9 太陽の小部屋
「これは太陽、ですね」
キルリーフは床に広がっていた汚らしい毛布を足で避け、そこにモザイクタイルで描かれた大きな絵を見つめていた。
少しずつ色味の違う黄色やオレンジ色のタイルで円が形作られ、そこから細長い三角が沢山飛び出している。意匠化された太陽だ。
床にしゃがみ込んだヴィンセントがタイルを指でなぞり、ふむふむと頷く。
「古いもののようです。遺跡が作られたときに描かれたものでしょう」
キルリーフも同意見のようで、こくりと頷いている。
ヴィンセントは白衣の裾を叩きながら立ち上がった。
「さしずめここは、”太陽の小部屋”とでもいった所でしょうね」
「……」
キルリーフはさらに、床の一角を示した。部屋の北側、棚のすぐ前だ。ヴィンセントが眼鏡を持ち上げ、そちらを見遣る。
「……?」
示された場所に、特に変わったものはない。
「切れ込みがある」
困惑するヴィンセントに向かって、キルリーフが簡潔に報告した。ヴィンセントは腰を曲げ、じっと床を凝視する。
「……! 本当だ。言われなければ気づかないほど、薄い切れ込みが」
レターオープナーの刃先すら挟めないほど細い切れ込みがあった。モザイクタイルが視覚を惑わすので、ほとんど見えない。
「よく見つけましたね、キルくん。すごい!」
手放しの称賛を受け、キルリーフは銀の瞳を揺らした。
ヴィンセントは切れ込みに強く息を吹きかけた。僅かに被っていた砂埃が飛ばされ、さらに線が露わになっていく。
「何かあったのか?」
流石に異変に気づいたのか、扉の傍で二人を待っていたルークが引き返してくる。
ヴィンセントは屈んだまま、彼を振り返った。
「見て下さいこれ。何でしょう?」
ルークが、そして遅れてダークが、ヴィンセントを回り込んで床を覗き込む。三本の縦線の下部に接するように、一本の横線がある。そして、縦線は棚の下へと消えていた。
彼らは力を合わせて、奥の棚をずらしてみる。
全貌が現れてみるとそれは、中央に縦線のある正方形だった。
「隠し扉?」
「それにしては小さいな」
「床下収納庫みたいですよね」
「まさか、宝!?」
腰を落としたルークが縦線に指を掛け、両側に引っ張ろうとした。だが、爪の先すら引っかからない。
「取っ手も何もない」
困惑した彼は次に、床をノックした。
「タイルの下は石かな。厚みもありそうだ」
「ちょっと待って」
ダークが目を閉じ、呪文を詠唱する。そして目蓋を開いて杖を翳した。紫紺の瞳が、金の輝きに縁取られる。魔力感知の呪文だ。
「うーん? 特に魔力を感じない」
「中身からも?」
「なんともいえない。石が分厚い場合、その奥は感知できないんだ」
ルークの問いに、ダークが答えた。
「なんでしょう? キルくん、わかりますか?」
ヴィンセントが顔を上げた。キルリーフは露わになった壁に手を触れたり、天井を見上げたりしていたが、問いかけに振り返る。
「絡繰りを探している。が、見えるところにはない。見えない部分は、棚を動かしてみないことには」
彼はゆるゆると首を振った。
「時間が掛かりそうだ。先にゴブリンを片付けてから戻ってこよう」
ルークが決断し、腰を上げた。
ヴィンセント、ダークが同意して続く。
「ともあれ、ここに脅威がないことは分かりましたしね」
「キルリーフ。この部屋の扉に鍵を掛けておくことは出来るか?」
ルークの問いに、キルリーフは一つ頷いた。
一行は大部屋へと戻ってくる。穴の傍で瓦礫に座っていたザッシュが立ち上がった。
「待ちくたびれて、眠るとこだったぞ」
「ごめんごめん」
ルークが笑顔で片手を立てた。
「何か良いもん、あったのか? カッコイイ武器とか、美味いメシとか」
「ゴブリンが美味い食べ物を持っていると思う?」
ダークが鼻に皺を寄せ、ふん、と鳴らす。
「仮に持っていたとしても、一度ゴブリンの手に渡った物を、僕は食べたくないけどな」
「ダークは好き嫌いが多いなぁ! だからそんなに細っこくて、女みてえなんだよ」
「僕は男だ!」
ダークが地団駄を踏んだ。
「いいじゃないか。『可愛いは正義』という古からの格言もあるだろ」
「兄さんまで馬鹿にして!」
「ええっ!? 褒めたんだが……」
「まぁまぁ」
ヴィンセントが眉尻を下げてなだめる。
「そんなことよりも、ゴブリンを追っていきましょう。もう二度とここに戻って来ないよう、こてんぱんにお仕置きしませんと」
「顔が怖いよ、ヴィンス!」
「おや、そうでしたか?」
ダークに指摘され、ヴィンセントは左手で頬を揉んで笑顔を作った。目が笑っていないので余計に怖い。
「今度はオレが先頭な!」
ザッシュが早速、穴に入り込んでいく。彼は嬉しそうに唇をなめた。暴れたくて仕方がないようだ。
「二人くらいは並べそうだな? 俺も先頭に。明かりを持ってるし」
ルークが進み出て、ザッシュと肩を並べた。
キルリーフが殿を務める形となる。一行は北東へと延びるゴブリンの穴を進み始めた。
直ぐに道幅が膨らみ、T字路にぶつかる。
「どっち行く?」
ザッシュがルークに問うた。神殿騎士は、両方を見比べる。
「キルリーフなら、まず足跡を見ると思うけど」
後ろからダークが助言し、前衛二人は視線を下げた。
「おお? 全部左の方角に向かっているっぽいぞ」
「では俺たちも左に行こう」
ルークが決断し、一行は左手に向かった。少し進んで、今度は道がほぼ直角に右に折れる。
「この先から、臭ぇ奴らの匂いがするぜ?」
ザッシュがふんふんと鼻を鳴らした。ルークが頷き、剣を抜き放つ。
「ちょっと待って」
中列の左側を歩いていたダークが、何かに気づいて左手の壁に近づいた。前衛は足を止めて振り返る。
「これ……、石壁?」
ダークが触ったのは、ゴブリンが掘った穴の一部から露出している、平らな石の壁だ。
「そのようですね。遺跡の一部でしょう」
「……」
ダークは頷きつつも、何かが引っかかる様子だ。ふと、背後から風を感じて振り返った。
どこかから走ってきたらしいキルリーフがそこにいる。足音は全くしなかった。
「キルくん? どこかに行っていました?」
ヴィンセントの問いに、森エルフが頷く。
「T字路を右に行くと行き止まりだ。濁った池があった」
「いつの間に見てきたの?」
ダークも、彼がいなくなっていることに全く気づかなかった。
「なるほど」
ヴィンセントが何かに気づいたように、顎の下に手を添えた。
「おい! あっちにゴブリンがいるぞ!」
直後、ザッシュがひそめた声で言い、大剣を抜いた。先へと走っていってしまう。
「あ、こら! ザッシュ!!」
ルークがガシャガシャと音をさせながら後を追う。ダークがため息をついた。
「あれじゃあ不意も打てやしない」
ヴィンセントが鼻から笑みを零す。
「彼らが先頭の場合はあきらめませんと。さ、私たちも行きましょう」
促され、ダークとキルリーフが続いた。




