第四話・旅立ち
小狡い顔つきの男は片手に魔剣を持っているが、アントンは我が身と顧みてあまりにもおかしいと感じていた。この男は言動の全てを魔剣に握られてしまっている。
「シシシ…来いよ。ローブも持ってきた。今のうちだ」
「そんなに便利ならそのままソイツでいたらどうだ」
「シシッ! 簡単に手に入るものは価値が低かったりするだろう? 強靭な精神を持っているからこそ、俺達は俺達になれる。つまりは質だよ」
「訳がわからん」
この珍奇な剣がまだ付いて回る代わりに、脱出を手伝ってくれるというのだ。アントンとしては背に腹は代えられないといったところだ。
渡されたローブは質はそこそこだが、染み付いた煙の臭いがプンとした。日頃使っているボロ布に比べれば随分とマシだが、状況を考えれば途中で捨てなければならないだろう。
「ここは冒険者とかいう連中の寂れたたまり場だ。地下倉庫はあの三人組が勝手に使ったから、そうそう口には出さんだろうな」
「寂れているといっても、足音から客は何人かいるだろう。早いうちに出たほうがいいな……なぁその男の意識とか精神はどうなっているんだ?」
「寝ているというよりは気絶していると言ったほうが正解かな? いきなり乗り込んできた客と頭をぶつけてしまった感じだ。普通はこうなる。俺達だけが特別なのさ。特殊かもしれないが」
階段を登り、木製の扉を開ける。魔剣は寂れていると言ったが、それなりの人数がそこにいた。その中をローブで頭まで隠して、アントンは堂々とできているかどうか気にしながら歩いた。幸い、地下よりも酒場のようになっている一階の方が狭く、上手く外に出ることができた。
「あとはコイツとローブを適当なところで解放するだけだ。その時、自分を投げるから拾って帰ってくれ」
「……まぁどうせお前は帰ってくるしな。分かった、やろう」
直線になっている目立たない路地を見つけると、冒険者の肉体は剣を投げた。直接掴むような真似はしないが、アントンは地面に転がった剣を拾うと走って逃げた。
(シシシ……やはり、ここの方がいいな。俺達だから当然だが)
(俺はこの先が憂鬱だよ)
冒険者は最近耳にするようになった存在で、詳しくは知らない。しかし、組織という以上はある程度の連帯感はあるはずだ。
この連中がしつこく追ってくるのなら、くず鉄拾いは廃業だ。かといって殺したところで、アントンの牢屋入りは免れない。街の端にある湿った地下への階段を思い出して、アントンは身震いする。
最も恐ろしいのは冒険者という組織自体に報復されることだ。あの三人を排除したところで、何も変わらないことになる)
(だけど。サニーとジミーがいる以上、金が必要だ)
(だったら送れば良い。さっきのやつの頭から随分と常識を学んだ。武器と肉体があれば、なれる職業があるだろう?)
(兵士か?)
(それは簡単にはなれないし、俺達が離れ離れになるだろう。傭兵さ。今はどこでも重宝されるらしいぞ……あの連中も傭兵が増えてきて、仕事がなくなったからこの街に来たんだ)
(お前は剣より似合いの姿があったんじゃないか? しかし、傭兵か……考えたことが無かったと言ったら嘘になるな……)
ピンカードがかつての戦場なら、今は新しい戦場がある。といっても本格的に戦争が始まっているわけではないが……アントン達が住む国、エルドヘルスは西のキスゴルと緊張状態にある。
キスゴルは騎馬を主体とした国であるため、エルドヘルスは物量で対抗せざるを得なかった。そのため傭兵をして、故郷に仕送りする半ば徴募兵のような人々は多い。
アントンがこれをしなかったのは、自分が死んだ場合に送金が途絶えてしまうからだった。しかし、現状では街にいても問題を起こすだろう。孤児院に直接嫌がらせをしそうな冒険者達を思い出し、アントンは憂鬱になった。
アントンは人を殺したことがない。だが、できるだろうことは知っていた。献身的な孤児院への恩返しなどは、見方を変えただけで途端に偏執的とみることができる。それでいて街の住人にはタニヤを除いて、特に関心はない。鍛冶屋の老人にさえも。
年齢的にみても、孤児院からはもう出ていく時期だ。アントンは腹をくくった。
「そうかい、そんなことが……」
「すみません、シスター。俺が不用心でした」
夜、サニーとジミーが眠ってからアントンは孤児院のシスターに事情を説明していた。魔剣のことは必要もない情報なので混じえていない。
「なにを馬鹿な。あんたはこれまでで、一番良い子だった。その優しさに甘えすぎていたのは、私達のほうさ。男の子ならとうに出ていって梨のつぶてさ」
「仕事が軌道に乗ったら、仕送りをします」
エルドヘルスの配達人は誠実であることで知られている。もっとも、命がけで働いた金を着服したりすれば、死を持って償わせる法と労働者の誓いが影響はしていた。
「その前に、これを。当面の間しのげるはずです」
「これは……」
アントンはシスターの前に麻の大袋を置いた。中身は全て銅貨だ。くず鉄拾いで銀貨にならなかった分を、いざという時のために貯めておいたものだ。まさに今がそのいざという時だ。
「ヤーバードよ……貴方はこんな優しい子にも試練を課しなさる……」
「シスターがそんなことを言うのもおかしいし、俺もそんなにだいそれた優しさなんて持ってませんよ。ただ、サニーとジミーに自分のような思いをさせたくないだけです」
くず鉄拾いを始めたばかりの頃、アントンは惨めだった。寝る時間を削って、食物を買うだけで一日が終わった時期。悪党に頭を下げて、許可を貰って泥を漁るのは子供心にも屈辱だった。
だからこそ、アントンはこれからの生活に苦い味を覚えはしても、怯まない。決して死なずに生まれ育った家を助け続けるのだ。
「明日、発ちます。この手紙をタニヤに渡しておいてください」
「分かった。でも死ぬんじゃないよ」
傭兵をやるとまでは言っていなかったが、シスターにはお見通しだった。男が剣一本でやれる仕事なぞ限られている。
アントンは頭を下げて、孤児院での最後の夜を過ごした。薄い毛布、硬いベッド。そう悪くなかった。
翌日、朝一番の列でアントンは出立した。食料と、ローブ代わりの布と魔剣という持ち物はどことなく滑稽だった。
(シシシッ……ようやく始まるな。だが、路銀のあてはあるのか。戦場に行く前に餓死してたんじゃ、俺達の物語としてはちょっと情けないな)
(最低限は用意してあるが、あては確かにあるよ)
(シシ! なるほど。俺達にはうってつけだ。腕試しと行こう!)
アントンはゆっくりとしたペースで歩き、ピンカードが遠くなった頃に脇道へ逸れた。その瞬間、棍棒がうなりをあげてアントンの頭を砕こうとしたが、危なげなく避けた。
そこにいたのは例の三人組だった。仲間内でのもめごとか、小狡い顔の男は顔に紫の跡がある。
「よう、どうやったか知らねぇが良く抜け出したもんだ。流石ドブネズミ、褒めてやろう」
「どうも。ドブネズミは嗅覚が鋭いんだ」
「その割にはわざわざ一人になってくれて助かるぜ。ここでやっちまえば誰にもバレねぇ」
ああ、それはこちらも同じだということになぜ気付かないのだろう? そして忘れているのか、認めたくないのか……魔剣を持ったアントンにかなうと本気で信じているのか。
面子かなにか知らないが、随分とご苦労なことだ。
アントンはこれを待っていた。間違っても孤児院に被害が出ないように……そして、傭兵として生きていくために、彼らを殺す。魔剣によりみなぎる活力はあるが、それに頼りすぎないよう練習台が必要だ。
「お前たちは、ここで死ね」
「はぁ?」
地面を蹴ってこちらから打って出る。狙いはリーダー格と思しき、最も体格が良い者だ。アントンは最初が大事だということを裏社会でよく知っている。
恵まれた体格の男は、それだけで上手く世の中を渡れる。散々いい目にあってきたんだろう? だから勝利を確信して、事前に構えてもいない。そこに魔剣の人間離れした力が加われば……
(シシシ! 人間の血でも不味いやつあるもんだな!)
一閃。我流で人を殺めたことすらないアントンの初体験にされた男は、首を切断された。その目は最後まで事態を把握していなかった。
続けて二人目。ここからは難しくなる。街へと逃がすわけにはいかない以上、相手が状況を把握するまでに仕留める。つまり、魔剣を持ったアントンが強いということを認識される前に、ことを済ませなければならない。
人を切った感慨を置き去りにして、剣を返しての二撃目。アントンと同じように、中肉中背の特徴もない男を狙う。その男は本能か、剣を抜いていた。一瞬、アントンは失敗したかと思ったが魔剣は逃さなかった。盾の様になっていた剣をへしゃげさせて、頭にめり込ませる。恐るべきは魔剣カリディスの恩恵。
素人じみた人間が使っても、この有様だ。
「ひっ……」
最後は先日利用した小狡い顔の男。ある意味、一番の難敵といえよう。一瞬で不利を悟って、背を向けて走り出そうとしている。このままでは大声で助けを求めながら、被害者へと成り代わろうとするはずだ。
(シシシッ。粗末な扱いだが、仕方ない)
アントンは男の背に思いっきり剣を投げつけた。投剣術など欠片も習っていないが、剛力で無理やりに有効的な手段にする。剣は男の肩甲骨を突き抜ける。即死ではないが、足を止めるどころかもつれて転んだ。
走って近づいたアントンは男と目があった。懇願、化け物を見る目、純粋な恐怖。それはアントンの心に確かな傷を刻んだが、もはや全ては手遅れだ。アントンは魔剣の力に頼らず、己の意思と力で刺さった剣をえぐり込んで命を奪った。
例え、己に害なす存在でも気力を奪う。アントンはこの日のことを忘れないだろう。自分が殺人者となった記念日だ。




