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その21、伯爵令嬢と商談。(3)

 雨季ではないこの時期に突発的に起きた記録的な大豪雨。

 それは大きな運河を有するブルーノ公爵領で、大きな水害をもたらした。

 想定外の雨量に大氾濫した川と流された橋。溢れ出た水や、崩れた土砂により流された村も多数あった。

 春先とはいえ夜は冷える。通常でさえそれなのに、家を失った人たちを追い詰めるように寒波が襲う。

 そんな未曾有の事態に直面しながら、ルキは資料を片手に頭を抱える。


「……備蓄分じゃ食糧も物資も全然足りないな」


 ブルーノ公爵家だけではとても対応の難しい事態に、国や他領にも救援要請を出しているがすぐには動いてもらえずなかなか事態は好転しない。

 領地経営は全て父に任せきりだった。次期公爵だというのなら多少父とぶつかってでも、もう少し実情を把握しておくべきだったとルキは今更どうにもできない後悔を握りしめ、今できる最善策を考える。

 長い間災害がなく平和だったからという理由で知らない間に減らされていた災害対策予算と備蓄。

 有事に慣れていないため自主的に動ける人間の少なさと情報統制がとれない事態が状況を悪化させる。


「ルキ様、商会から物資の見積もりが届きました……が、その」


 言葉を濁した執事の手から見積もり書を見れば足元を見たような金額が書かれていた。


「他に取引に応じてくれそうなところは?」


「正直、あまり芳しくはないです」


「だろうね。まぁ、これも自業自得か」


 ストラル伯爵領との取引の停止。

 それはあっと言う間に商人達の口に乗った。

 大きな商会が取引をやめる。何故、という理由を知りたくなるのは当然で、公爵家が不当にストラル社の物流を通行止めしたその経緯が明るみに出るまで時間はかからなかった。

 食糧物資などを取り扱う商会からの信頼やストラル伯爵家を支持する下級貴族からの信頼が著しく低下していた中で起きたこの事態に快く支援の手を差し伸べてくれるところは少なかった。

 本来なら領主であるルシファーが中心となって事態の収束のために動かなければならなかったのだが、この事態に慌てたルシファーが支援を求めて強引な手段を取ろうとしていたためルキが止めた。

 ルシファーのやり方では余計に拗れてしまう。

 はじめは口を出すなと言われたが次々と発生する事態に対応できず初動が遅れたルシファーより、ルキに指示を仰ぐ者が多くなり指揮権は事実上ルキに移った。


「言い値で買い付けて構わない。人命救助と物資の配布を優先。2次災害も防がないと。なるべく早く納品してくれるなら多少色をつけても構わない。取引に応じてくれる商会も引き続き探して」


 とルキは指示を出す。


「あと、みんなもなるべく交代で休んで欲しい。倒れてしまっては元も子もない」


「……ルキ様こそ、全くお休みになられていないではないですか」


「まぁ、俺が倒れるわけにはいかないけど、この状態じゃ俺が休むわけにもいかないでしょ」


 上手く方針立てするためにも刻々と変わる状況を正確に把握できるようにしたいのだが、ルキ自身このような事態に対応した事がなく、やる事が多すぎてとても休めそうにない。

 とにかく考えられる限り手を尽くさなくてはとルキは焦りながらも考え続けていた。


「……こことの取引はやめとけ。有事に漬け込んで吹っかけてくる商会なんて、だいたい粗悪品掴まされて終わりだ」


 突然そう言われてルキは見積もり書から視線を上げる。


「なんで、あなたが……」


 ルキは驚いたように目を見開き、声をかけた人物を見る。

 ルキが手に持っている見積もり書を覗き込むハルによく似た容姿の、ハルとは決定的に違う黒曜石のような黒い瞳を持つその人、キース・ストラル伯爵だった。

 ふむ、と辺りを見渡し状況を把握したらしい伯爵は、


「支援してやる。ただし条件が2つ」


 と淡々とした口調でそう告げる。


「1つめ。物資も人もうち(ストラル社)が出す代わりに俺のやり方やうちの人間に口を出さないこと」


 伯爵はいつも通りの仏頂面で、困惑を示す濃紺の瞳を見る。

 この事態に今まで一人で対応してきたんだろうと推察できるほど、ルキの顔には濃い疲労が浮かんでいる。

 伯爵は盛大にため息を吐くと、


「2つ目。お前が倒れたら話にならない。ここから先はちゃんと食べて寝て人に頼れ。それでだいたいなんとかなる」


 そう言ってルキに非常食を押し付けた。


「味は保証する。何せ非常時こそ美味しいごはんじゃないとダメっ! って、俺の妻と妹がリテイク出しまくって作ったからな」


 一つ開発するのに何ヶ月非常食食べたかとその時のことを思い出したようにクスッと笑った伯爵を見ながら、


『兄がね、よく言うんです。寝て食べたら大抵の悩みは解決するって』


 ベルがそんな事を言っていたなとルキは思い出し、非常食に視線を落とす。

 ベルは先代のストラル伯爵と血の繋がりがあるか確信が持てないと言っていたけれど、この人は間違いなくベルの兄だと彼女との類似点を見つけてルキは笑った。


「……どうして、うちを助けてくれるんですか?」


 ルキは真面目な顔をして非常食を握りしめ、伯爵にそう尋ねた。

 ブルーノ公爵家はベルの名誉を著しく傷つけたと言うのに、ベル自身が過保護だと言っていたその兄が支援してくれる理由が分からない。


「別に公爵家を助けようなんて微塵も思ってない。これは、ストラル伯爵家から、シルヴィアお嬢様個人の将来性に期待して行う先行投資だ」


 そんなルキに肩を竦めてそう言った伯爵が入口のドアに視線をやると、タイミングよくシルヴィアが入ってきた。


「お兄様! もう大丈夫ですわ」


 開口一番にそう言ったシルヴィアはいつも着ているドレスより随分簡素で動きやすそうなエプロンドレスを身に纏い、両手いっぱいに資料を抱えて微笑んだ。


「……シル? これは、一体」


「私が伯爵にお願いしたの。助けて、って」


 シルヴィアがどうやって、とルキが驚いていると、


「社長。とりあえず物資ありったけ屋敷前に運びましたけど、仕分けどうします?」


「まずは正確な情報収集と分析。運搬先地図に落として通行可能か確認。避難所にすぐ出せるように準備しといて。一時保管場所などの指示はお嬢様、できますね?」


「はい、勿論です。皆さま、災害時マニュアルを基本とした行動で、記録を残し報告をお願いします。都度情報はうちの者でまとめて共有を図ります。一時保管場所は会議室を利用しましょう。物質ごとに整頓をお願いします」


 伯爵に言われたシルヴィアはテキパキと指示を出して押しかけてきたストラル社の腕章をつけた人たちを案内する。

 全員がシルヴィアと顔馴染みのようで、気安く声をかけながらシルヴィアの話に耳を傾けて作業を開始した。


「ブルーノ公爵令息、人心掌握にかけてはあなたよりずっとお嬢様の方が才があるのではないですか? 何せうちにはお嬢様のファンが大勢おりまして」


 口調を改めた伯爵はポカンとした顔でシルヴィアを見送ったルキに話かける。


「ファン?」


「そう、うちの社員シルヴィアお嬢様に全員骨抜き。何せお嬢様はちょくちょく本社に顔を出して、実験室で好奇心いっぱいに目を輝かせて見るもの全部にいい反応してくれるもんだから可愛いくってね」


 ルキはベルが出て行ってからシルヴィアが頻繁に外出するようになった経緯を察する。


「どうやったら楽しい会社になると思います? って課題出したら"社長にバレずに社内でこっそり宴会やってみた!"って企画を立てて社員一同こっそり簡易コンロで肉焼いてるんですよ。まぁ、バレたけど」


 企画に乗って全面協力したベロニカと共に伯爵に怒られている最中に『バレないような消臭スプレーを開発したらいいんじゃないかしら!』と、さも名案みたいな顔をして言い返して来たシルヴィアを思い出し伯爵は喉を鳴らして笑う。


「そんなお嬢様が困ってたら心配し過ぎて仕事にならないそうで。お嬢様が遊びに来てくれるとうちの作業効率上がるんですよ」


 みんなシルヴィアと遊びたくてたまらないからと言った伯爵は、改めて公爵家への支援を申し出る。

 ルキは頭を下げてそれを受け入れた。


 話はまとまったとシルヴィアと社員がいる部屋に向けて歩き出した伯爵は、


「あなたの事業提案も悪くはなかったです。が、決めるのはベルなので」


 うちは自主性を重んじる方針でしてと笑い、


「商談はベルと行ってください。俺は妹の意思を尊重します」


 ルキにそう声をかけて今度こそ振り返らずに部屋を出て行った。

 ルキは伯爵が見えなくなるまでその背中に頭を下げ礼を述べると、手に残った非常食を見つめ、プレゼン相手をどうやって捕まえようかと静かにつぶやいた。

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