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熱狂

作者: 乾草葡萄

 時間だ。どうしようか。どうしようか。いったい何を話せばよいだろう。いや、それは決まっているじゃないか。

 こうして演説の前、一人個室で待機する時間には、昔を思い返すことにしている。自分でもくだらない人生だと思うが、それなりに苦労も成功もしてきたので、他愛のないことでも若い人に聞かせると、存外の反響を呼ぶこともあるからである。

 もう何十年前だろうか。私は何かがおかしいと思った。当時、世の中はどうもくだらない連中ばかりである。つまらぬ欲望と偽善の中で、快楽を求めて日々を過ごす方々。なんてダメで、卑しく、馬鹿なんだろう。そして、そんなくだらない方々にさえ適応できず、根拠なく見下しさえし、そのくせ自分は空虚な妄想ばかりで一日を満たしていく私のような人間は、社会に巣くう大悪党、なんと醜く見えただろう! 

 正常なる世間はやはり、間違いなく狂っており、早晩に現在の秩序は崩壊していくという確信があった。だが、私もまた狂っており、これまた間違いなく、世の中が破綻をきたす前に臨界を迎え、どうしようもないくなるだろうこともまた、確信であった。それに抗おうと、くだらない発想は嘘のように流れ出たけれど、寄りまとめる為の芯が、私の頭にはなかったので、ただ流れ落ちただけだった。

 いつも私は思想を、己を献げるイデオロギーを探していた。家庭も人種も理想もあいまいな私には、それを見つけることがまず、人生の重大な目標だった。様々な人に出会い、働き、分厚い本を読み漁りそして語らったが、そのいづれにもそのうち奇妙な違和感を覚え、私の方から別れていった。


 「あの……お時間が迫っておりますが、ご気分でも悪いので?」

 いつの間にか、いやに真面目な顔をした、神経質そうな若い男が立っていた。どことなく、昔の私に似ている。

 「いや、大丈夫だ。すまないね、少し考え事をしていたもので。……君は今、元気かね?」

 青年は先ほどまでの悲しい顔を変えず、しかし少し困惑した様子で答えた。声はずっと小さくなった。

 「はい、体調はすこぶる良好であります。なによりお顔を拝見でき、心底感激しております。なにより私のような者のことまで気にかけて頂き、なんと申し上げて良いかわかりません」 

 「そうか、それはよかった。では行こうか」

 いまはこんな他愛ないやりとりだが、かれは今晩にも、私の質問の持つ、真意について考えるだろう。己が身体は健康か、精神は平静で快活さを失っていないか。彼には、今しばらく考えることが必要だろう。そうして、こんな場所に出入りすることは、もう止めるべきだ。

 控え室を出ると、国中から選りすぐった屈強な男達に囲まれ、例の演台に連行される。もう泣き叫ぼうが何をしようが、逃げることをはできない。ただ、眼前に広がる一面一色の大衆に、語りかけてやらなければならない。内心待ちくたびれていただろう彼らも、私の登場を見て色めきだち、私はやはり怖くなった。


 「諸君!」

 拡声器で限界まで膨れたこの声に、彼らは阿呆だからか黙る。今度は、とても悲しい。

 それからはもう、喜劇だった。私は早口で、馬鹿のようにまくし立て、それを聞いた彼らは大歓声をもって答えた。明らかに私がおかしい、筋の違うことを言っても、彼らは大いなる拍手を持って答える。

 なんなんだだこいつらは、やはりどうしょうもない。いつの世でも屑どもばかりじゃないか。怒りに身を任せ、私の演説はさらに激しく、要領を得ない、感情的なものへ変わった。だが、彼らの目には、より一層扇情的で、熱血を込めた演説と写ったらしい。もはや抑えがたい興奮極まった様子で大声をあげ、その通りだ、あなた様についていきます、万歳、万歳、祖国の英雄万歳、などと叫んでいた。

 「我らはいまこそ!!」

 この一言に、彼らは盲目の服従を決め込んでおり、興奮と歓声で答えるのが習わしであるらしい。

君たちは、本当に何か考えているのか?これだけの人間が集まれば、一人、いや百人くらいは、反論する奴がいても良いはずだ。私の思想は、たしかに貴重なものであるけれど、どこか狭量であり、暴力的で、正常な考えからは間違っている。私はそれを嫌と言うほど悩み、それでも、この醜い息子に、一生を捧げようと決心した。これは思想における、私の大敗北であった。 

 作り手さえ疑うものに、なぜ正常な人々であった君たちが、そんなにも熱狂するんだろうか。彼らは与えられた料理をむさぼるように、何を信念としようとどうでも良く、ただ腹さえ膨れていればよいのだろうか。そんな奴らが、まるで私を同輩のような眼差しで崇め、ええ、あなたの苦悩はわかります、私もそうでしたからなどと宣う。私はいよいよ彼らが憎くてたまならくなり、声かさえ怪しい音で狂った。


 「諸君らに問おう!信じる義、正しき思想とはなんであるかと!」


 彼らは、一斉に、私の名を叫呼した。これが演説の絶頂であり、終わりであった。

思想的に、ファシズムを美化・翼賛するものではありません。念のため。

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