その9、伯爵令嬢と誕生日。(4)
屋敷についてそのまま部屋で休んでいたルキはすっかり落ち着いたあと、ベルの部屋を訪ねた。だがノックをしても、返事がない。
ベルが寝るにはまだ少し早い時間のはずだ。いつもならすぐ『どうぞ〜』と言って入れてくれる彼女が部屋にいないなら、きっと厨房だろうとルキはそちらに向かって歩き出した。
「……ベル、君は一体何しているんだ?」
厨房に広げられた謎の物体を見ながらルキはベルに話しかける。
「んーお腹空いちゃって。夕食食べそびれちゃいましたし」
さすがに部屋は火気厳禁なので、と材料を並べベルは肩を竦める。
「ごめん、ホントごめん」
食べ損ねた原因は自分なのでルキは素直に謝る。
「ていうか、ナツに言えば夕飯出してくれただろうに」
「なんかあの後もバタバタしてて言いそびれまして」
苦笑したベルは、ルキの顔色を見て落ち着いたようだとほっとする。
「別に怒ってはないんですけど……じゃあ、ルキ様共犯者になってくれます?」
ふふっと笑ったベルは、じゃあたまには悪い事しましょうか? とイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「えーっと、これは何?」
「お茶漬けです。やぁー流石公爵家の台所。何でも揃ってますね」
最近マナーレッスンで豪華な食事ばかりで、実はこういうのが食べたかったのとベルは笑う。
「はぁー出汁の匂いが素敵過ぎる。超贅沢」
「どこがだよ?」
ベルが作ったのはごくシンプルな鯛茶漬けなのだが、ルキはこんな食べ物は見た事がない。
「夜中に食べる炭水化物! 太るとわかっていても止まらない、背徳感っ! 罪ですねぇ」
分かってないなぁと揶揄うようにそう言ったベルは、
「ルキ様はこういうの食べた事ないと思いますけど、食べます?」
とルキの分を差し出す。
見た事のない食べ物に対して拒否反応を示す事が多いルキだが、美味しそうな出汁の匂いとベルの笑顔を見て、身体が空腹だった事を思い出す。
「……いただきます」
そう言って渡されたスプーンで静かに一口食べたルキは、美味しいと笑った。
「……何?」
ルキはじっとこちらを見てくるアクアマリンの瞳に不思議そうに首を傾げる。
「いえ、ただ私が差し出すものに全然抵抗なくなってきたなって」
美味しいなら良かったとベルはクスクス笑いながら自分の分に手を伸ばした。
そんなベルを驚いたように見返しながら、そうかもしれないとルキは素直に思う。
「そう言えば、ルキ様のご用事は何だったんですか?」
普段来ない厨房までわざわざ追いかけて来たのだ。何か用事があったのだろうとベルは尋ねる。
「ああ、これ渡そうと思って」
鯛茶漬けに夢中で忘れかけていた本題に、ルキは苦笑しながらベルにラッピングされた箱を差し出す。
「これは?」
「誕生日プレゼント。本当はディナーの時に渡そうと思ってたんだけど」
行けなかったから、と誕生日おめでとうと改めて言った。
「プレゼントはもう観劇のチケットいただきましたよ?」
「あれはまぁ日頃のお礼というか。本命はこっち」
しかも半分も観れなかったし、とすまなさそうにルキが言うので、ベルは一旦箱を受け取り、
「……開けてもいいですか?」
と許可を得て開封した。
「時計?」
それは一目で高価なものだと分かる機械仕掛けの腕時計だった。
「1個ぐらい、いいの持っていても良いんじゃないかと」
って、これもハルの助言だからなんの捻りもないんだけどとルキは苦笑しながら時計を見つめるベルに使ってと静かに言った。
「……いただけません。こんな、高価なもの」
「ベルはいつもそれを言うね」
用意した時、そう言われる予感はあった。それでもルキはベルに形に残るものが渡したかった。
「だって、私は契約婚約者ですよ? 度を超えてますよ」
「だから、だよ」
ルキはベルの手を取り細い手首に視線を落とす。
「偽物の婚約者だから、指輪はあげられないし」
そういったルキは遠慮するベルの腕に時計を静かにつける。
「きっと、婚約破棄したあとは少なからず好奇の目にさらされる。君が困ったとき、売れば多少なりと助けになるよ」
ベルにはこれが似合うと思ったんだとそこに収まった時計を見て、ルキは満足気に笑う。
「……でも」
「君は、本当に変な所で遠慮するね」
貰えるものは素直にもらっておけばいいのにと思う一方で、こういうベルだから渡したいと思うんだろうなとルキは思う。
「きっと、俺が君にしてあげられることはほとんどないから。慰謝料代わりに受け取って」
「ありがとう、ございます」
ね? と笑うルキが纏う雰囲気がいつもとは違いベルは躊躇いながら、礼を述べる。
「……その……今日は、お出かけできて、色んなお話できて……楽しかったです」
「はは、ありがとう。気を遣わなくても大丈夫だよ」
「気を遣ってるわけじゃ、なくて。本当に」
本当に楽しかったのだ。自分でも驚くほどに。
「あんな風に、女の子として扱ってもらったの初めてだったし。ほら、道を歩く時だって歩道側にしてくれたり、歩調を合わせてくれたりしてたでしょ?」
ごくごく当たり前にそうしてくれたルキに不覚にもときめきそうになっただなんて、絶対言ってあげないが。
「ルキ様の事、残念なイケメンって言ったの取り消しますね」
きっと、ルキが自分を必要としなくなる日は近いな、とベルはそう思った。
「……ベル。俺も、楽しかったよ」
いつもとは違い、揶揄うことなく素直に褒める照れたようなベルの様子にルキは可愛いなと思いながら自然と表情を崩す。
「上手く、エスコートしてもらえなくてごめんなさい」
そんなルキを見ながら、ベルは反省するようにそう謝る。
「え?」
「いや、改めて思ったんです。本当に、ルキ様は天の上の人だなって」
ベルはそう言って私はどうやっても偽物の婚約者だなと苦笑する。
きっといつか現れる彼の隣にいる人は、カフェの値段を気にすることなく、プレゼントも笑顔で受け取れる可愛らしい人だろう。
「ふふ、ルキ様ならきっとすぐに素敵な上流階級のお嬢様とご縁がありますよ」
あなたなら大丈夫。そう言って屈託なく笑うベルを見ながら、ルキの気持ちはざわつく。
「ああ、そうだ。化粧品の香りについてですけど、私がつけてたのは今うちで開発中の化粧品で"恋せよ! 乙女プロジェクト"らしいですよ」
サンプル要ります? とベルは急に営業をはじめる。
「ほら、ルキ様影響力あるし。この化粧品の匂いは平気みたいだし。あれが広まったら、化粧品の匂いで酔うことなくなるかもですよ?」
そんな事を言うベルに、
「……個人的に投資しようかな」
とルキは苦笑する。
「ふふ、じゃあ将来奥様にでも買ってあげてください」
それまでに一般に普及するように頑張りますよーと宣言するベルを見ながら、驚きでルキは目を大きくする。
(奥様……? ああ、そうか。7ヶ月後にはもうベルは)
いないのだ。
来年、彼女の誕生日を祝うこともない。
「どうしました、ルキ様?」
不思議そうに見返してくるアクアマリンの瞳を見ながら、ルキは目を逸らしていた感情の正体を知る。
「鯛茶漬け、美味しいなぁって。けど、冷めてしまったな」
「本当ですね。また今度作りますね」
今日は材料ぎれなのでとベルは残りのお茶漬けを食べはじめる。
「……何回でも?」
「ふふ、そんなに気に入ったんですか? いいですよ。料理は嫌いじゃないので、別バージョンも作ってあげます」
庶民料理しかできませんけど、と笑うベルを見ながらルキは思う。
何回でも。
できたら来年も。
叶うならその先も。
ベルと一緒にごはんが食べたい。
「……やばいなぁ、勝ち筋が見えない」
「え? ルキ様が落とせない商談相手がいるんですか!? どんな案件!?」
仕事全振りのルキの交渉能力の高さを知っているベルは今後の参考に詳しくとワクワクと楽しそうな様子で、続きを強請る。
「ちょっと、難攻不落の案件があって」
詳細はまだ内緒とルキは笑う。
「進行中の案件は話せませんもんね。あ、じゃあ終わって話せるようになれば、攻略方法の立て方とプレゼンの仕方勉強させてください」
仕事の話だと食いつくベルを濃紺の瞳が優しく見つめる。
「それは、ぜひとも俺が知りたい」
さて、どうしようと首を傾げたルキは、ワクワクしますねと楽しそうな全く分かっていないアクアマリンの瞳を見ながら、とりあえずまだ時間はあるかと苦笑して、お茶漬けの残りを食べ切った。
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