17 贄を追う者
男は腕組みを解き、両腕を広げる。
「見ればわかるでしョ。悪魔ですよォー?」
言いながらルークの方へと右腕を差し出した。
悪魔――。この世界と重なって存在する幾つかの異世界の一つ、魔界に住まう邪悪な種族だ。魔界は魔王の統べる幾つかの領域に分かれており、そこでは永遠の闘争が繰り返されているという。
悪魔は多様性に満ちた種族で、その姿も力も千差万別。親子兄弟でも、別の種族かと思えるほど異なった容姿や力を持っていることがある。
悪魔は掌を上にし、鋭い爪を持つ人差し指で前方を示した。
「んんッ? もしかしてオレ様が一番乗りだった? へへッらッきー♪ 日頃の行いが悪ィからかなァ?」
「コイツ、ただもんじゃない」
ザッシュが低い声で言う。引き抜いた大剣を両手で構えるその表情は、いつになく真剣だ。
「おッとォ!? 無駄な抵抗はオススメしないなァ! オレ様の目的はソイツだけー。大人しく引き渡せば、他のザコちャんたちは見逃してあげるからねェ~?」
「嘘、ですね」
ヴィンセントが冷静に言う。
「彼は今、嘘をつきました」
「や・だ・なァ~、ホントだよ?」
「今の言葉も嘘ですね」
ヴィンセントは眼鏡のブリッジを中指で持ち上げ、繰り返した。
「もっとも、仮に本当だったとしても、彼を引き渡したりはしませんけど」
白衣の男は槍を構える。
悪魔は爆笑した。
「マジで言ッちャッてるの? まさか、そのツマヨージでオレ様に勝てる気でいる!? ちョーーおもしろ! ぎャはははは!」
その大きく開いた口に向けて、再び矢が飛んだ。
過たず、悪魔の喉奥を貫く。
「あ”ァーーー!? いだいいいだィいだああああいいいいィい!!」
悪魔は身をよじって大げさに痛がったあと、首の後ろから矢を引き抜いた。そしてそれを、顔の前に持ってきて長い舌で矢尻を舐めた。
「なんちャッて~。良い腕してんねェ? けど」
悪魔は腕を高速で横に振る。次の瞬間、キルリーフが片膝をついた。その胸から矢羽根が生えている。
「キルくん!」
「オレ様が喋ってるときに、失礼でしョ長耳! 空気読んでね!」
「こンのやろぉ!」
ザッシュが走る。彼は肩に担ぐように構えた大剣を、大きな動きで横に薙いだ。悪魔の胴は真っ二つに! ……なったと見えたのは幻影で、へらへらした表情で間合いの一メートル先にいる。
「失礼だッて言ッてるのに、わかんねェかな!? 劣等種が!」
悪魔は顔に笑みを貼り付けたままこめかみに青筋を立て、ザッシュに向けて一気に距離を詰めた。
「!!」
悪魔は素早い動きで、ザッシュに連打を浴びせ、予想外の方向から蹴りを見舞ってくる。ザッシュも獣の反応速度でこれに応じ、幾つかは大剣で受け流した。だが相手は連打のたびに速度を上げ、ザッシュに反撃の隙を与えない。
ヴィンセントが心配そうに見守る中、キルリーフが立ち上がった。胸から矢を引き抜く。
矢尻の先から血が飛ぶが、ヴィンセントの予想よりずっと少ない。
矢は革鎧に斜めに刺さり、キルリーフは致命傷を免れていた。命中の瞬間、彼は驚異的な反射神経で咄嗟に身を捻っていた。考えるよりも先に身体が動いたのだ。
エルフは血のついた矢を、弓につがえた。
「魔法を」
ダークを横目で見遣る。
ルークの後ろで身をこわばらせていたダークが、その一言で我に返った。
「わかった。あいつ、魔法の武器しか効かないんだね?」
直ぐに意を汲み、詠唱に入る。
「ダークを頼む」
ルークは前を向いたままそう言い、めまぐるしく位置を変えながら格闘戦の距離で戦うザッシュと悪魔の方へ走った。
「ルラールよ!」
剣を握った手を、胸の聖印に押し当てる。すると刀身が光に包まれた。
彼はそれで、ザッシュに気を取られている悪魔に斜め後ろから斬りかかる。
「!」
斬撃は悪魔の右腕を打ちすえた。柔らかくも硬質という不思議な鎧に阻まれたものの、神の加護を得た衝撃を完全に防ぐことは出来ない。
「痛ッてェな、このクソ神官!」
悪魔は笑みを引きつらせ、身体を捻ってルークに蹴りを見舞った。
まともに腹に食らい、ルークは背後に吹き飛ばされる。仰向けに転倒するが、追いすがろうとした悪魔をザッシュが留めた。
「オマエの相手はオレだ!!」
ザッシュは既に、身体のあちこちに傷を負っている。にもかかわらず、彼は嬉しそうに笑みを浮かべていた。開いた口から、牙が覗く。緑の瞳は興奮にぎらぎらと輝いていた。
「遊ぼうぜ」
「うッぜえな! 何の価値もない、ザコのくせに!」
ザッシュは剣で打つと見せかけてそれを手放し、悪魔に飛びかかった。浮いていた相手を、地面に引き倒す。
「グルルル……、モっと楽シませてクれ」
ザッシュは喉を鳴らし、馬乗りになった相手の顔を両手で殴った。見た目は派手だが、悪魔はあまり堪えた様子がない。するとザッシュは敵の胸を押さえ込んだまま、大きく口を開いた。鋭く伸びた牙が露わになる。相手の意図を悟った悪魔が、鼻筋に皺を寄せた。
「獣くせェお前相手じゃ勃たねェッつッてんだよ!」
噛みつかれる寸前に、悪魔の身体は消え失せ、別の場所に姿を現す。その間にルークが立ち上がり、ダークの呪文が完成していた。
「オレ様が欲しいのは、そこの美味そうな魔術師だけだ。あぁ、こッからでも良い匂いがする。たまんねェぜ!!」
悪魔は長い舌で唇を舐め、ダークを見遣る。
「もう命令とか関係ねェ……! オレ様が見つけたんだ。オレ様が喰う!」
「させん!」
ダークに狙いを定めた悪魔の前に、ルークが立ちはだかった。しかし悪魔の身体は瞬時にぶれて彼の斬撃を空中で躱し、ダークへと向かう。
「何っ!?」
「オレ様の血肉になれ!」
「あげません!」
槍を構えたヴィンセントがカバーに入った。悪魔は笑う。
「だからそんなもので……」
だが彼は最後まで言えなかった。何か冷たいものが目にかかり、そのあと燃え上がったのだ。
「ぐわァあッ!?」
悪魔は両手を目蓋に当てる。じゅうじゅうとひりつく感触が広がるばかりで、引っ掻いても何も剥がせない。悪魔は遅れて気づいた。これは強酸だ!
ヴィンセントは隠し持っていた小瓶を投げ捨てた。流れるような動きで、視力を失った悪魔に槍を突き出す。穂先が青い魔法の光で縁取られていた。それは悪魔の腹を貫き、空間に縫い止める。
ヴィンセントは冷たい笑みを浮かべた。
「どうです? ツマヨージで貫かれる感触は」
「あ”ッあ”ッあ”あああァ”……ッ!!」
彼がさらに穂先をねじ込む動きをすると、悪魔の身体が激痛でビクビクと痙攣する。
キルリーフも至近距離から、同じく青く輝く矢を連射した。三本の矢が次々に急所に刺さる。
「この、この……、ザコどもがああァあああァァァあッ!!!」
悪魔が激昂し、吼えた。
腹に槍が刺さったまま後方へ跳躍し、目を閉じたまま両手を前に翳した。
掌がヴィンセントとキルリーフに向く。すると二人は、共に透明な泡に包まれた。
背後から首を獲ろうとしていたルークへも、悪魔は振り向きもせずに片手を突き出す。
ルークも、その後方で立ち上がろうとしていたザッシュ共々泡に包まれてしまった。
「兄さん!」
泡に囚われた冒険者たちは、そこから脱出しようともがいた。だが柔らかく弾力のある泡は、素手は勿論のこと、魔法を賦与した剣でも断ち切れぬらしい。
悪魔は腹に刺さった槍と矢を、唸りと共に引き抜き、投げ捨てた。腹に空いた穴から、黒ずんだ煙のような瘴気が漏れ出している。彼は苦痛に歪めた顔に笑みを浮かべ、左手で腹の穴を押さえた。再び長い舌で唇をなめる。
悪魔は目を閉じたまま、右手を伸ばした。
ダークは泡に包まれることを覚悟して、目を瞑る。が、何も起きない。
悪魔はゆっくりと近づいて来た。




