1 迷子
早春の陽もそろそろ暮れ落ちようかという刻限。
四人の男が、道ばたに座って小休憩を取っていた。
森の中は、暗くなるのが早い。平らな岩に腰掛けたローブ姿の青年は、冷えた指先を突き合わせて息を吹きかけた。
歩いているときは暑いくらいだった。けれどもひとたび立ち止まれば、途端に汗が冷えて熱を奪い始める。
彼は両手を重ねて握り、唯一の開けた場所――空を見上げた。ねぐらへ向かう鳥の群れが、くの字を描いて飛んでいくのが見える。
(鳥にさえ、家はある)
青年はぼんやりと考えた。
(なのに、僕らときたら)
知らず、ため息が零れた。
何もせずに座っていると、時の流れは途端に歩みを早めるものだ。繋いでいた手を離し、彼をあっさりと置いていく。世界は預かり知らぬところで変化し、疎外された彼はその箱庭を傍観することしかできない。
箱庭の中で人々は、田畑を耕し、牛馬を追い、家族と食卓を囲んで、眠る。
そんなありふれた、けれども堅実な営みによって、この世界は紡がれている。しかし彼は、――彼らは、その外にいた。
定住をせず、旅と旅の間をつなぐ人生。何かに追われ、何かを追いかける人生。足元に迫る死を見ようともせず、馬鹿みたいに空を見上げている人生――。冒険者という生き方。
(道を外れてしまった)
「道を外れたみたいだ」
思考をなぞるような言葉が隣から聞こえ、若き魔術師は物思いから引き戻される。
すぐ隣で、重装備の青年が唸っていた。
良くみれば、二人は顔立ちが似ている。彼らは双子だ。
にもかかわらず、並んでいると違いの方が際立った。
金髪に青い瞳はお揃いだが、ローブの青年が癖毛であるのに対し、鎧姿の青年はその性格とそっくりの直毛だ。瞳の青の深さも違う。前者は深海の色、後者は高空の色。
白銀に輝く鎧姿の青年は、内側からも光を放っているかのように存在感があった。板金鎧の胸元には、法と光の神ルラールの聖印が刻まれている。放射状の後光を背負った右手だ。彼はルラールの神殿騎士である。
一方、黒ローブの青年は、その貧弱な影のようだった。長く伸ばした前髪に右目がほとんど隠れてしまっている。猫背で、袖から覗く腕にはまるで肉がない。
しかし瞳には、歳に似合わぬ冷静さと、物事の核心を見抜く鋭い知性の光があった。
空色の瞳の青年は、手元で地図を回している。まるでそうしていれば、正しい道が示されるとでも言うように。
「そうでなければ、そろそろ着いても良いはずだ」
「地図もまともに読めないの、兄さん。先頭を歩くならしっかりしてよ」
ため息混じりの言葉には、ふんだんにとげが含まれていた。兄と呼ばれた青年は、手を止めた。眉尻を下げて弟を見遣る。
「ごめん、ダーク。一本道だから大丈夫だと思ったんだ」
言った直後、弟が身を縮めていることに気づく。
「もしかして寒いのか?」
兄は気遣わしげに問いかけ、自らのマントを広げて弟を包もうとする。弟は身をひくことで拒絶した。
「別に寒くない」
彼は鼻をすすりながら意地を張る。動いたことで、反対側に立てかけてあった魔杖が岩から転がり落ちた。それを拾って、身を起こしながら兄の手元を覗き込む。
地図はギルド職員が手描きした適当な代物だ。森を貫く街道から分岐する道が、一本の線で表現されている。その先は”村”という文字が記され、大きな丸で囲まれていた。
ダークは鋭く息を吐き出した。
兄が悪いのではないことはわかっている。けれど、兄を責め立てることに、彼はいつだって暗い悦びを覚えるのだ。
彼は杖を両腕に抱き込んだ。そろそろ明かりの魔法が欲しいところだ。
「まあまあ。そうはいっても、ここにはちゃんと道があるのだし?」
双子の向かいで、やはり岩に座っていた青年が細い轍を示す。穏やかな声だ。治療師の証である白衣を纏い、大きな鞄を斜めがけにしていた。腕の輪の中に槍を抱えており、腰には鞭。双子より十ばかり年上に見える。焦げ茶色の短髪で、希少な工芸品である眼鏡を掛けていた。
「道というのは必ず、どこかに続いているものですよ」
「僕が言いたいのは、陽が落ちると夜が来るってことさ。ヴィンス」
「ははっ、真理だね」
ダークの言葉に、治療師ヴィンセントは笑った。
「オレが言いたいのは、夜になると腹が減るってことだぞ」
ヴィンセントの隣で、最後の一人が不満を零す。
「つーか、もうとっくに腹が減ってる。ずっと前から」
彼は干し肉を噛み千切った。食べながらも、空腹は満たされていないらしい。
男は双子の兄よりも軽装だが、身体つきはさらに大柄で筋肉質だ。背中に黒い大剣を負い、腰にも大小の剣を佩いていた。燃えるような赤毛が印象的だがなによりも、そこから突き出た二本の黒い角が、彼を他の人々と隔てている。
”混じり者”だ。
双子の兄が眉尻を下げた。
「ダークも、君くらい沢山食べられれば、もっと元気になると思うんだがな、ザッシュ」
「僕をあんな脳筋と一緒にしないでくれ」
魔術師は眉根を寄せて兄に抗議する。
「のうきん?」
「脳みそまで筋肉、という意味ですよ」
首を傾げるザッシュに、ヴィンセントが指を立てて解説する。ザッシュは「おおーっ!」と緑瞳を輝かせた。その左目の上には、大きな刀傷が走っている。彼は魔術師を振り返った。
「オレが見えないとこの筋肉まで見えているのか、ダーク! 流石だな。やっぱ、オレと合体しようぜ!」
「しない。絶対」
ザッシュのいつもの誘いを、ダークもいつも通りにすげなく断った。
剣士は不満げに唇をとがらせ、髪を掻く。
「ちぇー。オマエの魔法とオレの剣、合体攻撃したらぜってー格好いいと思うのになぁ」
「ダークの魔法は、一人でも格好いいぞ!」
「兄さんは黙って」
「ええっ……褒めたのに」
「身内からの褒めなんて、恥ずかしいだけだ」
ダークは頬を赤らめて瞳を逸らした。ヴィンセントがその様子に目を細める。ザッシュの興味は、再び干し肉へと戻っていた。
その時、彼らの頭上の葉が微かに揺れる。次の瞬間、黒い影が音もなく道へと降り立った。
すらりとした細身が立ち上がる。小麦色の肌に銀の髪と瞳をした森エルフだ。黒装束に黒い革鎧を身につけ、背にはロングボウを負っている。
四人の表情に驚きはない。
それもそのはず。彼こそが本当の最後の一人。仲間だ。
「おかえり、キルくん。偵察ありがとう」
「……」
エルフはヴィンセントに名を呼ばれても無反応で、黙って道の先を指差した。
「村はありましたか?」
続いた問いかけに、キルリーフは目を閉じて一度だけ首を振った。
一行の元に悲鳴が聞こえてきたのは、そのタイミングだ。