その22、伯爵令嬢と次期公爵(2)
少しだけ時間が欲しいと言ったルキに、初めは難色を示したベルだったが、お茶一杯分だけと粘られてため息交じりに了承した。
このエリアは一部冠水した程度の被害だったのでほとんどの住人は元の生活に戻れている。
それでもまだ日常に戻れない者がいるのは確かなのでもうしばらく支援が必要だとぐるりと今日回った所感を元にルキはチェックリストに必要項目を落とし込んでいく。
そんなルキを見ながら、
「……仕事中ではないのですか?」
差し出されたお茶を一口飲んでベルは尋ねる。
お茶一杯分の時間。
それすらゆっくり取れないほどやる事が山積みであるはずなのに、もう少しだけと自分を捕まえた意図が分からずベルは首を傾げる。
「うん、今日はこれで終わり」
ようやく終わったと背伸びをしたルキは、
「ストラル伯爵ってさぁ、なんで伯爵やってるの?」
書類を鞄にしまい自分の分のお茶をコップに注ぎながらそう尋ねる。
「なんで、って爵位を継いだからでは?」
唐突に尋ねられた質問の意図が分からず、ベルは首を傾げながら、そういえば兄が伯爵になった経緯は聞いたことがないなとふと思う。
「伯爵は貴族の暮らしに執着があるわけでもなさそうだし、政治にも権力にも名声にも興味がなさそうだし。今でこそ領地経営は順調だけど、継承問題が生じた時は赤字領地で多額の負債。手離す、って選択もあったはずなのになんで伯爵になったのかな、って」
ルキに言われて、ベルはそんな選択肢もあったのかと驚く。
出会った時にはすでに兄は伯爵で、誰も助けてくれない赤字領地を抱えながら、それでもストラル伯爵家を一人で背負って立っていた。
「本当のところは本人に聞かないと分かりませんが、きっと放っておけなかったんだと思います」
「……放っておけない?」
ベルはゆっくり頷くと、
「きっとお兄様が手を出さなくても誰かがしなきゃいけない事、だったから。なら、自分がやればいいかって」
ベルはアクアマリンの瞳を瞬かせ、楽しそうに笑うと、
「だって、私のお兄様だもん。犬でも猫でも老人でも従業員でも妹でも弟でも嫁でも困ってれば拾って来ちゃうの。でもちゃんと最後まで責任とってくれるんだから、カッコいいでしょ?」
ベルは誇らしげに笑い、兄を語る。
「多分、今でもお兄様が伯爵なのは、お兄様が底抜けにお人好しだから」
ベルはにこやかに笑って空を仰ぐ。まるでベロニカの瞳のように金色の月が闇夜に浮かぶ。
「お義姉様の予想ってやたらと当たるんですよね。まるで"未来でも見えている"みたいに」
本人は勘が冴えているだなんて言うけれど、偶然というには出来すぎているほどよく当たる。
それこそ、災害でも流行でもベロニカがそうだと言えばピタリと当たるのだ。
「そんなおとぎ話の"魔女"でもあるまいし」
そう言いながら、ルキは以前ハルがピコピコハンマーを持ってきた事を思い出す。
義姉の助言はよく当たるから従うことにしていると。
「ふふ、だったら素敵ですね。まぁ、とにかく少し変わった人ではあります」
「……魔法」
ルキはそんな言葉を口にして、自分で首を横に振る。そんなもの、あるはずないと。
「さぁ、本当のところは分かりません。けれど、同じ人間なんて1人としていないのに"人と違う"なんて当たり前のことが圧倒的大多数と違う"知らない"に分類されちゃうと、"いけないこと"になっちゃうんです。何が起こるかわからないから」
『魔法』という特殊な体質を持つ人間が稀に存在するという。だが、その人間は存在を認識された途端に絶対的多数の前に迫害や好奇の目に晒される。
もしもベロニカがそうであったとしても。
「私にとって、お義姉様は兄の妻であり、私の家族です。これから先、何があっても」
ベルはそう言いながらベロニカの事を思い浮かべる。
ある日突然兄が家に連れて来て、結婚することにしたからと宣言し一緒に暮らし始めた義理の姉。
彼女は過去を語らない。それでも一緒にいたいと思うほど大切で大事な家族である事には変わりない。
「お兄様はお義姉様は無害な人間だって証明したいんじゃないかなって、思うんです。それこそ、自分の生涯をかけて」
多分、お兄様の研究の根幹ってそれなんですよねと言ったベルは、
「なかなかの愛妻家でしょう? そのためにはほどほどの爵位が必要なんじゃないかと。まぁそんなわけで兄はこれから先も多分ずっと伯爵です」
にこやかに笑って質問の答えをルキに返した。
「なるほど。ベルはそんな素敵なお兄さんを見て育ったから、いつも誰かのために頑張れるんだね」
ルキは納得したように微笑んで、
「ベルはさ、先代と血が繋がってないかもって言ってたけど、間違いなくストラル伯爵と兄妹だよ。似ているよ、すごく」
大切な事を口にするようにそう言う。
そんな事を語る濃紺の瞳を見ながらベルは耳を手で触り、ありがとうと笑った。




