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その12、伯爵令嬢とお付き合い。(3)

 ベルとの関係を『お付き合い』にしてみたけれど、だからといって何かが急に変わったわけではなかった。

 感情のラベリングもできないまま、それでも何となくベルの顔が見たくてルキは彼女の部屋を訪れる。

 だが、ノックをしても返事がない。夕食後特にどこかへ行くとは言っていなかったしなと首を傾げたルキは、何となくドアノブを回す。

 するとそれは抵抗なく回り、音もなくドアは簡単に開いた。

 ベルは電気をつけっぱなしにして、鍵をかけ忘れて出かけるタイプではないので、少し席を外しているだけだろうか、とルキは部屋を静かに覗く。


「……ベル、こんなところで」


 ルキは少し呆れたようにそう言って静かに部屋に入る。

 机に伏して寝息を立てるベルの周りにはたくさんの紙が散乱しており、何かの資料を作る途中で寝落ちしたらしい様子が見てとれた。

 

「仕事、立て込んでるのかな」


 ちゃんとベッドで休まなければ疲れも取れないだろうがあまりに気持ち良さそうにすやすや寝ているため、起こすのも気が引ける。

 どうするべきかと悩んだルキは、ふとベルが作りかけていた資料や散乱していたメモに視線を落とす。


「……コレ、は?」


 ベルが作っていたのは、どうすれば"愛してる"が分かるのか? といったテーマのマインドマップだった。

 それに加えて何人かにインタビューをした質的データをキーワードで分類し"愛している"と判断するに至った経緯を客観的に捉えられるように整理している。


「ロジックツリーまであるし。……って何、この問題解決に向けたやる事リストって。落とし込み方に既視感が」


 ベルはおそらく一番自分がわかりやすい形で情報を整理しているのだろう。

 ルキはベルの本気度がすごいと仕事でもないのに熱心に作り込んでいるそれを見ながら自然と顔が綻ぶ。


「真剣に考えてくれて、ありがとう」


 ルキはそうつぶやいて、ベルの書いた文字を丁寧に辿りながら、彼女に対する感情を整理していく。

 その中でルキは『触れたいと思うか?』と書かれた内容に目を留める。


「触れたい、か? 相手を深く知りたいと思うか? 自分の内側に入ってくることを受け入れられるか? ……付き合ったとして、私にそれができるのか? ……か」


 そこに書かれた最後の問いは、ベル自身に向けられたものだった。


「どこまで、触れてもいいんだろうか? お互い」


 ベルといるのは、楽だった。彼女はいつも無理しなくていられる距離をとってくれていたから。

 自分にとって楽だと思ったその距離はベルにとってはどうだったのだろうと気になる。


「知りたい、な。ベルの事。俺はちゃんと君が知りたい」


 あと4ヶ月と少しで別れる日が来るのだとしても。

 そうすれば、自分のこの気持ちにキチンと名前がつけられる気がした。


 ルキはそっと寝ているベルのチョコレートブラウンの髪に手を伸ばす。柔らかくて触り心地のいい髪をそっと撫でると、ベルは気持ちいいのかふふっとかすかに笑った。

 

「……なん、って……言えばいいのかな、コレ」


 きゅっと胸の奥が掴まれるような、切なくて暖かな感情にルキは戸惑いながら、そっとベルに触れる。


「……うぅ……」


 触り過ぎたのか、ベルが小さくうめき眉間に皺がよる。


「ふふ、ごめんって」


 ルキがそう笑ったところでゆっくりとベルの目が開き、まだ眠たげなアクアマリンの瞳がぼんやりとこちらを見る。


「あれ、ルキ様。どうしました?」


 寝起きの少し掠れたような声でそう言ったベルがキョロキョロと辺りを見回す。


「……うわぁ、まだ途中だったのにぃ。見ましたね?」


 ルキの手に視線を止めたベルはそう文句を述べる。


「ごめん、見てしまった」


「完璧に企画書立ててプレゼンするつもりだったのに」


 少し残念そうに言いながら、楽しげに笑うベルと目が合う。


「ふ、あはっ、ははは……ベル、プレゼンって」


「いや、だって一番分かりやすいかなって」


 思わず吹き出すように笑ったルキに、いい案だと思ったんですがとベルは不服そうな顔をする。


「分かりやすいけども。仕事でもないのに何でこんなに作り込んでるの」


「やるからには全力で、がストラル家のモットーだからですかね?」


 ドヤ顔で計画途中の企画書を握りしめ笑うベルを見ながら、


「何事も全力で楽しもうとするところ。真っ直ぐ向き合おうとしてくれるところ。話を聞こうとしてくれるところ」


 ルキはベルの作ったやる事リストをトンっと指してそう言った。

 そこには、

 

『お互いの良いところを3つ言ってみる』


 そう書かれていた。


「このリストと企画書、俺も一緒に作ってもいい?」


 とルキは尋ねる。

 ベルは驚いたような顔をして、アクアマリンの瞳を瞬かせると、


「書いてみたはいいけれど、真面目に答えられると照れますね」


 はにかんだように笑い、


「いいです、よ? 一緒に作っても」


 チョコレートブラウンの髪を耳にかけながらそう言った。本当に照れているのだろう。ベルの耳が赤くて、ルキはその熱が移ったかのように照れて目を逸らす。


「ルキ様? 顔が赤いですけど?」


 熱測ります? とキョトンと聞いたベルに大丈夫と断りを入れたルキは、


「ベルは? 俺の良いところ3つあげてくれないの?」


 と尋ねる。


「良いところ……」


 じっと悩ましげに自分を見つめたまま固まるベルに、


「待って、そんな悩むレベル?」


 俺そんなに良いとこない? とルキは凹む。


「そうじゃ……なくて」


 一旦言葉を切ったベルは、濃紺の瞳を見ながら、


「仕事への情熱と努力を惜しまないところ。相手に寄り添おうとするところ。自分の悪かったところを振り返れるところ。ちゃんと謝れるところ。シル様に優しいところ。苦手なことに立ち向かおうとするところ。ごめんなさい、3つに絞れなかった」


 ベルは指を折りながらルキの良いところを挙げていく。


「……ベル、やばいコレ。めちゃくちゃ恥ずかしい」


 ベルに直球でそう言われ、ルキは両手で顔を覆う。


「その恥ずかしいことをするのが恋愛というやつらしいです」


 まぁでもやってみない事には、結果は出てこないですからとベルはやってみる方向で話を進める。


「世の中のカップル大変だな」


「毎日大事故ですね」


 お互い感想を言った後、


「無理のない範囲で恋人の真似事やる事リストを作りつつ、消化してみましょうか?」


 ベルは笑いながらそう言った。


「じゃあ早速一個追加で。名前で呼んで敬語もなしにするのはどう? せめて2人でいる時だけでも」


「名前は呼んでいますが?」


「そうじゃなくて、対等な相手って呼び捨てにするだろ?」


「家族や恋人でも"さん"や"ちゃん"など敬称を付けることはままありますが、まぁお望みなら」


 ベルは律儀にリストに付け加えて、


「じゃあこれから2人の時はルキって呼び捨てにするね」


 と了承する。


「……本当に、毎日大事故だ」

 

 ベルに親しげに呼ばれたのが嬉しくて、心音が早くなる。

 机に伏して顔を隠したルキを見て、


「えーっと、名前呼びやめとく?」


 と尋ねるベルに、


「すぐ慣れるから大丈夫」


 ルキは継続の方向で、とベルに頼んだ。

 ただ呼び捨てにされただけなのに、ベルとの距離が近くなった気がするから不思議だと思いながら、ルキはベルの事をじっと見る。


「……どうしたの? ルキ」


「うん、なんかちょっと嬉しくて」


 そう言って嬉しそうに笑うルキの顔を見て、ベルは小さく笑い返す。

 そんなベルを見ながらルキは思う。

 ベルなら平気だからなんて消極的な理由じゃなくて、ベルだからいいと言えるような自分になりたいと。

 はっきりと『愛してる』が分かったら、その先に、自分は何を思うのだろう。

 ルキはそんな事を考えながら、今自分の中にある感情と向き合ってみたいと確かにそう思った。

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