その14、伯爵令嬢と里帰り。(2)
ルキにも口止めをしたし、契約婚約については隠し通すつもり……だった。
「ベル、おかえりなさい」
出迎えてくれた義母に変わりはないようで、ベルは懐かしさを感じながら、
「お久しぶりです、お義母様」
淑女らしく礼をしてみせる。
「まぁ、ベル。少し会わない間にとても所作が綺麗になったわね」
驚いたようにそう褒めてくれる義母に嬉しそうな顔をしたベルは、仕事で知り合った友人なのとルキを紹介する。
挨拶をしたルキに、
「ストラル伯爵領へようこそお越しくださいました。ベルの母のサラ・ストラルと申します」
目を引くほど美しい動作で礼を返す。
先代伯爵夫人サラの所作はとてもきれいで、ベルに一通りのマナーや礼儀作法を教えたのが彼女なのだととても納得できた。
一通り話が済み落ち着いたところで、
「ところでベル、あなた今氷の貴公子を誑かした悪女って噂が流れているの、知っているかしら?」
にこっと義母がそう尋ねる。
「悪……女?」
「ストラル領まで届いてますよ、あなたの悪女ぶり」
夜会で色んなお嬢様たち蹴散らしているそうですねと微笑む義母に、
「えー! 何それ、悪女!! カッコいい!」
悪女って響きが素敵と笑うベルに、
「ベル、何でちょっと嬉しそうなの!? 誑かされてませんから」
ルキは止める。
「それじゃ、ベル。あなた達の本当の関係と王都での話を聞かせてもらおうかしら? 母は娘の自主性に任せて9ヶ月も口出しせず待ってましたよ?」
場合によっては即座に領地に連れ戻しますよ? とにこやかに告げられ、義母に契約婚約が即バレした。
その後ベルは義母にこってり叱られた後、ペナルティとして振られた仕事をようやく終わらせた。
「サラ夫人、強いな」
「実質今うちの領地仕切ってるのお義母様だから」
ベルの巻き添えであれこれ仕事を振られたルキは苦笑しながらそれらを手伝い、今のこの領地の現状を把握した。
おそらく見た方が早いと判断してそれらを回してくれたのだろうが、知りたいならついでに仕事も手伝えだなんてなんともベルの義母らしい。
「ごめんね、休暇で来てるのにガツガツ手伝わせて」
「いや、働かざる者食うべからずってその通りだなって」
勉強になったし、面白い内容だったとルキは笑った。
「災害と疫病対策、随分力入れてるんだな」
「……昔、ね。オレン熱が大流行した事があって」
オレン熱とは、冬になると流行る感染症だ。特に小さな子どもや体力のない高齢者は重症化しやすく、高熱と止まらない咳に衰弱していき、最悪死亡する。
「その頃のストラル領は、今よりずっと貧しくて、その時の領主……先代ストラル伯爵はなんの対策もしてなくて、たくさんの人が亡くなったの。……私の、ママもその時に」
ベルは淡々と何でもない事のように言葉を紡ぐ。
「オレン熱って定期的に流行るじゃない? アレ特効薬ないし、予防対策が一番大事なの」
それは繰り返された歴史の中で、確立された病への対抗策。
「しっかり食べて、寝て、体力つけていれば罹りにくいし、罹っても治る可能性が高い」
そう、この病気は治るのだ。
「感染者が出ても隔離して、患者が衰弱しないように対症療法を実施しながら、他の人にうつらない対策を取れば別に怖い病気じゃないの」
それは、王都なら子どもでも知っている常識だ。
「でも、この領地はそんな当たり前のことすらしてこなかった」
その結果がどうなったか、ベルは身をもって知っている。
何でもないわけがない。
ただ、淡々としか話せないのだと色を無くしたベルの表情を見ながらルキは思う。
その感情の落とし所を見つけられないまま、ベルは今ここにいるのだ。
何と声をかければいいのか分からずにルキはただ黙ったまま、立ち上がってベルの側に近づくと彼女のことを引き寄せる。
「……ルキ?」
弱々しく名前を呼んだベルのことをぎゅっと抱きしめて、
「こんな時の適切な言葉が俺には分からない。ベルが嫌なら、すぐ離れるから」
まるで子どもを慰めるみたいに優しく背を叩き、ベルのチョコレートブラウンの髪を撫でる。
「……ちょっとだけ、このままで」
ベルは、ああこの人は"お兄さん"なんだなと思いながら、目を閉じてルキに寄りかかる。
髪を優しく撫でる手つきに心地よさを感じながら今ここにルキがいてくれて良かったと静かに感謝した。
少し時間をおいて、もう平気とルキから離れたベルは、
「さてっとノルマ終わったし、遊びに行こうか? ルキ」
パチンと手を叩いてそう提案した。
この話はここまでとばかりに切り替えたように笑うベルに、
「遊びに?」
とルキは聞き返す。
「領地案内するって、言ったでしょ」
全域は無理だから伯爵邸周辺の町だけだけど、といってベルはクローゼットから着替えを取り出しルキに差し出した。
「この格好……は?」
「うーん。一番地味なの選んだのに、ルキの容姿だと何着てもルキはルキって感じだね」
兄のだけどと差し出されたのはシンプルな白のカッターシャツとスラックス。サイズは問題ないのだが、この格好は一体なんだと首を傾げる。
「ふふ、ルキは一応お忍びだからね。って、いっても町の人達はみんな私のこと知ってるんだけど」
散策よと言ったベルの格好もいつもより随分ラフな服装で、シンプルなチュニックにパンツスタイルでスニーカーを履いている。
その様はとても貴族令嬢には見えず、ただの町娘のようだ。
「それ、お兄様のだし、思いっきり汚しちゃっていいから」
なんなら破いてもいいと言うベルに、
「他人の服汚したり破いたらダメだろ」
とルキは苦笑する。
「大丈夫よー汚れたら洗うし破いたら繕うから」
そう言ってベルは、
「うちの領地も良いところいっぱいあるのよ?」
見せてあげると楽しそうに笑って、
「お手をどうぞ、王子様?」
いつもの口調でルキに手を差し出した。
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