早口で答える。余計な質問を許さない態度だが、ダークは気づかずに頷いた。彼の視線は、少し離れた場所で話しているザッシュとヴィンセントに向けられる。
丁度、ザッシュが戒めから解放されたところだ。
「ザッシュの怪我も酷かったの?」
振り返るとキルリーフも彼らの方を見つめていた。問いかけに、彼は無言で頷く。
「でもザッシュなら直ぐ治るでしょ?」
「だろうな。……」
それきり、キルリーフは考えに沈んでしまった。
ダークは彼の端正な横顔を見つめ、それから下を向く。胸元に手をやった。
あの時――。悪魔が触れてきたとき。
胸が焼けるように熱くなった。今は何ともない。
ダークは左手を右手で包み込んで震えた。
(アイツ……、一番乗りだって言ってた。他にも僕のことを追ってくる奴がいるんだ)
『我が贄よ……』
夢の中で聞いた声が、すぐ耳の後ろで聞こえた気がして、ダークは身を縮ませた。
しばらくそうしていたあとで、ふと視線を感じて顔を上げる。
キルリーフが彼を見つめていた。
その銀瞳は、ぞっとするほど冷たい。
(え……?)
エルフは即座に目を逸らした。だから瞳をのぞき込めたのは一瞬だ。
ダークは彼の横顔をじっと見つめる。
(気の……、せいかな?)
ダークにはキルリーフに敵意を向けられる心当たりがない。
キルリーフは双子とヴィンセントがヴァリンド森に迷い込んだときに、森エルフの集落が抱えていたちょっとした問題を解決した礼として、長老がつけてくれた道案内役だ。森の出口で一度別れたのだが、別の場所で双子が窮地に陥ったときに、再び現れて助けてくれた。
以来、概ね行動を共にしている。
というのも彼はしばしば姿をくらませてしまうのだ。そういうとき、彼が近くにいるのかいないのか、ダークには分からない。
同じパーティに属しながらも、キルリーフとダークには余り接点がなかった。
二人とも人づきあいの良い方ではなく、隣を歩いているときなど会話に困る。結局、互いの溝を埋めるのはいつも沈黙だった。
けれどもその分、ダークはキルリーフに対して、なにかしでかした記憶もない。
そう、一緒に行動している他人、という認識のままだった。
だから先刻、彼が高価な血晶石を迷わず寄越したときには驚いた。
今しがたも優しく手当てして貰ったばかりだ。
(嫌われては、いないよね? 僕だったら嫌いなやつに贈り物をしたり、優しくしたりしない)
ダークの視線が、キルリーフの輪郭をなぞった。
小麦色の肌に、通った鼻筋。長い銀のまつげ。なだれ落ちる銀の滝めいた直毛は、サイドが編み込みされていた。そしてその下から、エルフの特徴である長い耳が突き出している。
唇は彼の無表情を強調するばかりで、今も何も伝えてくれない。
(キルリーフはよく分からないな。エルフとつきあうのは初めてだし。見た目は若いけれど、きっと凄く年上、だよね……?)
ともかく、敵ではないだろうと思う。
先ほど目にしたと思ったものは、ただの勘違いだろう。ダークはそう結論づけて、それきりそのことを忘れた。
間もなく、ルークも目を覚ます。傷口はヴィンセントの塗った特効薬で既に塞がっていたが、多量に出血したせいですぐには立てない。
その頃にはダークも、ヴィンセントの口から何が起きたのか説明を聞いていた。
「は!? ザッシュが兄さんを噛んだの!? なにそれ」
ダークは腹を立て、ザッシュを睨む。
ザッシュはしおれた表情で謝罪の言葉を口にしたが、ダークは気が済まなかった。
「そんないつ暴走するか分からない危険な獣を、パーティに入れておくの? 冗談でしょ」
「ダーク、俺なら気にしてないから」
「兄さんは体力馬鹿だから平気だったかも知れないけど、僕やヴィンスやキルリーフが噛まれていたら死んでたかもしれないじゃないか! 兄さんは僕が死んでもいいの?」
「それはっ! ……だけれど」
ルークはその想像に真っ青になり、最愛の弟と項垂れる仲間の間に視線を迷わせた。ヴィンセントが、ザッシュとダークの間に入り込む。
彼は魔術師の肩に右手を載せた。
「落ち着いて、ダーク。彼のことは今後、私が責任を持って監督します」
「でも……っ」
「貴方には傷一つつけさせません。良い子だから聞き分けて下さい。ね?」
「……」
敬愛する治療師にそう言われてしまえば、ダークは何も言えない。彼には沢山の恩がある。
ダークは僅かな希望を、隣に立つエルフに見いだした。
「キルリーフも、同じ考え? ザッシュがパーティにいるのに賛成なの?」
「特に意見はない」キルリーフは静かに答える。「自分の身は、自分で守れる」
ダークの頬は、カッと赤くなった。まるで、身を守れない自分が悪いと言われているよううに感じたのだ。
ダークは唇を引き結んだ。杖を握る左手を握りしめる。
「……もういいよ」
納得はしていなかった。けれど、味方は誰もいない。いつもはなんでも賛成してくれる兄ですら、ザッシュの味方についた。彼は疎外感を味わっていた。
(馬鹿ばっかりだ! ただでさえ、僕は大きな問題を抱えているっていうのに!)
大剣を身体の前面に回し、動けないルークをザッシュが背負った。
先頭はキルリーフが務め、ダークはヴィンセントと共に後尾について遺跡を後にする。ヴィンセントは、いつも以上に優しい言葉を掛け、彼を甘やかしてくれた。
けれどもそうされるほどに、不思議とダークの心は頑なになっていった。




