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その8、伯爵令嬢とデートのお誘い。(1)

 ベルと期間限定婚約の本契約をしてから大きく変わったことが2つある。


「どうしました? ルキ様」


 自分のことをじっと見てくる濃紺の瞳を訝しむようにベルはそう尋ねる。

 言いたい事ははっきり言ってくれます? とベルに促され、


「いや、今日もメイド服じゃないなって」


 とルキはベルを見ていた理由を正直に答えた。

 変わったことその1。

 自室を除き屋敷内で常にメイド服を着用していたベルが普段着で過ごすようになったこと。

 使用人達を手伝う時はたまにメイド服を着用するが、ほぼほぼ私服でいることが多く、本日は白のフリルブラウスにハイウェストの濃紺Aラインスカート黒タイツにビジュー付きのヒールパンプスといった出立ちだった。

 

「おや〜おやおやおや? 当初あんなに私が仕着せを着る事に難色を示していたルキ様が、婚約者のメイド服姿をご所望、と」


 にやにやにやーっと揶揄うように笑ったベルは、


「やっぱりメイド服には全人類の夢とロマンが詰まっている、と言う事でしょうか?」


 ご所望なら着ましょうか? とルキに言った。


「……バニーの時も言ってなかったか、それ」


 呆れたようにため息をついたルキは、別に所望してないっ! と強めにベルに言い返した。


「バニーと言えば、感謝祭での売上好調でしたよ。期間限定販売だったんですけど、再販希望かかってるんですよ。ルキ様はバニー網タイツ派でしたね。社交界でこの件うっかり口を滑らせたら、どうなりますかねぇ」


 来年の売上増えるかなーなんて楽しそうに話すベルに対して、


「やめて。本当にやめて。マジでやめて」


 全力でルキは止める。


「そんなに怯えなくても、さすがに上流階級のお嬢様方は恥ずかしがって着ないのでは?」


 あれ大衆向けですし、バニー着た令嬢が追いかけてきたりしませんってと本気で怯えるルキに肩を竦め、


「いっそのこと醜聞流して、うーわぁ、生理的に無理って思われた方がストーカー減るんじゃないですか?」


 と助言する。


「奴らのしつこさを舐めすぎだ。あと普通に嫌だ」


 既にメイド相手に氷の貴公子がご乱心と噂を立てられたことがあるので、絶対嫌だとルキは主張する。

 そんな彼を見ながら、


『そんな性癖のルキ様を受け止められるのは私だけ』


 なんて、ちょっとヤバめなヤンデレチックのお嬢様方に囲まれて修羅場になるルキの姿を想像し、金持ちのイケメンって大変だなぁと他人事のように思ったベルは自分がごくごく平凡な人間であることに心から感謝した。


「珍しいな、イヤリングしてるの。それも商会の商品か?」


 普段着もそうだが、パーティーや夜会など着飾る必要がある時を除いて、装飾品の類をつけているベルをあまり見た事がなかったルキは、不思議そうに尋ねる。

 大きな宝石が付いているわけでもなく、普段シルヴィアや他の令嬢が身につけているものと比べても高そうなものには見えないが、ベルの耳元で控えめに揺れる花の形をしたイヤリングはとてもベルに似合っていた。


「違いますよ、これは18歳の誕生日に成人祝いにってハルがプレゼントしてくれたものなんです」


 その時の事を思い出したのかベルはへにゃっと表情崩して笑い、


「お守り、みたいなものでしょうか? ここ一番って時に身につけるようにしているんです」


 今日の商談も無事まとめてきましたと報告する。


「本当に仲がいいな」


 ベルは兄夫婦や弟のハルの事を話す時、本当に表情が柔らかくなる。

 それだけで彼女がどれほど家族を大事にしているのかが伝わってくる。


「ハルが一生懸命アルバイトで稼いだお金で成人のお祝いを選んでくれたって思ったら、すごく嬉しくて」


 宝物なのと言ったその表情がシルヴィアが大事にしているテディベアのミシェルを抱きしめる時の顔に似ていた。


「似合ってる」


 きっと、ベルにこんな顔をさせられるのは彼女の家族だけなのだろうと少しだけハルの事が羨ましくなった。


「ありがとうございます」


 ルキに褒められて驚いたように目を丸くしたベルは、イヤリングを触って嬉しそうにそう言った。



「んーさっすが、ナツさん達の作るごはん。すごく美味しい」


 とベルは本日のディナーに舌鼓を打つ。

 普通の貴族令嬢は厨房に立ち入ることなどないのだろうが、勝手気ままに出入りして度々キッチンを借りているベルは料理長をはじめとした厨房の使用人たちとすっかり顔馴染みとなっていた。


「ベルは本当に幸せそうに食べるな」


「美味しいものを食べた時って幸せな気分になるじゃないですか。まぁ、所作に気をつけて食べるのがなかなか大変ですけど」


 なのでスプーンひとつで食べられる使用人のみなさんと食べる賄いごはんも好きなんですけどねとベルは実家の伯爵家ではまず食べる事のない豪華な食事を前にそう話す。


「テーブルマナーの練習、だったな」


 変わったことその2。

 学校を卒業して以来、コース料理を口にする機会が少なくなくなったベルのテーブルマナーの練習とルキの野菜嫌い克服の名目で、可能な日はルキとベルとシルヴィアの3人で夕食を取ることになった。


「見てる分には問題ないと思うが?」


「とっても上手よ、ベル」


 2人はベルの所作をそう評価するが、


「見られる程度には、練習しているつもりです。でもルキ様たちみたいに自然な所作とまではいきませんね。常に意識してないといけませんから」


 と本人は苦笑する。

 幼少期から当たり前にそれをこなしてきたルキやシルヴィアの所作は流石名門公爵家の子息たちと思わず頷くほど洗練されている。


「こればかりは毎日の積み重ねというか、文字通り身につけるものだからな」


「そうですね。せっかくの機会ですから精進しますよ」


 これからルキについて夜会や貴族の会合の席にパートナーとして呼ばれる機会が格段に増える。

 契約とはいえ仮にも公爵家の令息の婚約者だ。上流階級のお嬢様たちと仲良くなるためにも今まで以上に気をつけなくてはとベルは気合を入れる。


「ですから、ルキ様。今さりげなく脇に避けた野菜ちゃんと食べてくださいね」


 見てますよとベルは冷ややかにルキに圧をかける。


「……常に見張られている感が」


「食べ物を粗末にする人は嫌いです。今日のごはんだって、ナツさん達が一生懸命作ってくださったんですよ。せめてその付け合わせだけは食べてください」


 見張ってるんです、とキッパリ言ったベルは、ルキに食べなさいと再度促す。


「………分かってる」


 渋々口に運んだルキが咀嚼し、飲み込んだのを見て、


「ふふ、ちゃんと食べられたじゃないですか。えらい、よくできました」


 と子どもを褒めるかのようにベルは笑う。


「……上から目線なのがムカつく」


 食べようと思えば食べられると言い返すルキにクスクス笑ったベルは、


「良かったですね、シル様」


 ルキが食べた皿を嬉しそうに見ているシルヴィアに意味深な視線を送ってそう言った。


「ルキ様も頑張ってお野菜食べていますので、シル様ももう少し召し上がってくださいね」


 とベルはシルヴィアに優しい口調で促す。

 屋敷にはじめて来た時から、シルヴィアの食の細さには気づいていた。


「そうね。もう少し頑張るわ」


 ベルに促され、シルヴィアは止めていた動作を再開する。


「ナツさん達とっても喜んでましたよ。シル様が手をつけてくれる皿が増えたって」


 ひとりで食事をしていた頃のシルヴィアはほとんど食べない子だった。それこそ手付かずの皿がいくつも厨房に戻るほどに。


「……お兄様と……ベルも一緒に食べてくれるの、嬉しくて」


 褒められてはにかんだようにそう言ったシルヴィアを見て、ベルはふいに伯爵家に引き取られる前の母のいないハルと2人だけの食卓を思い出す。

 母が自分たちを養うために仕事に行っているのだと理解はしていた。それでもお母さんと泣きじゃくるハルを宥めながら、とても寂しかったのを覚えている。


「……シル様。差し支えなければ、明日は朝食もご一緒してもよろしいですか? 休日ですから」


 いつでも厨房を借りられる許可を得ているベルは、普段は朝の早い使用人の皆さんと一緒に済ませるか、自分で簡単な朝食と昼食を調理して用意している。

 期間限定の契約婚約者が家族(ルキ)の代わりなどできるわけがないことくらい十分承知している。

 だが、できることならなるべくシルヴィアが寂しく食事を取る時間が減ればいいなと思ってしまう。


「……お昼も一緒に食べてくれる?」


 そう尋ねるシルヴィアにベルは笑顔で頷く。


「承りました。明日はお天気も良いようですし、お庭でお茶などいかがですか? 公爵令嬢であるシル様にお茶会のマナーをご指導頂けると私もこれからお呼ばれするにあたって自信を持って参加できそうなのですが」


「し、仕方ないわね! そこまで頼むならしてあげてもよくってよ」


「ふふ、では楽しみにしていますね」


 そう笑いながら、これが自分の自己満足に過ぎないことを分かっているベルは、チラッとルキの方を盗み見る。

 できるなら、彼が自分と契約している間にもう少し家族(シルヴィア)との時間に重きを置くように変わってくれないか、と思ってしまう。

 そして叶うなら、彼が将来選ぶ相手がシルヴィアに優しくしてくれる人であればと願ってしまう。

 自分にとって、義姉のベロニカがそうであるように。


「ところでベルのお皿、量少なくない? 品数も少ないし」


 不意にシルヴィアにそう話しかけられ、ベルの意識は皿の上に戻る。


「あらかじめ食べられる量で調整してもらっているので」


 ナツさん達が一生懸命作ってくれる料理を残すのがもったいなくて、と話すベルの皿を見て、


「私も、明日からそうしてもらおうかな。ナツ達に悪いもの」


 とシルヴィアはぽつりとつぶやく。

 シルヴィアもいつも気になっていた。この残された料理がゴミ箱に行くのだと思うと、何となく苦しいと思ってしまう。

 だけどどうすればいいか分からずに、いつも手付かずの皿を見送っていた。


「じゃあ明日からはシル様の分も調整するように頼んでおきますね」


 食べられる量が増えたらその都度調整しましょうね、とベルは優しく笑う。


「明日も、みんなでごはん食べられるのよね」


「ええ、約束です」


 嬉しいとはにかんだような笑顔を浮かべ、一生懸命頑張ってディナーを食べるシルヴィアを見ながら、天使かっとつぶやいたベルはマナーレッスン中でなかったら抱きしめるのに、と内心でシルヴィアの可愛いさに悶えた。

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