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02.

「お、お待ちください!」


 するとそれまで黙ってシルヴィオの影に隠れていたダフネが、慌てたように前へ躍り出た。


「シルヴィオさまとわたしは愛し合っているのです! エデルミラさまには悪いと思っていますが、どうかわたしたちのために身を引いてくださいませ! シルヴィオさまもそれを望んでいます!」


 物言いこそ丁寧だが、要は「お前は愛されていないのだから邪魔せず引っ込んでろ」ということである。

 普通の令嬢ならば怒りに打ち震えて我を忘れるか、あるいはショックのあまり気絶するところだが、あいにくとエデルミラ・アンドラーデは普通の令嬢ではなかった。


「大変申し訳ございませんが、それはできませんわ。『黄金の指』のイサドラさま」


 エデルミラがそっと耳打ちをすると、ダフネは目に見えて慌てた。


「なっなっなっ、なんのこと!? そんな名前の娼婦なんて知らないわよ! わたしはレオンティカ男爵家の――」

「まあ。わたくし、娼婦だなんて一言も申し上げておりませんのに、よくお分かりになりましたわね」


 悪びれもせず微笑むエデルミラに、ダフネがまなじりを釣り上げ顔を真っ赤にする。

 親の仇のようにエデルミラを睨みつけるその姿は、先ほどまで大人しく男の影に隠れていた少女と同一人物とも思えない。 


「……ふふ。実は全部知っておりますのよ。あなたが娼館で働いていたことも、その手練手管でレオンティカ男爵を丸め込んで養女という名目で愛人に収まったことも。もっと身分の高い殿方を捕まえる目的で、社交界へ頻繁に出入りしていることも、ぜーんぶ、ね」

「な、アンタ一体――」

「驚かせてしまいましたかしら? わたくし用心深い性格ですの。ですから、大切な婚約者の周りにいる人間のことは、すべて調べておりますのよ。そう、あなたの体にあるホクロの数さえもね」


 真っ赤に染まっていたダフネことイサドラの顔が、今度は血の気を失って紙のように白くなる。


「な、何よ……わたしのこと脅そうたって、そうはいかないわよ! わたしは王太子妃になるんだから! そうなったら、アンタなんて国外追放してやるわ!」

「そう? それでは――」


 エデルミラは優しく目を細めると、扇の先でイサドラの顎を微かに持ち上げた。

 そして真っ直ぐにイサドラの目を見つめながら、にこやかに問いかける。


「あなた、ダンスは踊れて?」

「――は?」

「刺繍は? お歌は? 楽器は? 乗馬は? 国内の貴族の紋章は覚えてらっしゃる? 外国語は何ヶ国語話せますの? お茶会や夜会を主催したご経験は? わたくし以上に、殿下のお役に立てる自信はおありですの?」

「な、ないわよ。バカにしてるの!? 生粋のお嬢さまでもあるまいし、そんなことできるわけないじゃない!」


 育ちを指摘されたと思ったのだろう。イサドラが金切声を上げ、エデルミラの手ごと扇を振り払う。

 扇は床に落ち、カタンと小さな音を立てた。

 それでもエデルミラは動じない。落ちた扇になど見向きもせず、なおもイサドラに問いかける。


「そう。そうですわよね。それでは、命を賭して殿下をお守りする覚悟は? 殿下を守るためなら、自分の命さえ投げ打っても構わないという信念は?」

「はぁ!? 意味わかんないわよ! そんなの、護衛のする仕事でしょ!? わたしには関係ない――」

「わたくしにはございますわ。この体は、命は殿下のもの。殿下が望むなら両の目をくり抜いても、爪を全て剥がしても、心臓を差し出しても構わない。だってわたくしは、殿下を愛しているから」

「ア、アンタ、おかしいわよ……狂ってる。そんなの、愛じゃなくてただの執着じゃない!」


 そこで初めて、エデルミラの顔から微笑みが消えた。

 赤い瞳からは一切の温度が失せ、凍てつくような眼差しへと変わる。


「わたくしは殿下の婚約者で居続けるためなら、なんでもする覚悟ですの。それを執着と呼びたいのなら、勝手に呼べばよろしいですわ」

「な、なんでもって……わたしを脅す気? 何をするつもりなの?」

「愛のためなら、人はどこまでも残酷になれますのよ」


 多くは語らずとも、剃刀のように鋭く冷ややかなその言葉は、イサドラの想像力を大いに刺激したことだろう。

 彼女は小さな悲鳴をあげて飛び上がると、次の瞬間には身を翻しながら叫ぶ。


「じ、辞退します! わたし、王太子殿下の婚約者にはなりません! だから見逃してください!」

「ダフネ!? 待ってくれ、一体どうして――」


 突然広間を飛び出していったイサドラを、シルヴィオが慌てて呼び止める。

 彼は一瞬詰るような厳しい眼差しをエデルミラへ向けたが、すぐにダフネの後を追いかけていってしまった。


 広間には、唖然とした国王と招待客。そして、悠然と微笑むエデルミラが残される。


「お騒がせして申し訳ございませんでした、陛下。皆さま。どうやらダフネさまは、王太子妃となる覚悟ができていなかったようですわ」

「で、では、我が息子と其方との婚約は――」

「わたくしも、殿方の一時の気の迷いを許せないほど狭量な女ではございませんわ。それに何より、愛する殿下と離れるなんて考えられませんもの」


 たった今の出来事でエデルミラが機嫌を損ねていないかと、恐る恐る様子を窺っていた王は、その答えにあからさまに安堵した。


「そうか、そうか。うむ、それは何より。王太子は寛大な婚約者を持って幸せ者だ。皆もそう思うだろう」


 そして自身の言葉を受け、貴族たちが口々にエデルミラを褒め称え拍手する様子を見ながら、密かにため息をつく。

 ――アンドラーデ公爵令嬢が、シルヴィオに心底惚れていてくれて本当に助かった……と。


 古くは王族にもつながる名門アンドラーデ公爵家は、魔術に秀でた者の多い家系である。

 それゆえに王家は縁談という形でかの家を監視下に置き、国家にあだなす存在とならぬよう見張ってきた。

 そんな王家にとって、アンドラーデ公爵家との縁談は何より重んじるべき大切な約束であった。


 それだけではない。

 実はこのエデルミラという令嬢、公爵家歴代の魔術師の中でも魔力の保有量が非常に多く、稀代の天才魔術師として国家転覆すら狙えるほどの逸材なのである。

 そんな有能――もとい超危険な人材を、王太子の気まぐれやわがままで手放すわけにはいかない。


「シルヴィオには悪いが、あやつには犠牲となってもらわねば……」


 エデルミラ・アンドラーデと言う怪物をこの国に繋ぎ止めておくための、いわば生贄として。


「アンドラーデ公爵令嬢がシルヴィオを愛する限りは、この国の安全は保たれるに違いないからな……」


 国王の独り言のようなつぶやきは拍手に掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。

お読みいただきありがとうございました。

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