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その22、伯爵令嬢と次期公爵(3)

「でも、どうして急にそんなことを?」


 きょとんとした顔で首を傾げるベルを見ながら、ルキはクスッと笑う。


「ベルの好みのタイプがストラル伯爵か弟のハルだと聞いてね。ハルの良さは分かっているが、ストラル伯爵はどうなのかなーって」


「……私の好みって……どこ情報、それ」


 またそんな古い話をと苦笑するベルを見ながら、


「まぁ確かにかっこいいな、伯爵。俺も爵位を継ぐにあたり、この領地の事を考えていかないとな」


 とルキは真面目な顔をしてお茶を一口飲んだ。

 ぽつり、ぽつりと言葉を交わすうち、少しずつベルの口調が2人で話す時に近いものに変わる。

 ルキはお茶一杯分時間が欲しいと言った。

 面倒ならさっさと飲んで立ち去ってもこちらは文句が言えないのに、ベルは律儀にお茶をほとんど飲まず話を聞いてくれる。

 そんなベルの優しさに甘えて時間をずるずる伸ばしている自分を自覚しながら、ルキはどう切り出そうと考え込む。

 ついに話題が途切れたとき、


「ねぇ、ルキは本当は何の話がしたかったの?」


 私そろそろ帰ろうかと思うんだけどとベルに言われてしまった。

 じっーとアクアマリンの瞳がコチラを見つめる。

 このままでいいの? と若干の呆れを滲ませながら。

 ルキは今まで数え切れないほどの商談をまとめてきたし、プレゼンには自信があった。だけど、今日ほど緊張した事は初めてで鼓動が速くなるのを聞きながら、ゆっくり息を吐き出して、濃紺の瞳にベルを映した。


「ベル・ストラル伯爵令嬢。今日はあなたに商談を持ってきました」


 お見合いの日のベルのプレゼンになぞらえてそう切り出したルキは、


「商品は私、ルキ・ブルーノ、23歳。契約期間無期限で、私と契約結婚しませんか?」


 驚いた表情を浮かべるベルの前に作り込んだプレゼン資料を広げる。

 それはストラル伯爵家、ブルーノ公爵家両家の領地で行う共同事業の提案だった。

 女性をターゲットとした衣服や化粧品を中心に展開する事業内容で、出資金と権利は同等。ブルーノ公爵家はその広い知名度と他国との輸入で確保できる良質で安価な布や規格外の宝石になれなかった石といった特殊品の確保と提供を行い、ストラル伯爵家はそれらを加工する技術と販売を担うというものだった。

 一度始まってしまえば、それは仕事をしているときのルキそのもので、よく通る声でルキが話す、両家のメリットデメリット、見込める収益など明快なプレゼンにベルはどんどん引き込まれていく。

 ルキの話を聞き終わる頃にはベルのアクアマリンの瞳はキラキラ輝き、面白いとやってみたいでワクワクした表情を浮かべていた。


「と、いう企画なんだけど、俺は外交省で一番上まで行くつもりだし、伯爵はストラル社の運営と研究で忙しい。そんなわけでベル、独立して責任者としてガッツリ稼いでみてはどうだろうか?」


 自分で稼ぎたいと言ったベルにとって自由度高くこの事業に取り組めるのはかなり魅力的な内容だ。

 公爵家と共同ならかなり手広くできるだろうとベルは内容の重さと責任、だがそれ以上に挑戦したい気持ちで揺らぐ。


「両家の利権がかなり絡む上に、多くの人間を巻き込むので途中で頓挫しないために双方から担保が欲しい。だから」


 担保、という言葉で現実に引き戻されたベルはまじまじとルキの方を見る。

 先程まで澱みなく話していたルキがとても緊張した様子でじっとベルのアクアマリンの瞳を見返しながら、


「ベル、俺と契約結婚しませんか?」


 ルキはそう締め括った。


「なるほど、契約結婚……っていうか、利権絡めまくりな政略結婚ね」


 ベルは提示された書類を改めてめくる。

 全部とはいかなくてもそれはベルがやりたかった内容を実現可能な形に落とし込んでいて、将来性も充分見込める。

 とても忙しかったはずなのに、ここまで話を持ってくるために、ルキはどれだけ準備に時間をかけたんだろうと思いながら見事な企画に思わず見入ってしまう。

 

「質問しても?」


 最後のページで手を止めたベルは、そう言って顔を上げる。


「なんなりと」


「契約結婚なのに、結婚生活の条件項目ほぼ白紙ってなんなの? 普通ここ作り込んで来ない? 婚姻費いくらとか。お互い不干渉とか。パーティーへの同伴はどの程度とか。何年以内に子どもが生まれなかったら離婚とか」


 ベルは最後のページを指さして、契約結婚ってなんだろうと笑う。

 そこには一言、シルヴィアだけじゃなくて自分の事も構って欲しいと書かれていた。


「そのページはベルと一緒に考えたかったから」


 そう言ったルキはベルの髪に手を伸ばし、さらりと彼女の髪を撫でながら、


「俺は公爵家の人間だから、自分の好き嫌いだけで妻は選べない。でも政略結婚の相手がたまたま好きな人なのは、誰も文句言えないでしょ」


 そう言ってふわりと優しくベルに笑いかける。

 好きな人と言われてベルはアクアマリンの瞳を瞬かせ息を呑む。


「俺はベルに出会えて良かったってずっと思ってる」


 ベルのその目に自分が映っている事を確認しながら、ルキはゆっくり言葉を紡ぐ。


「初めて父とまともに喧嘩したよ。ベルに失礼な事をしてすまなかった。父にも正式に謝罪させるから、許して欲しい」


「それは別に怒ってないんだけど、ルキが喧嘩?」


 嘘でしょう? と驚いたようにベルは目を見開く。こんな、虫も殺せないくらい優しいルキが、と。


「本当。ずっとお互い話し合う事から逃げてたから、いい機会になったよ。父の本音も聞けたし、母のことも聞いたんだ」


「……ルキのお母さん」


 あんなに苦々しく母親を語っていたとは思えないほど穏やかな顔をしてルキは頷く。


「多分、片方だけが一方的に悪いってことはないんだろうなって、話を聞いて思ったよ。俺は母の事情を知ろうともしなかった。シルと父と3人で墓参りも行ってきたよ」


「そっか」


 公爵はどうやらささやかななお願いも聞いてくれたらしい。

 家族だから必ずしも分かり合えるとは限らないが、それでも家族と向き合う事がルキにとってプラスになったなら嬉しいとベルは話を聞きながらそう思う。


「全部、ベルのおかげだよ。君は1年前のお見合いで宣言した通り俺の抱える問題を全部解決してくれた」


 ルキの話を聞きながら自分の事のように嬉しそうにしてくれるベルを見ながら、


『その期間で次期公爵様のお困り事、私が全て解決して見せます』


 とドヤ顔で言っていた彼女の事を思い出しルキはクスッと笑う。


「ベルは俺にとって間違いなく"魔法使い"だったよ」


 そう言われたベルは、ぎゅっと胸が熱くなる。込み上げてくるこの感情は一体なんと呼ぶのだろう?

 気持ちを言葉にできなくてただ見つめるベルの頬に手を当てて、


「俺は本当にベルに感謝してる。そして、できたら今度は俺がベルの力になれたらなって思ってる」


 濃紺の瞳は優しく微笑む。


「俺はベルが好きだよ。これから先ずっと一緒にいて欲しいって思ってる。だから、そうできる方法を一生懸命考えてみた。ベルに好きになってもらえるように、努力するからベルも俺の事を選んでもらえないかな? ベルが大事にしたいもの、一緒に守れるように頑張るから」


 ルキの言葉はいつも真っ直ぐで、ベルの目から涙が落ちる。

 契約満了を告げたあの日、泣くだけ泣いてこの感情は忘れようと思ったはずなのに、ルキは貴族としての義務もベルのやりたいことも全部満たして迎えに来てくれた。

 これは誰もが羨む小説のような恋物語じゃなくて、とても現実的な政略結婚だ。

 だけどルキがこの提案をするために、あの日諦めてしまった自分の事を沢山考えてきてくれたのだと思うと、色んな感情が混ぜこぜになって涙が止まらなくなり、これ以上素敵なプロポーズはないのではないかとベルは思う。


「ベルの生涯を共にする相手が俺じゃ嫌?」


 涙をそっと拭ったルキは、ベルに静かに尋ねる。

 嫌なわけではない。次期公爵の妻なんて絶対気苦労が絶えないけれど、それでもきっとルキならこれから先、楽しい時も辛い時も一緒にいる努力をしてくれると思う。

 だけど、とベルは目を伏せると


「そもそもの話、無理だよ。だって私は、あなたと婚約破棄してるのよ」


 否定も肯定もせずに事実だけを端的に述べた。

 一度婚約破棄をした者同士は3年の冷却期間と審査が必要になる。公衆の面前であんな騒ぎを起こした自分が公爵家と再び婚約できるとは思えない。

 そう言ったベルの頬を軽く撫でベルのチョコレートブラウンの髪を掬って指で絡めたルキは、


「その点は心配いらない。書類出してないから」


 そのまま髪にキスを落としてそう言った。


「……はっ?」


 驚き過ぎて涙が止まったベルに、イタズラでも成功したかのように笑ったルキは、


「書類上、俺とベルまだ婚約中だから。何なら今すぐにでも結婚できるよ」


 しれっとそんな事を宣った。

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