その20、伯爵令嬢と契約満了。(1)
ルキは使用人達の静止を振り切って別邸に乗り込む。
久しぶりに対峙した父の目は全く動じることなくルキを捉え、一瞥くれただけですぐに視線は書類に戻った。
「ベルに、何をしたのですか!?」
「久しぶりに会ったと言うのに、随分な言いがかりだな」
「よくもぬけぬけと」
怒りで我を忘れている息子にため息を吐いたルシファーは、
「何が問題だ。アレを嫁にするわけにはいかないことくらい、お前も分かっているだろう」
「ベルを物のように扱うのはやめて頂きたい。彼女は」
「誤解があるようだからはっきり言っておく。売り込んで来たのは彼女の方だ。自分を買わないか? っと。だから望み通り買ってやったんだ。これは彼女と私の間で結ばれた正当な取引だ。お前が口を挟む事ではない」
言いかけたルキの主張を遮って、ルシファーは淡々とした口調でそう言った。
「ベルのどこが金遣いの荒い阿婆擦れなんですか! あなたが噂をばら撒いているのは分かっているんです」
「さぁ? 身に覚えがないな。居合わせた人間が勝手に吹聴しているんじゃないのか?」
ここで何を喚いたところで暖簾に腕押し。いくら噂の広がりが早過ぎると言えど、父がやったという証拠はなく、またあったところで一度人の口に乗った彼女への誹謗中傷は消えない。
「自分で言っていたんだろ。金のためだと。いい加減、目を覚ませ」
公爵家から対価はすでに支払い済みだとベルは言っていた。
だが、ベルが独立資金欲しさに自分を安売りするとはルキには到底思えない。
それくらい、きっと彼女なら嬉々として自分で稼ぎ出す。
「ベルは紅茶一杯素直に奢らせてくれない、ドレスだって理由がなければもらってくれないような人です。使用人に混ざって労働で滞在費を払い、その上で生活費を入れるそんな人のどこが金遣いが荒いと? 一度も贅沢なんて彼女は望まなかった。仮の婚約者に対しても誠実に向き合う、そんな人がっ」
「だから、なんだ? それで? 気に入っているからと愛人にでもする気か?」
冷たい声でそう言われ、ルキは怒りに満ちた目で父を睨む。
「母親に似るのは、その容姿だけにしてくれ」
ため息交じりにそう言ったルシファーは、
「お前に縁談が来ている。相手はエステル王女だ。受けなさい」
そう言ってルキに見合いの書類を差し出す。
「お断りします」
「シルヴィアも言っていた。そろそろ女主人が必要だ、と。エステル王女なら公爵夫人としてもシルヴィアの義姉としても申し分ない。公爵家を思うなら、妹を思うなら受けなさい」
間髪入れずに断ったルキの言葉に耳を傾ける事なくルシファーは繰り返し受けるように伝える。
「貴族の結婚に余計な感情はいらない。それでも結婚を急かさず待っていたのは、お前に悪いと思っていたからだ。夜会でのお前のエステル王女への態度を見た。エステル王女なら問題ないだろう」
人の噂になるほど仲睦まじく映るその様子なら、初めは真似事でもいつか本当にそうなる日が来るだろう。
「ルキ。上流階級には上流階級に相応しい血筋の者同士の婚姻がいいに決まっている。同じ失敗を繰り返さないでくれ」
ルシファーはそれが正解とばかりにルキに道を示す。
「……つまり、私とシルヴィアはあなたの失敗の結果生まれたと言いたいわけですね」
ルキは嘲笑し、そう言い返す。
その言葉に今まで無反応に近かった父の目に後悔の色が宿る。
「あなたの後悔を、私に押し付けないで頂きたい。私は、あなたの失敗の清算のために生きているわけではありません」
ルキはその目を見てはっきり告げると、これ以上話しても無駄だと踵を返し部屋を後にした。
出て行った息子の姿が、かつて出て行った妻の姿と重なる。
『あなたには、一生理解できないでしょうね』
妻との関係はシルヴィアが生まれた時にはもう、修復のしようがないほどに亀裂が入っていた。
『もう、嫌っ! もう、うんざりよ。私は出て行くわ』
彼女が何をしても全部目を瞑ってやったのに、彼女はその度に不機嫌になっていき、そして最後は駆け落ち同然で使用人だった男と出ていきそのまま馬車の事故で亡くなった。
「……どうして、分かってくれないんだ。リゼ」
妻が愛してくれなくても、ルシファーはずっと彼女を愛していた。いくら周りに再婚を勧められても後妻を取らずにいるほどに。
そのつぶやきに答える声はなく、ため息をついたルシファーは淡々と書類に目を向けるが内容はろくに頭に入ってこない。
ふと視線を上げた先で妻の写真が目に入り、あの日乗り込んできた彼女の言葉が蘇る。
『私、幽霊って会った事ないんですよねぇ』
自分を売り込みに来たアクアマリンの瞳は、無遠慮に他人のプライベートに上がり込んで来てそう言った。
『死んだ人間からの言葉かけなんて、あるわけがないではありませんか。もし聞こえるのだとしたら、それは全部あなたが生み出した幻想です」
責める言葉も、未練も、後悔も、それは全部生きている人間の内側にあるものですと、生意気に説教じみた言葉を紡ぐ彼女は、
『最後の条件です。写真を眺めて悔いる時間があるなら、生きている人間と向き合う時間に回してください。生きている人間にとって時間は等しく有限ですよ』
これはあくまでお願いです、と言った。
彼女、ベル・ストラルの主張がルシファーには理解できなかった。
それを自分がしたとして、この女に一体何のメリットがと訝しむ視線を受け流したベルは、
『思っているだけで伝わるなら、誰も苦労はしませんよ』
そう言い残し書面を手に取り出て行った。
*****
その噂は、王都からほど近いブルーノ公爵領にいるルシファーの耳にも届いていた。
『氷の貴公子が海の向こうのお姫様と恋に落ちた』
と。それは密かに、だが急速に社交界に広まった秘めた恋の物語。
今までどんな貴族令嬢をあてがっても、女嫌いのルキが靡いたことはなく、その原因の一旦は自分にもあると思っていたルシファーは噂の真意を確かめるために今回夜会への出席を決めた。
だが、王城で久しぶりに会う息子を見て、正直目を疑った。
あれほど女性に近づかれることを嫌がっていたルキが、穏やかに相手に笑いかけ、彼女をリードし、気遣っている様子が見られたからだ。
その上シルヴィアから女主人を迎え入れるよう提案があった。茶会で仲良くしていたという報告も入っているし、シルヴィアのつけている髪飾りとエステルのつけているものは似ているデザインで、どちらもルキが贈ったものだという。
並んでいる様は仲のいい姉妹のようにも見えた。王族であれば公爵家としても釣り合いがとれ申し分ない。
ナジェリー王国側の使者とルキの上司であるケインズ侯爵からエステル王女との縁談を勧められた時は迷いもあったが、ルキが心を決めたのならこちらから言う事はなにもない。
「ルキは、ようやく伴侶を決めたのか」
重い肩の荷が降りた心地でルシファーはつぶやくと、視線を手元の資料に落とす。
「なら、親として邪魔な障害物はどけてやらねばならないな」
そこにあるのはベル・ストラル伯爵令嬢の素行調査の結果だった。
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