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その7、伯爵令嬢と本採用。(1)

 もうすっかり馴染んでしまったベルの部屋と化した物置き部屋で、むすっと不機嫌な顔をしたベルから、


「と、言うわけで。早速ですけど、サイン頂けます?」


 とぞんざいにペンを渡されたルキは契約書のサインを迫られていた。


「……とりあえず読む時間をもらえないだろうか? "と"から"サイン"まで2秒しかないんだけど」


 そこに記載されていたのは、契約婚約をするにあたっての取り決め事項。

 ルキはざっとその内容に目を通しながら、


「ベル、機嫌悪いな」


 と本日帰宅してからずっと不貞腐れたままのベルに苦笑気味に話しかけた。


「べっつにぃ〜ぜんっぜん絶好調ですよ? ただ模擬コンペで私のことを完膚なきまでに叩き潰した優秀な次期公爵様ならその程度の契約書なんて2秒で読めるんじゃないかなって思っただけで」


「……八つ当たりかよ」


 むぅっと拗ねているベルに苦笑しながら、ルキは書類の詳細を読んでいく。そんなルキの様子を見ながら、


「……違います。まだまだだな、って自分の詰めの甘さを痛感しただけです」


 ベルは少しバツが悪そうにそう言ってため息をついた。


 先日ルキにハルと共に招待された外交省のオープンイベントに参加した。

 次年度の採用に向けたPRイベントだから気軽に参加していいと言われ、模擬コンペがある事を知ったベルはこの1年で培った実力を試すべく今回事前課題をこなし万全を期して挑んだ。

 が、まさか外交省のトップクラスの成績に名を連ねるルキが出てくるとは思わなかったし、当たり前のようにルキは全票掻っ攫っていった。

 自分との実力の差をまざまざと見せつけられたベルは、その日からずっとその時の光景が頭から離れず、上手く気持ちを切り替えられずにいる。


「手加減して欲しかった?」


 頬杖をついてニヤニヤ笑うルキに、


「いえ、非常にためになりました」


 参りました、とベルは両手を上げて素直に降参を示す。


「ルキ様の資料、すごく分かりやすくて、無駄がなくて、プレゼンの内容も引き込まれました。あれで誘致できないなんて事はないでしょうね。本当、悔しいくらい、歯が立たなかった」


 ベルは先日のルキの模擬コンペでの様子を思い出す。彼が前に立っただけで会場の空気が変わった。

 ルキのプレゼンはどうすれば効果的に相手に伝えられるのか、その魅せ方を熟知したもので、メッセージ性とメリットに重点を置いた自分のプレゼンなんて、遠く及ばない出来だった。


「それはどうも。ベルのも充分良くできてたよ。普段取り扱う分野とは違うのに、よく考察できていたし、端的にまとまってたよ。まぁちょっと勢いで推し過ぎ感は否めないけど」


 ベルが机に置いて反省点を振り返っている先日の資料を引き寄せたルキは、


「ココとココ、説明の順番を入れ替えた方が聞く側としてはすっきりする。あとは、ここはこの資料をつけた方がいいし、数値はこっちを示す方がいい。図式はこっちの奴ね。色彩の使い分けはこのままでいいと思うよ。あと俺なら追加で、前年度比較も手持ちで用意するな」


 さらさらさらっとベルの資料を添削して追加記載して見せた。


「と、まぁ修正するならこんな感じ?」


「ありがとうございます。すごく勉強になります」


 素直に添削の礼を言ったベルは、


「でもまさかルキ様が模擬コンペに参加されるとは思いませんでした。イベント関係には出ないと聞いていたので」


「まぁ、普段は。俺が出たら圧勝なの分かりきってるし」


「え? 殴っていいですか?」


 自信過剰なナルシストなんか滅べばいいのにと、とても可愛い笑顔で表情と一致しないセリフを吐くベルに、


「誰がナルシストだ。ただ、ベルが出るだろうと思ったから、せっかくなら技術指導のひとつくらいしてやろうかって、思っただけで、別に他意はない。同じ題材の方がアドバイスもしやすいし……って、どうしたのベル?」


 口元を両手で押さえてルキの事をガン見しているベルに、ルキは訝しげに声をかける。


「発想がまともっ。今、仕事中じゃない上にここは職場でもないのにっ!!」


 ベルがとても感動したような声をあげてそう言ったので、


「……………は?」


 ルキは思わず固まってしまった。


「どうしたんですか!? お屋敷では普段ポンコツでしかないルキ様がマトモな事を言ってらっしゃる。え、今から台風でも来るんですか? それとも氷の貴公子らしく、雹とか霰とか降らせちゃうんですか!?」


 えー今から私用事あるのに、どうしましょうと言いながら、ベルは窓の外の快晴の夏空をチラ見する。


「……ベル、褒めるなら最後までちゃんと褒めろよ」


 せっかく指導したのに、と不服そうな顔をするルキに、


「いや、だってルキ様仕事特化型で、普段がびっくりするくらいアレなんで」


 しれっとベルはそう言った。


「アレってなんだよ!?」


「え? はっきり言葉にしていいんですか?」


 せっかく濁したのにと残念な子でも見るような目で、マジで? と聞き返す。


「とりあえずその憐れんだ目止めて。地味に傷つく」


 言わなくていい、とそっぽを向いたルキに、


「ふふ、大人なのにすぐ拗ねる。本当、シル様と良く似てますね」


 いつもの調子を取り戻したように、ベルはそう言って笑った。


「似てるか?」


「本質的なところが、とても良く。ルキ様もシル様も結局、悪役にはなりきれないんでしょうね」


 2人とも意地悪苦手そうですとベルは微笑ましそうに指摘する。


「それで、どうですか? 気になるところはありました?」


 最後まで目を通したルキに、ベルはそう尋ねる。


「契約の解除事項について」


 トンっと指でさす。


公爵家(おれ)からの申し出で契約期間内であれば即時解約、つまり契約継続中に婚約破棄がいつでも可能、というのはベルにとってあまりに不利じゃないか?」


 いいのか、コレ? とルキは不思議そうに前回との相違を指摘する。


「いいんです。私は可能な範囲でツテを作っていきますし。少しずつ、顔馴染みもできてますしね」


 その代わり、とベルはとても真面目な顔でルキの方を見て、


「ルキ様はこれからの9ヶ月、私が風除けをしている間に少しでも女性恐怖症を克服できるように女性に慣れつつ、少し離れた所からでいいので将来の伴侶になれそうな方を探してください」


 そしてもしいい方が見つかったらすぐに私とは婚約破棄しましょう、と静かにそう告げた。


「俺は今すぐ結婚する気は」


 知っています、とベルは深刻そうな顔をするルキに頷き、でもこのままではダメだとあなたが一番よく分かっているでしょ? と嗜める。


「ルキ様は、相手に寄って来られるとダメでしょう? だから、自分で探しに行ってください」


 相手をゆっくり探せる機会なんて、自分が風除けしている間だけかもしれないなとベルは前回のパーティーを思い出し苦笑する。


「まぁ、ルキ様相手で公爵家との縁組なんて、よっぽどの変わり者でなければ受けてくれると思いますし」


 なので頑張って良い人見つけましょうと、ルキに将来の嫁探しを推奨する。


「……ベル、今まさに俺の目の前に公爵家との縁談潰そうとしてる変わり者がいるんだが?」


 変わり者ってブーメランだけど、ベル的にそれはいいのかと呆れた口調でそう言うルキに、


「早々に変わり者に当たって良かったですね!! "よっぽど"なんで、多分他にはいないですよ!」


 ぐっと親指を立てて、おめでとうございます、あと安泰ですね! とベルは笑い飛ばした。

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