20 治療
それからのヴィンセントは大忙しだった。
ルークの容態を安定させ、ダークの為に薬草茶を準備し、合間にザッシュの様子を確認する。
一段落すると彼は、ゴブリンの死体を穴に放り込む作業をしていたキルリーフを呼んだ。
そばに座らせ、革鎧を外して衣服の合わせを開いていく。
キルリーフはされるがままだ。
出血の多かった箇所には布地が貼りついていた。それを剥がすとき、キルリーフは僅かにまつげを震わせたが、反応はそれだけだった。
エルフらしい細身だが、無駄なく鍛え上げられた上半身が露わになる。心臓の上から右の鎖骨方面に向け、矢傷が斜めに走っていた。鎖骨に近づくにつれ、傷は深い。キルリーフが咄嗟に身を捻ったため、矢尻は革鎧を貫いたあと、肌の上を斜めに滑ったらしい。既に血は止まっている。真新しい矢傷以外にも、彼の身体には古い傷跡が無数にあった。
ヴィンセントは片眉を上げたが、何も言わない。ただ小麦色の肌に触れ、傷口の具合を観察した。
「傷は浅い」
ここで初めて、キルリーフは抵抗らしい抵抗を試みる。瞳を揺らして、衣服の合わせを閉じようとしたのだ。だが、治療師はきっぱりと首を振った。
「駄目です。直ぐに消毒しないと、これは化膿します」
そう言われれば、反論はない。キルリーフは抵抗を諦め、ヴィンセントの治療を受けた。
「……。あの技は何だ?」
言葉足らずの質問の意図を、ヴィンセントはすぐに察した。傷口に消毒液を染みこませながら、片顔で笑う。
「ちょっとね。昔、猛獣を飼っていたことがありまして」
「猛獣……」
キルリーフは、言葉通りの意味だろうかと訝しむ。治療師の前職が猛獣使いとは。
「獣医か?」
むりやり繋げたらしい連想に、ヴィンセントは声を出して笑った。
「さあ、どうでしょうね?」
「教えろ」
「キルくんだって、秘密を抱えているでしょう? 教えてくれます?」
キルリーフは目をそらした。直後、胸の傷の深いところに、強く押しつけられた綿から消毒液がしみる。
「……っ!」
「なら、おあいこです」
思わずしかめたキルリーフの横顔をみて、ヴィンセントは眼鏡の奥に愉悦を浮かべた。
傷口に包帯を巻き終えると、ヴィンセントは丁度良く冷めた薬草茶を手にダークの元へ向かう。
若い魔術師は横たえたときのまま、眉根を寄せて目蓋を閉じていた。
「ダーク」
静かに呼びかけてみる。が、反応はない。
隣にキルリーフが静かに歩み寄った。
「薬草茶を飲ませたいのですが」
とヴィンセントは彼を見上げて言った。キルリーフの銀の瞳がヴィンセントに移り、すぐにダークに戻る。
「起こすか?」
「起こせます?」
キルリーフは質問には答えず、ダークの頭を回り込んでヴィンセントの向かいに跪いた。魔術師の青白い頬を両手で挟む。
それから左手の親指で、鼻と上唇の間をぎゅっと押した。そのまま、右手で彼の頬を軽く叩く。
「なるほど、覚醒の急所ですか」
ヴィンセントが呟いた。キルリーフを値踏みするように見つめ、考え込む。
「……ん…っ」
ダークの目蓋が震え、幾度か瞬きをした末に開かれた。呆けた、うつろな表情だ。
キルリーフは手を離し、顔を上げた。
ヴィンセントが頷き、あとを引き継ぐ。彼は指を一本立て、ダークの目の前で左右に動かした。
「ダーク。私が分かりますか?」
「……。ヴィンス? 僕……」
ダークはさらに何度か瞬いた。紫紺の瞳が指を追うのを確認し、ヴィンセントは指を下ろして器を差し出す。
「はい。薬草茶ですよ」
鼻先に漂う強烈な草の匂いに、ダークは顔をしかめた。
「……今日はもう、飲んだのに」
「これはまた、別のです」
「咳は出てないよ」
「いいから飲みなさい」
ダークは身じろぎしたが力が入らないようで、キルリーフが彼の上体を支えて起こした。
その口元に、ヴィンセントが薬草茶の器を押しつける。
ダークは唇を閉じて僅かに抵抗したが、諦めたように開いて、どろりとした液体を受け入れた。
「ぅぅぅ……」
「ゆっくりでいいから、ちゃんと全部飲みなさいね。キルくん、お願いできますか?」
キルリーフは頷き、器を受け取る。
ヴィンセントはザッシュの方に向かった。
「……腹、へった……」
ザッシュはヴィンセントが近づいてくると、うつぶせの姿勢で顎を床に立て、哀れっぽく言った。
瞳の色は緑に戻っている。体格も、髪や角の長さも元通りだ。
ヴィンセントは彼の顔の前に膝をついた。
「正気を取り戻しましたか?」
「……オレ、またやっちまったみてえだな」
ヴィンセントが頷く。腰を地面に下ろしてあぐらをかいた。
「自覚はあったのですね」
「いや。暴走中のことはよく覚えてねぇんだ」
ザッシュの声には元気がない。
「ルークを傷つけたことも?」
この言葉に、ザッシュは息を止める。彼は目蓋を伏せた。
「……ルークは無事か?」
ザッシュは首を動かすが、今の身体の向きでは横たわるルークが見えない。その方が良いだろうとヴィンセントは考えた。
「手当は済んで、今は休んでいます」
「そうか」
ザッシュはほっとしたようだ。
「解いてくれ。もう、暴れたりしない」
ヴィンセントは顎の下に手を添え、この申し出を吟味する様子を見せる。
「この縄、あちこち食い込んできて、痛ぇんだけど」
「どうしましょうかねぇ?」
「解放してくれたら、すぐにここから立ち去るから」
ザッシュは眉尻を下げて懇願した。ヴィンセントが瞬く。
「おや? どこへ行くのです?」
「どこへでも。どうせどこに行ったって、オレは歓迎されない」
ザッシュは鉛のような息を吐き出した。
「初めてじゃねえんだ。こういうことは」
「引き金は、出血ですか?」
問いかけに、ザッシュは迷った末、頷く。
「命の危険が迫るとか、興奮状態になるとか、なんか、オレの理性が飛ぶようなことがあると、ああなる」
「おやおや。大変じゃないですか」
ザッシュは首を振った。苦しげに顔をしかめる。
「そんな一言じゃすまねえ。たくさん傷つけた。死んだ人もいる。これからもそうだ。生まれついてのひとごろしなんだ、オレは。みんなの言う通り、生まれてくるべきではなかった。でも死のうとすれば、暴走してしまう……。オレにはオレを殺せない」
傷ついた混じり者は、震える声で告白した。
ヴィンセントの指が、最後の言葉にぴくりと動く。手を伸ばしてザッシュの赤髪を撫でた。
「……?」
ザッシュは不思議そうに上目遣いをした。
「そういうことであれば、なおさら貴方を解放するわけにはいきませんね」
「……毒でもくれるのか? 効かないぞ。試したんだ」
ヴィンセントは鋭く息を吐いた。眼鏡の奥で目が冷たく細められる。
「貴方は本当に馬鹿ですね! 脳筋どころか、この中は空っぽでは?」
棘のある言葉と言い方に、ザッシュはしんなりとした。ヴィンセントは怒ったようなのに、まだ頭を撫でている。ザッシュにはそれが不思議だ。
「こんなに馬鹿でかつ危険な獣を、野放しに出来ないと言っているのです。貴方に必要なのは毒ではなく、首輪と鎖でしょう」
「……?」
話が見えなくて、ザッシュは目蓋をしばたたいた。
髪を撫でていた手が黒い角に触れた。根元から先端へと、指先がゆっくりとなぞっていく。伝わる感触が妙に心地よくて、ザッシュの瞳はとろんとした。異形の証である角に、こんな風に触れられたことは一度もない。
「馬鹿とハサミは使いよう。今回のことで、コツはつかみました」
ヴィンセントは身体を前傾させ、ザッシュに顔を近づける。
「私が、貴方を使いこなしてさしあげます」
彼は囁いた。
その声に、ザッシュは悦びと恐怖が同時に背を這い上がるのを感じた。




