番外編 はつこいのひと2
「大丈夫だ、エデル」
「おとうさま」
こわばる娘の肩に、父がそっと手を添える。
よく周囲からは悪役顔だとか死神みたいなんて言われるけれど、男手ひとつで自分を育ててくれた父の、この大きく温かな手が、エデルミラは大好きだ。
よしよしと撫でられていると、まるで魔法のように緊張が解けていくのだから。
「だけど、もし……」
言い淀み、エデルミラは悲しげに目を伏せる。
実はエデルミラには、人前で魔術を披露したくない、ある理由があるのだ。
だが、父は跪いて娘と視線を合わせると、まっすぐに両目を覗き込んでくる。
「大丈夫。前に言っただろう。いつかこの父以外に、お前のことをわかってくれる相手が必ず現れると。お前のことを理解しない連中のことなど、気にしなくていい」
「おとうさま……」
「それにこの日のためにたくさん練習もしてきただろう。だから、今日は思いっきり楽しんできなさい。お父さまはここで、お前を見守っているから」
「はい……! エデルは、がんばってまいります」
エデルミラは俯くのをやめて顔を上げた。
父の言う通りだ。
悩んでも何かが解決するわけではない。だから前を向いて、自分のできる精一杯の魔術を披露するのだ。
「よろしくおねがいいたします」
審査官にぺこりと頭を下げると、地面に描かれた白い輪の中に立つよう指示される。
何かと問い掛ければ、魔道具や外部の魔術などの力を無効にするための魔術陣だと答えられた。
なんでも去年と一昨年、総魔力量を多く見せたいがために相次いで不正が起こったらしく、それを阻止するため今年から新たに導入した措置らしい。
(ど、どうしよう……)
それを聞き、エデルミラは人知れず動揺してしまった。
なぜなら今、自分の首に下がっているネックレスには、父が魔術によって『ある細工』を施していたからだ。
巧妙に隠すよう術を施したため審問官には気づかれなかったようだが、これがなければエデルミラはとても困ったことになってしまうのだ。
だけど、ネックレスのことを打ち明ける訳にもいかず、そのまま魔術陣の中へ促されてしまう。
「さあ、アンドラーデ公爵令嬢」
「わ、わかりましたわ」
こうなったらもう、腹をくくるしかない。
目を閉じ、深く深呼吸を繰り返し――そして再び目を開けると同時に右手を正面にかざし、こう唱えた。
「ヘリアーノス・アル・アノス」
その瞬間、エデルミラの右手から膨大な光が吹き出し、大きく周囲へと広がった。
繰り出された魔術に、その場にいたほとんど誰もが言葉を失い我が目を疑う。
呪文詠唱を短縮するだけでも大変なことだというのに、それをまだたった四歳の女の子がやってのけたのだ。
「不正か? あんなこと、子供にできるはずがない」
「しかし、あの魔術陣は魔術院の上級魔術師が施したもの。不正など不可能では」
「では、あれがアンドラーデ公爵令嬢自身の実力だとでも言うの!?」
大騒ぎする人々の前で、洪水のように限りなく溢れる光はやがて鳥の形となり、ピィィと甲高い声で鳴きながら羽ばたきを始めた。
羽ばたきが巻き起こす強い風によって貴婦人たちのドレスは大きく捲れ、紳士たちの帽子が飛んでいく。
彼らの悲鳴を聞き、エデルミラは慌てて右手を振った。たちまち鳥は霧散し、光の粒となって消えていった。
「な、なんと恐ろしい力だ」
「いくらアンドラーデ公爵家が魔術の名門だとて、あれは――怪物ではないか」
「お母さま、あの子怖いわ……!」
敵意、奇異、恐怖、侮蔑。課題を終えたエデルミラに、人々は冷たい眼差しを向ける。
ヒソヒソと囁き合う言葉はどれも鋭く、小さな少女の心を残酷に抉った。
(ああ、やっぱり……)
エデルミラは魔術陣の中で一人、泣きそうになった。
エデルミラ・アンドラーデという娘は生まれつき、規格外の魔力の持ち主であった。であるがゆえに、かつてエデルミラは魔力の暴走によって人を傷つけたことがある。
父はお前のせいではないと言ってくれたし、相手がエデルミラを誘拐し、傷つけようとした結果の正当防衛でもあったことから、大ごとにはならなかった。
それでも、そうは思わない人も大勢いる。
『気味が悪い』
『悪魔の子ではないか』
『アンドラーデ家は、悪魔に生け贄を捧げて魔力を高めているに違いない』
自分のことだけならばまだいい。だが、自分のせいで父までもが悪く言われることが、エデルミラにとっては何より辛いことだった。
傷つき、落ち込み、食事すらままならなかった娘に、父は魔力封じのネックレスを贈った。
今、エデルミラが着けているこのネックレスがそうだ。総魔力量の半分ほどを抑え込む為の魔道具で、魔力の暴走を阻止することもできる。
『力を抑え、隠すことが正しいこととは思わないが、それでお前が安心するのならこれはお守りのつもりで常に着けていなさい』
父はネックレスを渡す際、エデルミラにそう言った。
次にまた同じことが起こったらどうしようと心配する娘のために、何日もかけてこのネックレスを作ってくれたのだ。
そして父は、こう続けた。
『大丈夫。いつかお前のことを心から理解し、愛してくれる相手がきっと現れるから。そしてもしその人が現れたら、心の底から愛し、大切にし、お前のすべてをかけて守り抜きなさい』
(だけど、そんなひとはもうぜったいにあらわれないかもしれないわ……)
この場には、優秀な魔術師を多く輩出してきた家系の者も多くいる。それなのに、誰もがエデルミラを、化け物でも見るような目で遠巻きに見つめているのだ。
好きで強い力を持って生まれたわけではないのに。
自分は何も、悪いことをしていないのに。
悲しくて悲しくて、とうとう目頭から涙があふれ出しそうになった。しかし、その時。
「君、すごいね!」
朗らかな声と共に、ひとりの少年が頬を紅潮させ、興奮した様子でエデルミラの側へ走ってやってきた。
「あなたは……」
「王太子殿下、危のうございます!」
後を追いかけてきた護衛が慌てて止めようとしたが、少年は聞く耳を持たない。
彼はエデルミラの両手を取ると、感激覚めやらぬ様子でぶんぶんと上下に振った。
「初めまして、アンドラーデ公爵令嬢。僕は王太子シルヴィオ」
シルヴィオ・ロス・カレンディナ。現イスタリア国王の第一子で、王位継承権第一位の王太子。
彼はその名の通り月光を紡いだような銀色の髪に、きらきらと朝露を纏った新緑のごとき瞳を持った少年だった。
なんて綺麗な男の子なのだろう。
絵本に出てくる王子さまより、宗教画に書かれた神より美しいその姿に、エデルミラは挨拶も忘れて見とれてしまう。
「あんなに大きくて格好良い鳥、初めて見たよ! まるで〝イストリア建国史〟に出てくる、伝説の女神の遣いみたいだった! 公爵令嬢は僕より小さいのに、すごい魔術師なんだね」
「あ、ありがとうございます……。あの、エデルミラってよんでください。おうたいしでんか」
「じゃあ、僕のことはシルヴィオって呼んで!」
その迫力に圧倒されつつも、エデルミラの胸にはじわじわと喜びがこみ上げてきた。
誰もがこの力を忌避し、陰口を叩く中、シルヴィオはただ純粋な賞賛を口にし、まっすぐにエデルミラを見つめて笑ってくれるのだ。
「僕、君と仲良くなりたいな。――そうだ、父上!」
そう言うと、彼は勢いよく国王のほうを振り向いた。
高座に腰掛けたまま困惑顔の父に、シルヴィオはエデルミラと手を繋いだまま、弾む声で告げる。
「エデルミラを僕のお嫁さんにしてもいいですか?」
無邪気なその発言は、その場にいた人々に大いなる衝撃を与えた。
「な、なんですって!?」
「アンドラーデ公爵令嬢が殿下の婚約者になるということ!?」
「殿下、どうかお考え直しください! その娘より、我が娘のほうが婚約者として相応しいに決まってます!」
誰もが口を揃えてシルヴィオの発言を否定する。しかし当のシルヴィオはそんな声に耳を貸すこともなく、ただ父王にだけ話しかけ続けた。
「僕のお嫁さんになる人は優秀な人がいいって、前に父上と母上は仰っていたでしょう? それに、エデルミラと一緒だったら、きっと毎日楽しいと思うんです」
まだ幼いシルヴィオにとって、政略だとか駆け引きだとか王族の義務だとか、そういう難しいことはまだしっかり理解できないのだろう。
おそらくは婚約者というより、一生一緒にいてくれる友達を作るような感覚なのだ。
それはもちろんエデルミラにとっても同じで、だからこそ、王太子が自分を選んでくれたという事実が無性に嬉しかった。
「父上、駄目ですか?」
「――うむ。お前がそこまで言うなら、よかろう」
息子の問いかけにしばらく沈黙した後、国王は厳かにそう告げた。
陛下、と抗議するような声があちらこちらから上がったが、彼は手を上げてそれを制する。
「本日より、エデルミラ・アンドラーデ公爵令嬢を王太子シルヴィオの婚約者とする。他ならぬ王太子の希望だ。皆も、今後はアンドラーデ公爵令嬢を未来の王太子妃として丁重に扱うように」
「やったぁ! 嬉しいな。これからはずっとずっと、エデルミラと一緒にいられるんだね」
「ずっと?」
「そうだよ、ずっと。僕たち、大人になったら結婚して、家族になるんだ」
無邪気なその言葉に、エデルミラは嬉しさのあまり頬を赤らめて何度も頷くことしかできなかった。
自分の力を忌むこともなく、ただ純粋にきらきらと目を輝かせて『格好良い』と認めてくれた、初めての相手。
(おとうさまのおっしゃっていたことは、ほんとうだったんだわ)
『大丈夫。いつかお前のことを心から理解し、愛してくれる相手がきっと現れるから。そしてもしその人が現れたら、心の底から愛し、大切にし、お前のすべてをかけて守り抜きなさい』
父に言われた通り、これから先、エデルミラは何があってもシルヴィオを大切にするだろう。
それは恋とか愛だというにはあまりに幼い感情ではあったが、その時確かにエデルミラの心には、シルヴィオに対する特別な想いが生まれたのであった。
「そうだ。今度王城においでよ。建国神話の特別な絵本があるんだ。君にも見せてあげる!」
「うれしいですわ。わたしも、ばあやがやいてくれた、とくべつなクッキーをもっていきます」
「じゃあ、お庭で一緒にお茶会をして、バラ園を散歩しよう! いつがいい? 今度のお休みの日とか――」
一方、無邪気に言葉を交わす子供たちを前に、密かに胸を撫で下ろしていた人物がいた。
イスタリア王国現国王、ベルナルド八世だ。
(お、お、恐ろしい力であった……! あのような力を持つ娘が我が国に存在していたとは……)
実はこの国王、先ほどエデルミラが魔術を披露してからというもの、震えが止まらなかった。
なんとか平静を装ってはいたものの、内心すぐにでもこの場から走り去りたい気持ちであった。
ただ、腰を抜かしかけたせいでしばらく椅子から立てそうにないが。
(アレが牙を剥けば、我が国は簡単に滅んでしまう! シルヴィオがああ言ってくれて、本当に助かった……)
王太子の婚約者として手元に置いておけば、ごく自然にエデルミラを監視下に置くことができる。
あのような逸材、もとい危険人物がもし他国の手に渡りでもすればと考えると、生きた心地がしない。
逆に、アンドラーデ公爵令嬢がシルヴィオと仲睦まじく過ごし、王太子妃となってくれれば、これ以上安心なことはない。
幸いにしてシルヴィオは親の目から見ても大変な美少年であり、いずれ成長した際、エデルミラが彼を愛するようになる確率はかなり高いように思えた。
後は常日頃より、婚約者を大切にすること、誰より婚約者には優しくせねばならぬということを教えこんでおけばよいだろう。
(シルヴィオ、不甲斐ない父を許してくれ。だが、王とは何より第一に国を守らねばいかんのだ)
楽しげに会話する息子とエデルミラを遠い目で見つめながら、ベルナルド八世は密かに、息子を人質として差し出す決意を固めたのだった。
――それから十年後、シルヴィオは公衆の面前でエデルミラとの婚約を破棄しようとするのだが、この時の国王はまだ、そのことを知らない。




